第89話 アラサー方言女子と二人きりの待ち合わせ

 俺はキョロキョロと見渡す。


「どこかな?」


 駅の近くにあるカフェで、明星マネージャーと待ち合わせしていた。


 話し合いの目的は、勿論アイのことだ。

 スマホだけじゃ伝えきれないことがあるらしい。

 しかも、アイなしでだ。


 当事者でもないのに何故かガッツリ巻き込まれてしまっている。

 断ることも一瞬考えたが、熱心に誘われたので断り切れなかった。


「あー、遠藤さん。こちらです」


 周りを見渡す俺を見かねて店員さんが寄ってきたが、明星マネージャーが先に俺のことを気が付いてくれた。

 俺は店員さんにすいませんと、言いながら明星マネージャーの向かいに座る。


「どうも」

「お疲れ様です。遠藤さん。今日はわざわざすいません」

「そちらも忙しかったんじゃないですか?」

「私の方はプライベートで飲み会があるので、仕事は早く終わらせていますので大丈夫です」

「そう、なんですね」


 事務所の飲み会でもあるんだろうか。

 それとも友人との飲み会?

 家族と飲み会とかも、大人はするんだろうか?

 いや、それなら宅飲みって言うか。


「……それにアイの話でしたら、俺も気になるので」

「彼氏、だからですか? やはり仲がいいんですね」

「ま、まあ……」


 明星マネージャーの前では、俺はアイと恋人同士であることを貫かないといけない。

 だからここは真顔で嘘をつこう。


「――アツアツです」

「チッ」

「え?」


 今、舌打ちしなかったか?


 年齢的にも見た目的にも恋愛経験豊富に見える。

 それなのに舌打ちする訳ないか。

 訊き間違いか?


「何でもないです。それよりも――」


 明星マネージャーがメニューを差し出してくれる。


「何でも注文して大丈夫ですよ。お金は出しますから」

「えっ? でも、悪いですよ」

「平気です。経費で落ちますので」

「そう、なんですね……」


 経費で落ちるって、会社側がお金を出すから明星マネージャーの財布は軽くならないってことだよな?

 なら遠慮せずに注文できるか。


「じゃ、じゃあ、これと、これを」


 何も注文しないのも失礼に値するかも知れない。

 ただ、ガッツリ食事を取るのも変な気がする。


 安いケーキとカフェラテを注文する。


 注文した物が届くまで時間がある。

 早速本題に切り込む。


「『二人きりで話をしたい』っていうのは?」

「少々お待ちください」


 明星マネージャーは、分厚い手帳を取り出すと、


「そのことですが、とりあえず撮影の日程は決まりましたので打ち合わせをしようと思いまして……。来週の日曜日は空いていますか? アイさんの予定は既に聴いていますが、あなたの予定はどうでしょうか?」

「は?」


 撮影?

 何の話だ?


 アイからは何も聴いていない。

 モデルの仕事は断る、それ以降の話はまるで進んでいないはずなのだが、なんでいきなりそんな飛躍しているんだ?


「普通は街頭での撮影とはなりますが、アイさんならスタジオでの撮影をしてもいいと思ったので、撮影スタジオはこちらで仮押さえしています。現場スタッフとしてはカメラマンや現場監督などがいますが、安心してください。変な要求がないように、私がついています。セクハラや過剰な要求はさせません。それから当日はお弁当が出るので食事の心配はしなくて大丈夫です。撮影が上手くいかない場合は予定時間を延長する場合がありますが、スタジオの延滞料はこちらが払います。始まる時間は――」

