第8話 パロディ

 オイラも有名作品のパロディに手を出そうとしたことがある。しかし、考えているうちになんだか情けないような気がしてやめたのだ。パロディ元と比較して結構自分に絶望したりもした。そもそもオイラはパロディに向いていないらしい。ちょっとしたやつならいいのだろうが、それを元に似たようなストーリーで書くような力を持っていないのだ。というわけで今回紹介するメモはそんなパロディを書こうと四苦八苦したメモである。そういや四苦八苦って仏教用語らしいぞ。確か四苦と八苦でそれぞれあったはずだ。7つの大罪とかは小説に取り入れられたりしているのを結構見るのに、四苦八苦を取り入れているのはあんまり見ないな。どうかな、これを機に仏教について調べてみるのは。わりと面白いぞ。そもそも日本の葬儀は仏教でやるのが多いはずなのに、仏教について知っている人はあまりいないように思う。仏教の成り立ちとか面白いから調べてみるといい。さて、話を戻そう。今回紹介するメモだが、過去一番のボリュームだ。かなり長い。覚悟をしてもらいたい。




 ※注意『Sキングのノーナを読んだことがなく、これから読むつもりで結末を知りたくないという人はこのメモを読まないことをオススメします。がっつりネタバレあります。』


 □■□■


 Sキング作 ノーナのパロディ。


 能奈かな。


 主人公の名前。


 主人公名前なし。


 一人称は僕で良いか。


 ホリス夫妻は?


 うーん。


 主人公→孤児、ホリス夫妻に拾われて育ち大学に行く。しかしやめさせられる前にやめた。行く宛なし。


 能奈→性癖詰め合わセットで良いや。


 高身長ボクっ娘、かわいい。


 蛍光灯の光を受けて青っぽく見えるほどの漆黒の髪が、すれた褐色のコートの肩にたれるにまかされていた。肌は白っぽいクリーム色で、その下にかすかな血の色がただよっている。煤のような黒っぽい睫。端がほんのすこし上がっている目。貴族的な鼻、その下の表情豊かなふっくらとした唇。体のことは説明できない。そちらの方は僕にはどうでもよかったのだ。あなたにとってもどうでもいいことだと思う。必要なのはあの髪、あの顔、あの表情だった。彼女は完璧(エクスクイズノット)だった。英語で彼女を表現するならそれしかない。


 英語で→一言で。


 舌ピアスかわいいから追加で。


 舞台は夏にしよう。


 7月24日。


 舞台は日本。


 能奈→目は赤。


 腰まで伸びる黒髪。


 黒と赤色でつばに銀輪がついた帽子。


 銀のネックレス。


 白いクロップドTシャツ。


 紺色の上着を着崩すように羽織る。


 白いベルトのついたピンクの短パン。


 黒タイツ。


 勝ち気な表情。


 主人公は大学をやめて行く宛もなく。


 東、東京の方に行く。


 しかしあまりに暑いので途中バーによる。


 そこで能奈に出会う。


 蛍光灯の光を受けて赤みがかって見える漆黒の髪が、着崩した紺色の上着の肩を垂れていた。肌は白っぽいクリーム色で、睫は煤のように黒っぽい。


 主人公バーにいく→能奈と合流。

 車をヒッチハイクで止める→途中まで行って殺害。


 その前にバーで喧嘩。


 途中主人公の過去を書く。


 東の洞穴的なところまで行く。


 能奈が消える。


 最初は一人称過去形で。


 刑務所で過去を書き記す。

 ↓

 夏、高速道路でヒッチハイクを試みるが、できない。高速道路沿いのバーに入り、能奈に出会う。主人公が他の客から喧嘩を売られ、それを買って店の外で喧嘩し、相手をボコボコに。警察を呼ばれそうになるが能奈と車を拾って逃げる。

