第20話 帰り道で別れ話

 あのまま、あの男達が近くにいるあの場所に長時間いるのはあまりにも危険だった。

 なので、歩きながらアイの話を聴いた。


 合コンをして、俺のことを嫉妬させたかったこと。

 自分のことを好きだと再認識させたかったこと。

 私が男といい雰囲気になったら、自分からまたアイに告白してくるであろうこと。


 そういう考えで中学のクラスメイトについていったら、騙されたこと。

 もう少しで男達に襲われるところだったこと。


 そういった事の経緯を涙ながらに語ってくれた。


 思っていたよりも自分の心情を語ってくれて驚いたが、それだけ精神的に追い詰められていたんだろう。

 俺は相槌だけで、堰を切ったように話すアイの言葉を聴いていた。


 そして、とうとうアイの家の近くまで辿り着いたところで、俺達は足を止めた。

 ここまでくれば、もう安全だろう。


「落ち着いたか?」

「うん……」


 長時間歩いたこともあって、アイは泣き止んでいた。


「今まで……ごめん。私、きっと酷い事したんだよね? それなのに助けに来てくれたんだよね」

「……なんで疑問形なんだ」

「だって、分からないんだもん」

「分からないって……」


 善悪の区別がつかないって子どもか、みたいなツッコミを入れようと思った。

 が、思いの外真剣な顔をしているので、俺は黙り込んでしまった。


 どうやら本気で悩んでいるみたいだ。


「私のやる事を正面切って否定する人っていないからさ、自分のやっていることは全部正しい事だと思ってたのかも。……でも、きっと、さっきの人達だって自分達が悪いことをしているって自覚ないんじゃない? だから同じことを繰り返すんだろうし。そう思ったら、私間違ってたのかもって思って……」


 言い方はアレだが、アイはアイで本気みたいだ。

 自分の行動に疑問を持つことすらしない人間だったからな。

 こうして人間としての会話が成り立つ時点で、アイ的にはかなり譲歩している気がする。


「……まあ、何が正しいか正しくないかなんてその時とか場所とか、人によって変わるものだから決めつけるのは良くない事なのかもな。難しいよ、俺も」

「? どういうこと?」

「極端な例を出せば、戦国時代の英雄と呼ばれていた人が現世にいたら、連続殺人鬼になるだろ? 他にも、中学時代女子から人気なかった人が、高校になったら人気者になることだってあるじゃん? そういうことだよ」

「……それって私のこと言っている?」

「ま、まさか……」


 まあ、そうなんだけどな。


 アイの暴虐っぷりは中学の時よりも悪化している。

 なのに、高校の連中は容認していた。


 陰口を叩く人間よりも、表立ってカッコイイと賞賛する人の方が増えた。


 高校生になってから美人さに磨きがかかったってのもあるけど、環境によって評価が変わったんだろうな。


 自分勝手に他人に命令をする人間でも、見方を変えれば自分の意見を持ってリーダーシップが取れるカリスマになる。


 だから周りがアイを持ち上げまくって、より我が儘になっちゃたんだろうなあ。


「……つまり」


 アイは高校になってから増長した。

 周りの環境が変わったせいで、昔よりももっと手が付けられなくなってしまった。

 それを俺は止めることができなかった。

 もう、アイはアイであるということを諦観していた。


「だからさ……」

「なに?」


 俺が何かを言おうとしていることを察しているようだ。

 顔が強張っている。


 心身ともに傷ついているアイにこんな話をしていいものかと思う。


 だけど、今が言うチャンスだとも思う。

 アイがようやく俺に心を開いてくれているこの瞬間がチャンスなのだ。


「アイが『愛情』だって思っている事を『束縛』だって感じる人だっているってことだよ。俺はそうだった。それだけのことなんだ。だから――」

「…………!」


 深く息を吸って吐く。


「俺達別れよう」


 俺達は既に別れている。

 なのに、まだアイは付き合っている以前のように振舞っている。

 こんなの、ちゃんと別れたっていえない。


 だから、今度こそキチンと別れたいのだ。


 あれだけアイの心に自分の気持ちが届くように願っていたのだ。

 だからもしも届いた時には喜べると思っていた。

 でも、


「うん。そうだね……。それがきっと一番いいことなんだよね? ソラずっとそうしたいって言ってたもんね。私達もう、終わりだもんね。ううん、ずっと前から終わっていたのよね? ごめん。本当にごめん……。私、ちゃんとした彼女になれなかったよね? 私のこと嫌いだったよね? もっと、もっと、私、自分のことだけじゃなくて、ソラのことを見れてれば良かったよね……」


