第8話 妹の友達の送り狼にはならない

 俺のアルバイト先はジムだ。


 だが、ひょろい俺はインストラクターになんてなれない。

 俺がなれるのは、精々ジムの中にあるプールの監視員ぐらいなものだ。


「泳がないの?」


 俺は会員に声をかける。

 せっかくジムに泳ぎに来たんだから泳げばいいのに、さっきから全然泳がないのだ。


「まだストレッチがありますからねー」


 そう言って、競泳水着の彼女は丁寧にストレッチをする。

 胸を反らす動作に、何故かバツが悪くて視線を逸らす。


「これで、終わり、と」


 そう言うと、水飛沫を盛大に上げながら尻からダイブする。


 勢いが強くて監視台の上にいたのに足元にかかった。


「飛び込まないで下さい。危ないですから」

「アハハ。何だかそのいい方監視員さんっぽいですねー、ツユのお兄さん」

「ぽいじゃなくて、本当に監視員なの」


 シズクちゃんはケラケラ笑っている。


 自分でもプールの監視員は似合っていない自覚はある。


 水泳部じゃないし、他の監視員はジムに務めているだけあってマッチョが多いからな。


「他の水泳選手は?」

「まだ時間じゃないですから来てないですよ。私は早めに来たんです。お兄さんと話がしたかったので」

「話?」

「はい。駄目ですか?」


 俺はプールを見渡す。


「まあ、今は人がいないからいいけど」

「本当ですか!」

「そこまで嬉しがることかな?」


 ウチのジムのプールは普段、ジムに登録している一般会員にも開放している。


 だが、夕方ぐらいになると、一般会員の人はプールを使えなくなる。

 一般会員が使えなくなった時間帯には水泳のスクールを開設していて、そこの水泳の選手達が泳ぎ出すのだ。


 そして、シズクちゃんはウチのスクールの選手でもある。

 バイトのシフトにもよるが、放課後こうして顔合わせすることもある。

 だから妹の友達でもこうして仲良く話せるのだ。


「嬉しいですよ。だってお兄さんと二人きりで話すことってないじゃないですかー」

「まあ、そうか」


 基本的に、俺とシズクちゃんはツユを介して話しているもんな。


 家や学校だとツユが俺達二人の真ん中にいて、ツユを中心に話を振ることが多い。

 プールでこうして会うこともあるけど、他の会員もいるからほぼ話せない。


 だから、彼女と結構接する機会が多いとはいえ、シズクちゃん自身のことはあまり詳しく知らないかも知れない。


「あのツユがあれだけお兄さんのことを話すので、もっと知りたいって思ってるんですよ」

「俺の話、ね」


 あのツユがあまりいい噂をしているとは思えないから、どんな話をしているのか掘り下げるのは止めておこうかな。


「バイトって忙しいですか?」

「全然。ただ泳いでいる人が溺れないように見張っているだけだし、他にやることといったら、プールサイドの掃除ぐらいだから」

「へー」


 あとは、インストラクターの補助もあるけど、バイトの時間はほとんどの時間帯は座っているだけだ。


 何もしないでいるのが暇すぎて疲れる人にはキツいバイトかもしれないが、俺にとっては楽だ。

 実際に溺れる人が出たら頭が真っ白になって何もできないかも知れないが、そうならないことを祈るばかりだ。


「でも辞めようかなって思ってる」

「え? 何でですか? もしかしてお兄さんとはもう会えなくなっちゃうんですか!?」

「いや、学校とか家で会うからいいんじゃないかな」

「でも、どうせだったらお兄さんに私の可愛い水着姿を見て欲しいんです!」

「なんで俺に!?」

「お兄さんの他に男の人の知り合いいないんですよねー」

「ああ、ただの消去法ね……」


 それにシズクちゃんの競泳水着を見ての感想なのだが……。


「可愛い、かな?」

「可愛くないですか?」

「いや、可愛い、可愛いけど……」


 可愛い、というかエロいんだけど。


 シズクちゃんの着ている競泳水着はピッチリと肌に吸い付くような素材だし、後、髪が水に濡れているだけで色っぽく見える。

 年下なのに、ここで会うと印象変わるよな。


「どうして辞めちゃうんですか?」

「それは……バイトを続ける意味がなくなったからな」

「? バイトは何でやってたんですか?」

「デート代を稼ぐため」

「デ、デート代!? それだけの為に? お兄さんって結構シフト入ってませんでしたか?」


 意外そうだ。

 でも、実際かなり費用がかかったんだよな。


「アイと付き合って一週間記念でプレゼントを欲しがってたからあげたし、服買いに行ったら勿論俺がプレゼント。ご飯にいったら二人分俺が払わないといけなかったから。一回のデートで一万円は飛んだ時もあったな」

