第38話 お墓の前でプロポーズ!?

 墓石を洗って、生えている草木を抜いていった。

 花立てには、花屋で購入した花を挿した。

 供え物をして合掌をした。


「……何か話した?」

「えっ、と。家族はみんな元気です、とか」

「普通だね」

「……俺は会ったことがないから、正直何を話していいのか分からないから」


 墓参りに来たのは母方の方の墓だった。


 ライカさんと、それからツユの父親は交通事故で亡くなったらしい。

 その父親のお墓がここだ。

 俺も着たことがあったから見覚えがある訳だ。


 だが、父親自体には会ったことはない。

 だから目を瞑っている時に心の中で何を考えればいいのかよく分からなかった。

 とにかく、普通のことを報告するしかなかった。


「ライカさんは何を? 積もる話はいっぱいあったんだよね」

「うん」


 ライカさんは墓石を睨むようにしたまま、


「『あなたのこと、一生恨み続けます』って、言っておいた」


 俺の顔を一切見ずに言い切った。


「……今、なんて?」

「死者の記憶は美化されるっていうけど、本当だね。楽しい思い出ばかり蘇って来る。でも、私は楽しかったってことで終わらせたくない」

「何かあったんですか?」

「ううん。特別なことは何も。みんな経験している事だと思う」


 ライカさんはようやく俺の顔を見てくれた。

 その顔はいつものような笑顔をしていて、逆にそれが怖かった。


「私の家は貧乏で、朝食はパン一個とかだった。ジュースなんて家になくて、水道水を飲んでた。服はリサイクルショップのもので、化粧なんてしたことがなかった。けど、父さんは毎日お酒を飲んで、パチンコをして、競馬をして、煙草を吸って、昼間から家でゴロゴロ寝ていた。酔って手が出る時だってあった。……ね? 普通だよね?」

「まず、普通の定義から話し始めるしかないですね」


 今はそんな生活は送っていない。

 というか、再婚する前からそんな生活を送っているなんて分からなかった。


 そんなに苦労しているようには見えなかった。

 ライカさんも、ツユも、普通に、いや、普通の人よりも充実した生活を送っているように見えたのに。


「家は地獄だった。家に居たくなかったけど門限が六時だった。家では大人しくしていないと、生活音だけで父親が怒鳴り込んでくる。だからじっ、と静かにしてた。今みたいに笑うことすらできなかった」

「…………」


 生活音で怒鳴り込んでくるって。

 咳き込むことや歩くことだって生活音に入るはずだ。

 それができないなんて、どれだけのストレスになるんだろう。

 俺には想像だにできなかった。


「ツユは妹だったから、まだ優しかったけど私には厳しかった。親に気に居られるように勉強やスポーツを頑張っても、可愛げがないって言われた。……どうすればよかったんだろうね?」

「そんな……可愛げないなんて……」

「ありがとう、ソラくん。……ごめんね、こんな話して。つまんないよね?」

「そんなことは……」


 ライカさんはいつもと違って痛々しかった。

 何か言えば、それが棘になって刺さりそうで。

 だから、迂闊なことは何も言えなかった。


「今は楽しいよ。ツユがいて、新しいお父さんは優しいし、母さんも明るくなったし、それにソラくんっていう弟ができた。……私ね、ずっと弟が欲しかったの。でも、あんな家じゃ、もう新しく子どもなんて産めないって分かってた。だから、ソラくんが弟になってくれて本当に嬉しかった」

「…………」


 俺が弟になれたのは、ライカさんの父親が亡くなったからだ。

 だから、良かったって俺の口からはとてもじゃないが言えなかった。


「でも、一人で、何でお墓参りなんて……。やっぱり自分の父親のことを恨んでないから来たんじゃ?」


 それは俺のただの希望だった。


 ライカさんは軽く首を振った。


「父親との記憶を過去にしたくないからかな。母さんやツユはもう忘れているけど、私は忘れられないし、忘れたくない。父親のしたこと、私だけは許せないんだ。そんな醜い心を知られたくないから、こうして私はたまに墓参りに着ているの。幻滅した?」

「幻滅っていうよりかは……戸惑いました」

「そっか……」


 ライカさんは、アイよりもよっぽど完璧だったから。

 天然で優しくて、欠点なんてないような人だった。

 誰からも好かれていて、不得意な事なんてなさそうで、人生を楽しんでそうだった。


 でも、美しい花には棘があるように、ずっと、心に棘が刺さっているような人だったんだ。


「でも、弟が欲しかったんですね」

「どういう意味?」

「いえ。顔合わせの時に少し、その……キツかった気がしたので」


 両親が再婚することになって、それで対面した時があった。

 その時はツユよりも、ライカさんの方が俺に警戒心を抱いていた気がした。


「ごめんね。少しあの時辛くあたってたかもね」

「少し?」

「本当にごめんなさい。私もあの時はいっぱいいっぱいだったから」


 父親が亡くなってから、すぐに親が再婚することになったはずだ。

 だから心の切り替えができなかったんだろう。


「それに、男の人があんまり信頼できなかったから、ツユと母さんは私が守らなきゃって思ったの。だって、愛し合ったはずなのに、父親は母さんにだって酷いことをした。だから、この世に愛なんてないって思ったし、男の人は信用できないって思ってた」

