第58話 抱きしめながらじゃないと寝られない女の子
今度の祝日に開かれるのは、身内だけの大会。
小規模で、参加できるのはジムに所属している人間だけだ。
大人の部と子どもの部で別れているだけで、中学生、高校生の区別すらない。
そんなので公平な競争なんてできるはずもない。
それは、あくまでも遊びの大会。
なのに、シズクちゃんは練習に励んでいた。
帰り道にフラつくぐらいには。
「大丈夫か? ミッチリ鍛えられていたみたいだけど」
ジムの店長は普段はおっとりしている方だ。
ただ、水泳の指導となると話は変わって来る。
――何度言ったら分かるの? 肘の角度がおかしい!!
――息継ぎの時に肩が上がり過ぎてるッ!!
と、叫んでる姿を今日見た。
子ども相手には厳しいけど、シズクちゃんが泳いでいた選手コースでの指導の時はまるで鬼だった。
特にシズクちゃんには厳しいように見えたな。
やっぱり、伸びしろがある人間には厳しく指導するんだろうな。
「大丈夫ですよ。ちょっとお腹が空いてフラついただけですから」
肩を掴んで支えてやる。
水泳を本気でやり過ぎなのだ。
今回の大会は公式戦でもないのだから、ここまで疲弊する程頑張らなくていいのに。
そう思っていると、フト、シズクちゃんとの顔が近い事に気が付く。
シズクちゃんはスッと、顔を赤らめながら目を逸らす。
「すいません」
「別にいいって……」
パッと、手を離す。
思わず支えてしまったが、今の時代女性に触れることは社会的な死を意味する。
変に誤解されてしまってもマズい。
「す、水泳ってカロリー消費しそうだからな……」
そんなにお腹空いているのか。
と、丁度、目の前にはコンビニがある。
あそこだったら何でも揃っているか。
それに、あそこだったらイートインがあってすぐに食べられるし。
「なんか奢るから食べていくか?」
「い、いいんですか!?」
思ったよりも食いついたな。
そんなにお腹が減っていたのか。
「いいよ。何でも。それでシズクちゃんが元気になるんだったら」
「ありがとうございます!」
籠を持ってコンビニの中を巡る。
シズクちゃんはカップラーメンをおずおずと選択する。
だが、やはり自分だけ何かを奢ってもらうのは気が引けるようだ。
「お兄さんは要らないんですか?」
「あ、ああー。じゃあ、お菓子でも食うか」
本当は別にお腹は減っていなかったけど、シズクちゃんが一人で食べている時に俺が暇だ。
そのことに気が付いたので適当にお菓子でも買っておく。
会計を済ませて、コンビニのポッドのお湯を借りて、カップラーメンに注いでから、イートインスペースへと行く。
俺達以外に人がいなかったので安心した。
スマホでカップラーメンの出来上がり時間を計り終えると、
「じゃあ、いただきます」
「どうぞ」
俺もお菓子の袋を開けて食べ始める。
夕食前にお菓子を食べるのは注意されるから、背徳感があっていつもよりも美味く感じる。
「うーん、美味しい!」
シズクちゃんは俺よりもよっぽど美味しそうに食べる。
勢いが凄いので、カップラーメン以外にも食べたいものあったろうに、きっと遠慮したのだろう。
おにぎりや野菜スティックぐらい無理やり買って食わせた方が良かったかも知れない。
「夜のカップラーメンは犯罪的に美味しいですね!」
「泳いでたら汗かくから、塩分欲しくなって余計に美味しく感じるのかもな……」
塩分が欲しいと身体が要求してるのかも知れない。
シズクちゃんが食べている姿を見ているとカップラーメンが食べたくなってきたが、我慢だ、我慢。
お腹いっぱいで家に帰ったら夕食が食えない。
食えないと体調が悪いのかとライカさんに要らない心配をかけてしまう。
今は少ないお菓子とトークで何とか食欲を誤魔化そう。
「なあ、なんでそんなに水泳頑張ってるんだ?」
「え?」
「だって、水泳ずっとやってるんだろ? 部活でもスクールでも。そんなにやるぐらい好きなのか?」
シズクちゃんは一瞬黙ると、
「……お兄さんだってバイトずっとやってますけど、好きなんですか?」
「いや、好きとか、そういうのじゃ……」
「私もそうです。好きとか嫌いとかそういう次元の話じゃないんです」
「そ、そうか……」
微妙にやる理由がズレている気がするけど、理屈が通っているように聴こえるのが凄い。
俺も何となく納得してしまった、それ以上踏み込めなかった。
「あんまり食べ過ぎると寝る時大変じゃないか?」
シズクちゃんのいい喰いっぷりに、傍から見ていて不安になって来た。
「そうですね。やっぱり運動していると結構食べるんですよね。たまに男子よりか食べてる時があるんじゃないかって思いますけど」
「へぇ……」
やっぱり運動している人だけあって、ご飯は沢山食べるんだな。
身体が細いから全然そうは見えない。
一日中泳いでいるから、水泳で脂肪燃焼しているんだろうな。
「……昔は寝つきが悪かったんですけど、今はベッドに潜り込んだらすぐに寝れてますね」
「そうなんだ。昔はどうしてたんだ?」
「笑わないで下さいね」
「あ、ああ?」
何か笑える要素でもあるんだろうか。
シズクちゃんは意を決したように口火を切った。
「ぬいぐるみ抱いて寝てました」
「な、なーんだ」
思わず微苦笑してしまう。
「笑わないで下さいって言ったじゃないですか!」
「だってあまりにも深刻な顔で言うから、何を言うかと身構えてたら随分と可愛いと思って」
「か、かわいいって……そんな世辞は要りません!!」
別にお世辞じゃなくて本心なんだけどな。
少し拗ねている今も滅茶苦茶可愛いし。
「でも大会で結果が残せるといいな」
「――はい。今度の大会は絶好のチャンスですから!」
「チャンス?」
「…………」
何のチャンスなんだと聞きたかったが、俺の聴き返した言葉が聴こえなかったのか、シズクちゃんが黙食し始めた。
俺も何となく話を続けるのが躊躇わたので、大人しくボリボリ残りのお菓子を食べ進めた。
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