「じゃ、じゃあ、月に何回もデートできないですよねー」

「でも頻繁にデート行かないと彼氏彼女じゃないって怒られたからな。だからバイトしなきゃいけなかったんだ」


 バイトをしていればスマホをイジっている時間も削られる。

 なのに、連絡をマメに返さないとアイは激怒された。


 それがバイト中であっても、関係ない。

 アイには理屈が通じなく、連絡を返さないと機嫌が悪くなった。


 だから機嫌を直すために、バイトが終わったら即連絡を返した。

 そのせいで、勉強時間、睡眠時間は削られ、精神がすり減っていった。

 そのせいで周りにもあたってしまった。


 そして、中途半端に仲がいいクラスメイトは俺から離れてしまった。

 今俺の周りに残っているのは、本当に仲がいい人だけだ。

 その中にはシズクちゃんも入っている。


「お兄さん、それだったら自分の為にお金を使っていいんじゃないですか?」

「自分の為に?」

「……正直、そこまでお兄さんが追い詰められているって知らなかったです。本当にごめんなさい。私、今朝の登校の時にお兄さんをからかうようなことを言って……傷つけちゃいましたね……」

「いや、いや。そんな、全然……」


 自分がしんどい思いをしているのはなるべく隠していたから、シズクちゃんが気が付かないのも無理ない。

 アイのことを他人に相談しても、解決できるとも思わなかったしな。


「傷ついているからこそ、自分にご褒美をあげるためにお金を使った方がいいんじゃないですか? その為にバイトを続けるのだっていいんじゃないですか?」

「そうか……」


 バイトって、普通そういう目的で始めるもんか。

 アイに尽くすのが当たり前になっていたけど、自分の為に金を稼ぐっていう考え方は盲点だった。


「自分へのご褒美か……。あんまりピンと来ないな」

「……お兄さんって昔から甘え下手ですよねー」

「あ、甘え下手!? そうかな」


 初めてそんなこと他人に言われたかも。

 甘え下手。


 そうなのかな?


「だって、そうじゃないですか。お兄さん、今疲れた顔してますよ。疲れている時こそ、自分を甘やかさないと駄目ですって!」

「甘やかす、か……」


 あれだよな。

 甘やかす、もとい自分へのご褒美って、会社員の人が普段カロリー気にして買えないスイーツとか、高級食材食べたりする感じだよな。


 ああいうのって、いまいち気持ち分からないんだよな。

 自分へのご褒美を与えても、俺は特に幸せを感じない。

 むしろ、甘えた罪悪感さえある。


 そうなると自分を積極的に甘やかす方法って俺、知らないかも。


「そうだ! この機会に盛大にお金を使ったらどうです? パーッ、と失恋会みたいなのをやって忘れるんです。勿論、私やツユだって参加しますよー」

「失恋会、ね。いいかも知れないな、それ……」


 このままジメジメとした気分で日々を過ごすよりも、誰かと騒いで慰めて貰う方がいいかも知れない。


 少なくとも、誰かと付き合って昔の恋を忘れるというミゾレのアイディアよりかはしっくりくる。


「私も失恋会で美味しい物食べたいですからねー。高い物を食べたいんですけど、お兄さん、期待していいですか?」

「それ、結局自分の為じゃなくて、他人の為に俺お金使わされてない!? アイからシズクちゃんに貢ぐ先が変わっただけだから!!」

「アハハ、バレちゃいました!?」


 冗談は置いておいて、と言いながらシズクちゃんはプールサイドに身を乗り出す。

 肘をつきながら上目遣いで、


「バイト辞めるかどうかはお兄さんの自由です。でも、私はお兄さんとこうして会う時間が減るのは嫌です。私が泳いでいる姿を見て欲しいんです。――それは、冗談じゃななくて私の本気の気持ちですから」

「……えっ?」


 シズクちゃんはプールから出る。


 何かと思って振り向くと、人がぞろぞろと入って来た。

 どうやらレッスンの時間のようだ。


 シズクちゃんはスタート位置に行く前に、何か言いたい事を思い出したかのように身を翻す。


「今日は何時までですか?」

「――えっ、とシズクちゃんの丁度レッスンが終わるまで」

「だったら一緒に帰りませんか?」

「え?」

「え? 駄目ですか?」


 駄目ではないけど、一緒に帰ろうと言われたのは初めてだったので驚いた。


 断ろうとかとも思ったけど、時間も時間だ。

 外も暗くなっているだろうし、シズクちゃんを家まで送ってあげないといけないかな。


「うん。そうだね。一緒に帰ろう」

「ありがとうございます。ちなみに送り狼になってもいいですよー」


 送り狼って。

 シズクちゃんからは俺が妹の友達を襲うような節操なしに見えているんだろうか。


「それも冗談、だよね」

「さあ、どっちですかね?」


 アハハ、と笑ってシズクちゃんは踵を返した。


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