 ↓

 拾った車の運転手を殺して車を奪う。死体は橋から川に投げ入れる。

 ↓

 道が電線で塞がるが、工事の人を殺して進む。

 ↓

 警察に追いかけられるが殺す。

 ↓

 墓場に行って能奈とキスして終わり。


 主人公の過去。


 架空の地名。


 黒賀谷。


 主人公の両親は幼い時の交通事故で死亡、親戚に引き取られるも暴力を振るわれ、夜遊びをするようになる。


 高校の時、黒賀谷スポーツセンター(友人がバイト)で美女にちょっかいを掛け、その連れの相澤多部田に投げ飛ばされる。

 大学では好きになった人と交際をするが、別のサークルの人を好きになったと言われ別れる。何ヵ月後かに結婚式の招待状が届く。

 酒に溺れ成績が下がり、奨学金を打ち切られそうになったので大学をやめてヒッチハイクの旅に出る。目的は友人の家。


 晴れた空。


 海沿いの道路。


 □■□■


 Sキングはかなり有名な人だから知っているだろう。『ミスト』や『IT』を書いた人だ。恐怖の帝王とも呼ばれているらしい。カッコいいじゃないか。オイラも昔は名前を知らなかったのだが、ある日突然『ミスト』が読みたくなり書店で買ったのだ。『ミスト』は中編だが、それだけで本になるほどのページ数はないので、『ミスト』というタイトルだがそれ以外の短編中編も収録されていた。その中にこのメモの元となる『ノーナ』があったのだ。それを読んだオイラは思った。ファムファタルを書きたいと。


 オイラの記憶が確かなら、ファムファタル小説とは悪女が男を破滅させる物語である。このエッセイで『ノーナ』の内容に触れるつもりはないが、まあだいたい似たような感じだった。しかし、せっかく書くなら自分好みの女性に破滅させられたいではないか。そういうものだろう。ただの破滅ではダメ。若さがなくてはならない。そういや昔、夢で謎の少女と線路を散歩したことがある。最後には突き落とされて目を覚ましたが、ちょうどあんな感じだ。主人公も悪女も若くあるべきで、若さゆえの衝動と若さゆえの邪悪さが面白いのだ。というわけでまずこのメモでは若さに重きを置いてある。能奈の描写がわりと細かくメモされている。多分、なんか資料とか見て書いたんだろうな。オイラがこんなに人物描写をするのは珍しい。服とかの知識がないから上手く描写できないのだ。どなたか教えてほしいものだ。結局、ネットからイメージに合う画像を探してそれを見るしかないのだ。悲しいね。


 展開もパロディ元に寄せているが、別にそんな必要はないように思う。舞台は日本なのだし、自分の好きなシチュエーションにしたらいいではないか。そもそもパロディをやる理由なんて自己満足以外のなにものでもない。少なくとも、オイラは。だからこそ能奈は自分の性癖詰め合わセットだし、主人公の名前を出さないことによって没入感を増させるのだ。自分のために書いていると言ってもいい。このメモがメモのままになっていたのは、妄想で満足してしまったからというのもあるだろうな。


