第12話 彼シャツを着て彼女アピ
俺と妹のツユは喫茶店に来ていた。
既に座っている元彼女であるアイのテーブルへと近寄る。
俺達は呼び出されたのだ。
「……どういうこと?」
随分不機嫌そうな声だ。
アイがこういう態度になるのにもちゃんと理由がある。
「こういうことー」
「はは……」
俺とツユが両手を同時に上げる。
俺達は指と指を絡ませながら手を繋いでいる。
俗に言う恋人繋ぎだ。
ツユは渇いた笑いしか出せないようで、ちゃんとしたカップルを演じられているかどうか不安だ。
だが、アイには効果てきめんだったようで、ギリッと歯軋りをする。
「付き合ったって? 妹と? 本気なの?」
「本気だって。なっ、ツユ」
「ええ、まあ、そうですね……」
目線が泳ぐ。
あまりツユは乗り気じゃないようだけど、これでもこの猿芝居をしてくれることを了承してくれたのだ。
――付き合う? 私と兄さんが!?
――嫌か?
――嫌とかそういうのじゃなくてですね……。
昨日。
俺はツユに付き合ってくれるように頼んだ。
だが、いきなりということもあって、最初は拒んでいた。
――頼む。どうしてもツユじゃないと駄目なんだ。
――ま、まあ。私は嫌ですけど、兄さんがそこまで言うなら仕方ないですかね。
――あ、ありがとう!! これで、アイも納得するはずだ!!
――え? どういうことですか?
俺は最初からツユに説明した。
アイの行動が度を越していることを。
相手は話し合いが通じずに、ツユの友人であるシズクちゃんにも迷惑をかけてしまったことを。
そして、アイが俺に近づかなくなるには、新しい彼女を見つけてアピールすることだと。
その相手として最適なのは、妹であるツユであると。
――えっ、と、つまり?
――ああ。俺の偽物の彼女になって欲しいんだ。こんな面倒なことを頼めるのって家族しかいないだろ?
――なんで姉さんじゃないんですか?
――え? だって頼みづらいから。
――私は頼みやすいってことですか?
――うん。だって、そういうのには無縁そうだし。
余計なことを最後に口走ったせいで、俺は殴られた。
だが、ツユは最終的には納得してくれたのだ。
「この写真は?」
アイがスマホを取り出す。
「見ての通りラブラブなシーンだろ?」
ただ『付き合いました』という報告だけは、アイは信用しない可能性がある。
だから俺とツユはツーショットを写真で撮ってアイに送ったのだ。
――というか、そのシャツ、俺のじゃないか?
――え? そう?
昨日、随分ラフな格好をしていると思ってよくよく見たら、ツユは俺のシャツを着ていた。
すぐ脱ぐように言ったのだが、
――兄さんの変態!! こんなところで裸になれって言うんですか!?
――誰がそんなこと言った!?
変な勘違いをしたツユをなだめるのは大変だった。
洗濯が終わってから、親がそれぞれの服を部屋に持って行ってくれるのだがその時に、俺の服をツユの部屋に間違えて持って行ってしまったのだろう。
ラフなシャツだったらツユも着るし、五人分の服を一気に洗濯していたら間違えてもおかしくない。
――いや、逆にこれ使えないかな? うん。着たままでいいから写真を撮ろう。
丁度いいと思った。
自己顕示欲の強い女性が、SNSなんかに彼氏いるアピールで彼氏Tシャツを着ることがある。
これをアイに見せればいいや。
そう思い、俺のシャツを着込んだツユとなるべくくっついて写真を撮った。
何度とってもぎこちない感じが出てしまったが、初々しいカップルってことで騙されてくれないだろうか。
「いい写真じゃない。カップルらしくて」
はい。
騙されたー。
完璧な作戦だ。
たまたま思いついたけど、どうやら信じてらしい。
「これで分かってくれたか? もう、俺は次の恋愛に進んでいるんだ! だからアイも次の恋愛をすればいい!」
「…………」
スマホを持っている指が白い。
それだけ力を込めて俺とツユのツーショット写真を眺めているってことだ。
なんか怖いんだけど。
ミシミシ、とスマホを壊れるような音が聴こえてくる気がするんだけど。
「あの」
「え? 何!?」
「本当に二人は付き合ったの?」
「勿論!」
「ソラじゃなくて、私はそこの妹に訊いているの」
「……え?」
しまった。