 再びポロポロと涙を流し出したアイを見て、俺の心は揺れた。


 だから、小声で本音が漏れてしまった。


「俺だって……好きだったよ」

「嘘つき」

「え?」


 風が吹いたら聴こえないような消え入りそうな声だったのに、地獄耳であるアイの鼓膜にしっかりと届いてしまったようだ。


「私を捨てて、義理の妹と付き合うことにしたんでしょ!? このシスコン!?」

「だ、誰がシスコンだ!! 俺の方がアイのこと好きだって言ってんだよ!! もうこれ以上嫌いになりたくないから! だから、離れたかったんだよ!! なんでそんな単純な事すら分かってくれないんだよ!!」

「嘘、嘘!! 私のこと好きだったら一緒にいたいって思うはずだもん!! どれだけ辛くても、どれだけしんどくても、愛している人の傍に居たいって思うのは自然な事でしょ!? だから、ソラは私のことが嫌いなの!! 私の方がソラのこと好きなの!!」

「俺の方がアイの方好きなんだよ!! 好きだからこそ、離れたいって思う時だってあるんだよ!!」

「私の方がソラのこと好きなの!!」

「俺の方がアイのこと好きだね!!」

「私の方だよ!!」

「俺だ!!」

「私!!」


 お互いに息切れしそうなぐらい激しい言い争いの中、


「何あれ? 痴話げんか?」

「うるせー。TPOぐらい弁えろよ。バカップルが」

「爆ぜろ」


 どこからともなく怨嗟の声が聴こえてくる。


 そんな平和そうな口論に聴こえたんだろうか。

 こっちはガチ喧嘩しているっていうのに。


 呼吸を整えると、


「……本当は嘘なんだよ」

「何が? 私のことが好きってことが?」

「そうじゃなくて……うーん……」

「何よ。言いかけたなら最後まで言いなさいよ」

「妹のツユと付き合ったってことだよ」

「え?」


 ついさっきまでのアイにだったら、どれだけ詰められても告げなかった。

 でも、今のアイにだったら打ち明けてもいいのかも知れない。


「嘘だったんだよ。ツユには偽彼女を演じてもらったんだ。そうでもしないと、他の人に迷惑がかかると思って」

「……何よ、それ。私が一体いつ誰に迷惑かけたって?」

「シズクちゃんと一緒にいる時に邪魔しただろ。いきなり知らない先輩が物陰から出てきたら誰だってビックリするだろ」

「そ、それはそうかもしれないけど……」


 やっぱり大丈夫そうだ。

 いつものアイだったらもっと怒り狂っていたはずだ。

 だが、今はちゃんと俺の言葉に耳を傾けている。


「嘘? あれが? あの表情をしていたのに? ソラはともかく、あっちは……」


 アイは何やらブツブツ呟いたかと思うと、


「きっと、あなたの妹は――ううん、何でもない」


 そっぽを向いた。


「なんだよ。そっちこそ何か言いかけて言わないのは止めろよ」

「私はいいの!!」

「えぇ……」


 自分勝手な言い分過ぎる言葉を吐くと、アイは一歩俺に近づく。


「ちょっと痛いから歯を食いしばって」

「は?」


 訊き返した俺の頬に、スナップの利いたビンタを不意打ちされる。


「な、何するんだよ!!」

「私に嘘ついたから。そして――」


 アイは自分の頬にも自らの手で平手打ちをする。

 俺の頬を張った時よりも大きな音が響く。


「お、おい」

「今の自分へのビンタは、迷惑かけた分。……これでチャラになるなんて思っていない。反省は――できないけど、反省する振りはしてみる……」

「アイ……」


 ここで素直に反省したなんて言ったら、それこそ嘘だもんな。

 そんなすぐに反省できるほど、アイは物分かりがいい人間じゃない。

 反省できないって言えるからこそ、アイは最大限に反省している気がする。


「ソラは仕方ないって理解したけど、私はね、あなたの妹の方が気がかりよ」

「気がかりって……。どういう意味だよ。おい、やめろよ。ツユに何か変なちょっかいかけようとするのは」


 少しは見直したと思ったら、全然変わって無くないか?

 もしもツユに何かしたら、今度こそ本気でキレる時だ。


「アイを助けるように言ったのはツユなんだぞ」

「……あなたの妹風情が?」

「妹風情って変な呼び方するなよ……」


 俺がアイから連絡が来た時。


 ――もしかして兄さんの元彼女さんからですか?