「あ、あの!」

「どうされましたか?」


 ポカン、と明星マネージャーは口を開ける。


 この人、本気で困惑している。


「……何の話ですか?」

「だから撮影の日程が決まったので、その予定報告です」

「アイはそのことを知っているんですか?」

「連絡はさっきしました」

「了承は得たんですか?」

「いいえ。ですが、最終的にはそうなると思いますよ」


 頭が痛くなってきた。


 何を言っているのか分からない。


「どういう意味ですか?」

「ですから、今は契約していなくとも最終的にはそうなるってことですよ。アイさんの意志に関係なく、ね」

「まだ契約も結んでいないですよね?」

「判子なんて後からいくらでも押せばいいんですよ。チャンスは掴める時に掴まないと絶対に後悔しますよ」

「それはあなたの――」


 言葉を言い終える前に、着信音が鳴り響く。


 明星マネージャーのスマホからの音源のようだ。

 彼女はスマホを手に取ると、


「失礼」


 電話をかけ始める。


 沸々と湧いた怒りが急速に萎んでいく。

 それよりも、彼女の電話の仕方によって驚きが生じた。


「もう、何? 電話しないでって言うたやん。何? ああ。だからお見合いとかそげな恥ずかしいことできんて」


 方言バリバリだ。


 方言じゃない言葉もイントネーションが違うせいで、違和感がある。


「田舎やかいよ、周りから母さんが色々言われるのは分かるけどよお、そんなん私には関係ないてぇ。――ああ、分かってるぇ。ああ、男見つけて帰ってくればいっちゃろ? ああ? なんで全部母さんの言う通りにせんといかんと?」


 母親と口論になっているようだ。

 相手の話声が少し漏れて聴こえてくるが、どうやらお見合いをするかしないかで揉めているらしい。


「私には私の人生があるとよ。母さんの理想を押し付けんといて。今の内に婚活しないと後悔する? そんなこと分からんわあ。母さんとは生きてた時代が違うとよ。今はてげてげでいっちゃが。いいて。そんな言わんで。もう、てげよだきぃてぇ。ああ、もう夏には一回帰るて、うん、もう、打合せ中やから、うん……」


 それから少し電話をし続けると、明星マネージャーはスマホをバックに戻す。


「すいません。何の話でしたか……」

「……あの、そちらは何の話をしていたんですか?」


 冷静に仕事の話をしようとするのは凄いが、訊きたい事が山ほどある。


「ああ。母親からの電話で早く結婚を知ろって言われたんですよ。恥ずかしいので忘れてください」

「あの、嫌だったんですよね?」

「はい?」

「母親の言う通りにするの嫌なんですよね? それなのになんでアイの気持ちも分かってやれないですか? 同じですよね?」


 母親が善意で無理やり婚活をさせようとしているのは分かった。

 それを彼女が本気で嫌がっているのを。


 今のアイと事務所の関係とリンクしている。


 なのに、なんでこの人はアイ側に立って意見を言う事ができないんだ。


「仕事とプライベートは違います。将来のことを今の内に考えておかないと、すぐにおばさんになりますよ? 大人の言う事は聴いておかないと、いずれ絶対に後悔します。才能がある人間はその道に進むのが一番幸福なんですよ」


 子どもにはそれが分からないんですかね、と言いながら既に頼んでいたであろうブラックコーヒーに口を付ける。


「仕事にはお金がかかっているんです。スタジオやキャスティングのキャンセル料だけじゃない。私の会社の信用だってあるんです。もしここでバラシになったら、損害は計り知れないですよ」

「それはあなたが勝手に手配したことですよね? アイからもそんな話は聞いていない。だったら責任はあなた一人のものじゃないんですか?」

「責任、そう……。もしも自分の手柄で新しいモデルを引っ張って来れないと責任を取らないといけないんですよ、私は!! 年下の同僚に先を越されるんです!! 仕事ができないって裏で馬鹿にされるんですよ!!」


 カフェにいる人達がこちらを観るぐらい声を張り上げている。

 だが、それに気が付かずにヒートアップする。


「私はそろそろ結果を出さないとまずいんです! 男運がないのなら、せめて仕事で結果を出さないといけないんです! 異動になってしまったら、また最初から仕事を始めないといけない。私の人生はどうなるんですか? 少しは我がまま言わずに大人になって下さいよ!」

「あなたこそ、大人になったらどうですか? 自分のことだけを考えているあなたは大人なんですか?」

「私は考えていますよ、アイさんのことを! だからこんなに真剣なんです! あなたが説得してください! あの子は貴方の言う事だったら聴いてくれるはずです!」

「…………」


 どうやらこの人は根本的なことを誤解しているようだ。

 アイのことを一切理解していない。


「あいつは、俺の言うことを素直に聴くほどまともな人間じゃないですよ。それに、あなたの言葉に縛られているほどスケールの小さい女でもない」


 注文したケーキとカフェラテを即座に口にすると、俺は席を立つ。


「ご馳走様でした」


 これ以上この人と話をすることはない。

 他の人間に相談すべきだ。


「後悔してからじゃ遅いんですよ!」

「こっちの台詞です」


 追い縋るような声を背中に受けながら、俺はカフェから飛び出していた。


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