「……思ってた?」

「うん。今は違うよ。今は新しい家族のことを信頼しているし、愛している」


 そうだ。

 今はライカさんに受け入れられる。


 普通に会話してもらえているってだけで、嬉しいとは思わなかった。


「でも、だからこそ恋愛は怖いかな……。私は両親みたいになりたくないから」

「…………」


 だから、ライカさんから浮いた話を聴かなかったのか。

 色んな異性から告白されてもおかしくないのに、きっと見えないバリアを張っているんだろう。


「俺も」

「え?」

「俺も今は、恋愛はしたくないかな」

「同じだね? 私達」


 ライカさんは嬉しそうに笑う。


「結婚しなきゃ幸せになれないって世間の人は言うけど、私の両親は結婚しても幸せになれなかったんだよね。だから、私は一生結婚したくない。傷つくぐらいだったら、最初から結婚なんてしなきゃいい」

「……それは、なんか、勿体ない気がするけど」

「なんで? ソラくんだってするつもりないんだよね?」

「今は、だから。将来、したくなる時がくるかもしれない。そう俺は思ってる」

「そう。強いんだね、ソラくんは。私にはそんな時来ないと思う……」


 ライカさんは誰かと付き合うつもりはないらしい。

 ずっと独り身でい続けるんだろうか。


 それはライカさんの自由だ。

 俺にはどうすることもできない。


「でも、俺はライカさんの傍にいるよ」


 ライカさんは瞠目する。


「え?」

「恋人だったり、結婚相手だったりしたら、もしかしたらいつか破局するかも知れない。別れて、もう会わないかもしれない。でも、俺達は家族だから。だから、俺はライカさんとずっといるよ」


 俺にとっても、もう大切な家族なんだ。

 俺だってライカさんと同じく家族を失った。


 だからこそ、他の人よりも大切にしたいって思っている。

 ライカさんが傷ついている時や、そうじゃない時もずっと一緒にいたいと思っている。


 ライカさんが将来結婚しようが、しまいが、俺達が家族であることはもう変わることはない。


「そして、今度は普通にお墓参りしてこられるように、ライカさんのことをどうにかしたい」

「何言ってるの? 普通にお墓参りしているよ? お花を買って、掃除もして」

「憎しみを忘れたくないから墓参りをするなんて、普通じゃないよ」


 自分が異常なことを言っていることすらも分かっていない。

 墓参りは、故人を偲ぶためにするべきだ。

 憎しみを再認識する為のものじゃないはずだ。


 そんなの、何よりライカさん自身を傷つけることだとしか思えない。


「俺がライカさんを幸せにして、憎しみなんて忘れさせたい」


 どれだけかかるか分からない。

 憎む気持ちを全て霧消させることなんてできないかも知れない。

 でも、幸せで塗り潰すことぐらいはできるはずだ。


 その為にも、俺は家族としてライカさんをもっと笑顔にしたい。


「……なんだかプロポーズされたみたい」

「え? いやいや、そんなつもりは!?」


 まさかお墓の前でプロポーズに誤解されるようなことを口走ってしまうとは思わなかった。

 でも、誰も信用せずに、一生独りでいいって言い切るライカさんの横顔がなんだか寂しそうだったから、とにかく元気づけたかったのだ。


「一緒にいてくれるんだ。それって、ツユちゃんも?」

「まあ、ツユも家族だから」

「再婚した連れ子同士って結婚できるみたいだよ? それってやっぱりプロポーズなんじゃないの?」

「それだったら、ライカさんとだって結婚できることになるけど、ライカさんはそんな気はないよね?」

「えっ? そ、そうだね。ソラくんと、私とか、その発想はなかったなあ」


 顔を真っ赤にしてアタフタする。

 ライカさんでも混乱することがあるんだな。


「うん、さっきのはナシで」

「ど、どういうこと?」

「いいの、いいの。忘れて、ソラくん」


 ライカさんはお墓から軽やかなステップで離れると、


「帰ろう。私達の家に」


 そそくさと先に行ってしまう。

 どんな顔をしているのか背中越しには分からないけど、その顔が父親への憎しみに染まっていないといいなと俺は思った。


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