まさか妹に話題を向けられるとは思ってなかった。
反論は色々俺が考えていたけど、ちゃんとそこまでツユと打ち合わせをしていない。
完全にアドリブになる。
あまり乗り気じゃないツユは、この俺とのカップルごっこにちゃんと乗ってくれるんだろうか。
「本当に自分の兄と付き合ったの」
「え、ええ」
「この前、校門前でいい所なんて一つもないクズ男とか言ってなかった?」
「そこまで言ってたか!?」
強めのツッコミを入れるが、ジロリと見られるだけで俺は萎縮してしまった。
口を挟むなということだろう。
「つ、付き合ってますよ。この前はいい所が咄嗟に出なかっただけです」
「ふーん。それじゃ、いい所は?」
「頼りになるところです」
「え?」
思ってもないツユの言葉に耳を疑う。
ツユが俺を頼りにしていることなんて、一度でもあっただろうか。
ぞんざいな扱いをされるので、兄として見られていない気がするけど。
「ずっと、兄さんには助けられてきました。本人には自覚はあまりないみたいですけど、兄さんがいるから私はここにいられます。……あなただってそうじゃないんですか?」
「…………」
二人を助けた覚えなんてないけど、アイは黙りこくる。
何かを深く考えているみたいだけど、ただのハッタリだと思うんだけど。
勝手に深読みしてくれる分にはありがたい、か。
「そう……。分かった。全部……」
「分かってくれ――」
喜んで机に両手を置きながら、俺は乗り出していた。
その俺の顔に、アイは――――コーラをぶっかけてきた。
「ソラが浮気したってことが」
シュワシュワの感覚が頬に伝わって来る。
これ、乾いたらベタベタするんだよな。
と、二回目なので冷静な考えが出てくる。
「――って、何するんだよ!?」
「浮気したからだよ! 私という彼女がいながら!!」
「だから彼女じゃな――」
いつものような勝手な物言いに強い語調で返そうとするが、思わず口を噤んでしまった。
横合いから、コップを凄い速度で傾けた奴がいたからだ。
「冷たいですか? あなたが彼氏にやったのはこういうことなんですよ?」
ツユが、自分のところに来ていた水の入ったコップを、アイに向けてひっくり返していた。
水をかけられたアイはビショビショだ。
俺もアイもツユのいきなりの行動に呆然としている。
「もう二度と兄さんに余計な事をしないで下さい。――兄さんはもう私の物なんですから」
「――くっ!!」
アイは悔しそうに下唇を噛む。
「――わっ」
おしぼりを俺の顔に向かってぶん投げると、そのままアイは背を向けた。
「もういいっ!! 浮気男なんてこっちから願い下げなんだから!!」
ドアノブまでカツカツとヒールの高い靴の音を響かせ、外に出る直前に、
「私だって友達に合コン誘われてるんだから!! 後でやっぱり付き合って欲しいって土下座したって付き合ってあげないんだからね!!」
負け惜しみみたいな事を言って、ドアを思い切り閉める。
店員のあ、ありがとうございましたー、という気の抜けるような言葉に、俺よりもまずツユが我に返った。
「大丈夫ですか、兄さん?」
新しいおしぼりを持って俺の顔を拭いてくれる。
店員さんがタオルを持って駆け寄って来てくれたので、それも拝借する。
この前より、倍、床が濡れてしまっている。
タオルを借りて拭くが、今度こそ出禁になりそうだ。
この短期間にこれだけ騒動を起こす迷惑客もいないだろう。
「それより、ありがとう」
「何がですか?」
「全部、かな。その、俺のことを庇ってくれたりとか」
「そうですね。兄さんに助けられているというより、私の方が兄さんの方が助けている事の方が多いんじゃないんですか?」
「……面目ない」
今回の件で、随分とツユには世話になった気がする。
彼女の言う通り、これでは助けられてばっかりだ。
これじゃ、俺は兄というより、弟だ。
「でも、これで少しはスッキリしましたか?」
「いや」
区切りをつけることができた。
俺の代わりに言い返して、そして水をぶっかけ返してくれた。
これで少しはスッキリできたかという問いに是と答えることは正確性に欠けるな。
「かなりスッキリした。本当にありがとう、ツユ」
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