 ――まあ、な……。

 ――どうしたんですか?

 ――なんでもない。さっさとゲームをしようか。

 ――何でもないって顔してないじゃないですか。そんな顔でゲームしたら、名作に失礼です。早く何があったか言ってくれませんか?


 そんな風にツユに言われたから、俺はスマホを見せた。

 すると、


 ――行ってあげてください。

 ――で、でも、どうせまた騙しているかもしれないだろ……。その償いの為に今日はツユにできるだけのことはやっておきたいんだ。……だから、いいんだよ。こんなの無視して。

 ――それって、私と遊ぶ予定が無かったら、また騙されに行っていたってことですか?

 ――そ、それは……。


 俺は言葉が続かなかった。

 図星だったからだ。


 ――ゲームは全霊の状態でプレイしないと、ゲームに失礼ですし、ゲーマー失格です。だから一ゲーマーとして、今はスッキリする為に行ってください。もしも何もないっていうだったら、すぐに帰って来て私とゲームしてください。

 ――いや、何の話?

 ――もしも何もなければ、今度は兄さんに連絡できないように元彼女さんをブロックして欲しいです。兄さんは他人に優し過ぎます。そんなんじゃいつか自分が壊れます。それが、行っていい条件です。

 ――ツユ……。

 ――もしも本当に元彼女さんに何かあった時に、私と遊んでいたから駆けつけられなかったからってなったら、私だって寝覚めが悪いですからね。だから、行ってあげて下さい。でも、本当に今回だけですよ? もしも同じ事したら一緒にゲームをするだけのペナルティじゃ済みませんからね?


 そうして俺の背中を叩いてくれたのだ。

 もしもツユがそうしなければ、俺は本当にアイを見捨てていた。


「お前が本気で危険だったかも知れないから助けに行くように言ってくれたんだ。だからアイが助かったのはツユのお陰なんだ。それなのに、ツユやツユの周りの友人に迷惑がかかるようなことがまたあったら、俺は今度こそお前を許さない」

「そう……。あの子が……私に……」


 唇に手を当てて、アイは何やら考えを巡らすと、


「分かった。もう、迷惑がかからないようにする。ちゃんとソラとは別れるし、待ち伏せも、多分、もうしない。それから妹風情に伝えておいて。『借りは必ず返す』ってね」

「それお礼をするって意味で捉えていいんだよな!?」

「それはご想像にお任せしておくわね」


 アイは少し歩いてから、髪を翻すと、


「……さようなら、ソラ」


 お別れの言葉を放った。


 湿度のあるその言い方はただ別れの意味があるのではない。

 もう二度と彼氏彼女として接することはないという意味だ。


 その証拠にアイの瞳には涙が溜まっている。


 ――ねえ、私達っていつになったら結婚する?

 ――い、いきなりなんだよ。


 ああ。

 何故かこんな時に、昔のことを思い出している。


 ――子どもは何人がいい? やっぱり、男の子と女の子が欲しいから、二人は欲しいよね。

 ――そんなこと高校生の俺らに想像できるわけないだろ。

 ――想像してみて。だって、いつか私達結婚するんだから! そう運命で決まってるんだから!


 傍から聴けば恥ずかしいことも言い合った。

 高校生で何も知らないから、何も考えずに不安のない未来を語れた。


 でも、そんな恥ずかしいことを言い合えるだけ、俺達は幸せだったんだ。


 ――旅行行くなら沖縄がいいな。

 ――遠いだろ。旅費も俺に出させるつもりだろ?

 ――何よ。私の水着見たくないの?

 ――さて、と。いつ行く? 次の夏休みか?


 こんな時、いい思い出しか出てこない。

 もっと辛いことだっていっぱいあった。

 喧嘩したし、悩みで眠れない日だってあった。

 だから別れることになった。


 それなのに、アイと二人で過ごしたいい部分の記憶だけが次々に蘇っていく。


 ――ねえ、ソラ。

 ――何だよ、いきなり……。

 ――愛している。

 ――何だよ、それ。


 何か特別なイベントがあったわけじゃない。

 そう言われたのは、ただの日常の一コマだった。


 だけど、付き合った当初はそんな軽口が言い合えるほどには仲が良かった。

 なのに、どうしてすれ違ってしまったんだろう。


「ああ、さようなら。――アイ」


 別れを告げる。


 それから家に帰るまでに、俺は遠回りをした。

 別れの涙が枯れる時間を稼ぐために。

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