第57話 眠そうな店長との問題はお金で解決できる

 バイト先のプール。

 そこの監視台に手をかけて上がろうとすると、


「あー、遠藤くん」

「……店長、どうしたんですか?」


 ほとんど眼が開いておらず、いつも眠そうな顔をしている店長。


 大きめに二つ膨らんだ競泳水着の上からは、寒いのかパーカーを着ている。

 首にはスイムタオルとゴーグルがかかっている。


 このジムでの店長である彼女は優しくて丁寧に仕事を教えてくれる人なのだが、こっちの話をあまり聴かない所がある。

 マイペースな人な印象がある。


「今度の大会なんだけどさー、その日暇?」


 前も大会の日に運営の手伝いを頼まれているのだ。

 大会における参加者の整列や点呼、タイム測りや進行の手伝い等々。

 やらなきゃいけないことは沢山あるらしい。


 このバイトを選んだ理由は、ズバリ、楽ができそうだからだ。

 ただ泳いでいる人を監視するだけでお金が貰えると思ったからだ。

 なのに、わざわざしんどい思いなんてしたくない。


 自分が参加する学校の体育祭ですら義務感があって嫌なのに、他人の運動大会の為に尽力するなんてもってのほかだ。


「……前も言いましたけど、その日は忙しいんです」

「そんなこと言わずにさー。どうせ学生さんなんだから祝日は暇でしょ?」


 両手で俺の手を包み込むように握って来た。

 その感触に一瞬、ドキッとするが、ここは心を鬼にしなければならない。


「祝日だからこそ暇じゃないんですよ」


 せっかくの休日が潰されてたまるか。


 最近は生徒会とかツユの動画の協力で忙しいのだ。

 実は予定なんて一切ないけど、今度の大会がある祝日は休みたい。


 そもそもここのバイト、人少なすぎるのだ。

 前はそのお陰でシフトいっぱい入れてもらって助かっていたのだが、シフト減らしたい今は逆に迷惑でしかない。

 もっと従業員増やせばいいのに。


「でも、パートさんはその日子どもの授業参観があるんだよー。社員さんだって本当はその日休みだし、他の学生さんは掛け持ちのバイトしていて忙しいみたいだしさー」

「俺だって色々とあるんですよ。そもそも忙しいから最近シフト減らしてもらったんですけど」

「うんうん。だから暇だよね?」


 イラッとしてきた。

 物腰は柔らかいんだけど、シフトを回すことしか考えていない。


 こっちはこっちで忙しいのだ。

 大人に比べたら暇なのかも知れないけど、たまにはゆっくりしたい日だってある。


「すいませんけど、その日は無理です」

「そんなこと言わずにさー。その日はお弁当とか飲み物とか奢るから」

「え? もしかして大会って一日あるんですか?」

「そんなまさか……」

「ですよね……」

「半日だけだよ。朝9時から17時ぐらいまで。このジムが勝手に開いている小さな大会だし」

「十分時間長いですよね……」


 普通にフルタイム働かないといけないってことか?


 普段は学校帰りに少し働くだけだ。

 高校生だから深夜までは働けないのもある。

 でも、祝日だから朝から夕方まで働かないといけないってことか。

 いくらなんでもしんどすぎる。


「そもそも高体連とかじゃなくて、このジム主催の大会なんですよね? 本当に人手が足りないなら中止にした方がいいんじゃないんですか?」

「まあ、そうなんだけど、この大会を楽しみにしている人だっているから。ほら、ぶっちゃけ参加人数が少ないから表彰台に立てる人が多いでしょ? それがモチベになって水泳を頑張れる人だっているのよ。高体連の大会前に弾みをつけるためにも、この身内大会は結構大事だと思ってんだよねー」

「う、うーん……」


 二十代? それとも三十代前半で店長になるだけあって、やっぱり頭がいいんだよな。

 色々と考えている。

 でも、その配慮を従業員である俺にも回して欲しいんだけど。


「ほら、遠藤くんってなんでもしてくれるから、ついつい頼っちゃうんだよね」

「便利屋扱いしているの分かってくれます? 猿もおだてないと木に登らないんですよ?」

「あはは。遠藤くんを猿扱いなんてしないよ。まあ、本当に無理なら他店からヘルプ頼むことになるから、無理なら断ってもいいよ」

「分かりました。お断りします」


 押してダメなら引いてみろ作戦に出たみたいだけど、俺はあくまで拒絶する。


 そもそも解決策を用意しているなら何の問題もない。

 他店からヘルプに来る人には悪いけど、学生にそこまでさせる方がおかしいのだ。


「でも、遠藤くんにはどうしても大会に参加して欲しいんだよね」

「?」

「ウチの逸材が今年全国大会に行けるかどうかは、もしかしたら遠藤くんにかかっているかも知れないからさ」

「どういう意味ですか?」


 もう少しつっこんだ話をしたかったのだが、人影が見えたので話は中断された。


「あっ、お兄さん」

「シズクちゃん……」


 シズクちゃんがいつもよりも明るい表情に見える。

 最近、バイトのシフトを減らしたし、ツユも忙しくなってシズクちゃんが家に遊びに来ることも少なくなった。


 そのせいでシズクちゃんと顔を合わせる機会は、以前よりもグッと減った。

 俺と会っていない期間で心境の変化がある出来事が何かあったのかな?


「今度の大会って参加するんですよね?」

「え?」

「店長さんから聴いて嬉しかったです! お兄さんにどれぐらい私が速くなったか見て欲しかったので!」


 俺が店長に首を向けると、サッと視線を外された。


 俺という本丸を落としにかかるのが難航すると思って、外堀から埋めに来たな。

 こっちがシズクちゃんに甘いと知って。


 流石は大人。

 子どもを操る為にはド汚い手も躊躇なく使ってくる。


「あー」

「? もしかして、参加できなくなったんですか?」


 シズクちゃんがウルウルと瞳を濡らしている。

 どうやら随分と期待するようなことをシズクちゃんに吹き込んだらしい。


 これはどうやら『詰み』ってやつか。

 店長の先の手を読んで、シズクちゃんにしっかりと大会に参加できないことを告げていなかったことが俺の敗着の一手だってところだろう。


 俺は観念したように店長に顔を向ける。


「……当日奢ってくれるお弁当って何ですか?」


 店長には美味しくて有名な焼肉弁当を奢ってもらうことになった。

 そのお陰で、少しだけ俺のテンションは上がった。


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