 あ、これパロディだ。と小説を読んでいて思ったことがある。名前出していいのか分からないのでここでは出さない。『ノーナ』はいいのかという指摘もあるだろうが、Sキングは有名な方だしいいのではないかな。それに、パロディ元の小説を紹介するのは良いが、パロディの小説を紹介するのは罪悪感がある。なんだか晒しているような気になるのだ。神経質かな。だけど一応、そういうポリシーで行きたいと思っている。話を戻す。あの有名な『そして誰もいなくなった』のパロディを読んだことがあるのだ。これはあまりに有名。アガサ・クリスティなんて予測変換にも出てくるほどだ。『そして誰もいなくなった』のパロディとはつまり、島に人が集められ、出られない状況で1人ずつ殺されていくものということだ。同じシチュエーションというだけでパロディ認定してしまうのはいかがなものかと思う人もいるかもしれない。しかし、そのシチュエーションを見た人は確実に『そして誰もいなくなった』を連想させる。『そして誰もいなくなった』は閉鎖された島で次々と殺人が起こるシチュエーションの特許を取ってしまったのだ。実際、同じシチュエーションでこれ以上のものはないだろう。つまりパロディとはそういうものなのだ。素晴らしいからパロディにされる。このメモだってそうだ。『ノーナ』が素晴らしいからパロディにしようと思ったのだ。そういやパロディとオマージュってなにが違うのだ。調べてみよう。ふむふむ、オマージュは尊敬の意味を込めて真似したもので、パロディは風刺の意味を込めて真似したものらしい。なんということだ、オイラのバカやろう。つまりオイラが先ほどからパロディパロディと呼んでいたそれは実際の意味とは違っていたのだ。本当はオマージュのことを言っていたのだ。う、今さら全文書き直す気にはならないし、いっそこのまま公開して恥を晒したほうが記憶には残るだろう。ここまで読んだ皆さんは、先ほどまでの文のパロディのところをオマージュと読むようにしてください。


 さて、パロディ……ではなくオマージュだ。そう、このメモは『ノーナ』のオマージュをしようとしたのだ。そもそも『ノーナ』という作品自体が素晴らしいものであった。しかしオマージュしようとしたのはひとえに性癖にマッチしたからである。オイラの性癖、つまり破滅願望だな。結局、マゾヒストと大して変わらないような気もする。しかし誰でもいいわけじゃあない。自分の好きな人に破滅させられたいのだ。そこが重要。このメモはそういう願望を具現化したいがために書かれたのだから。ではオイラの好きな人とは誰なのか。一概には言えないが、まずはボクっ娘である。次に高身長である。最後にイケメンである。だいたいこの3つだね、うん。このエッセイでは詳しく語らないが、メモを見てもらえたらだいたい分かると思う。とりあえず、ボクっ娘についてだけ解説しておこうか。


 ボクっ娘とはなにか。それは一人称が『ボク』の『女性及び少女』である。間違えてはいけないのが、『ボク』と『僕』では全然違うということだ。一人称というのは不思議だ。『俺』と『オレ』は違う。漢字かカタカナかの違いだが、そこには雰囲気の違いもあるのだ。『オイラ』と『おいら』だって違うぞ。なんだか後者のほうが柔らかい雰囲気じゃないかい? 一人称は種類が多い。しかも、表記によってまた雰囲気も変わってくるのだ。素晴らしいではないか。一人称には良く創作でお世話になっている。キャラクターを作りやすい。不思議な一人称にしてやれば、それだけでキャラクターとしての要素になる。実にいい。多分オイラは英語で小説を書けないタイプの人間なのだ。さて、話を戻そう。僕っ娘とボクっ娘の違いについて解説していく。僕っ娘とは一人称が『僕』の『女性及び少女』である。そもそもマイノリティーである。萌えるのは当然。しかし、そこには男性っぽさもあるのだ。分かるかね。『僕』という一人称は普通男性が使う。それを女性が使うから萌える。男性の一人称を、女性が使うから。一人称が『私』の『男性及び少年』と同じ感じだ。確かにオイラはそれでも十分萌える。だがな、オイラが真に好きなのはボクっ娘なのだ。そう、この違いが分かるかね。カタカナ表記になることで、そこに『若さ』が加わるのだ! カタカナは若いイメージを持たせる。リスクをヘッジ、マジョリティー、スーパーファミコン。どれも若い。カタカナは漢字やひらがなに比べると新しいもののようなイメージがある。それが若さになるのだ。ボクっ娘は若い。若いとどうなる? そう、かわいい。つまり世界は平和なのだ。オイラはボクっ娘が好きだ。なぜこうなってしまったのか、思い出してみよう。そう、あれはビーダマンのアニメだった。主人公の仲間だった気弱な少年が悪の道に進み、最後は主人公と和解するのだ。良くある展開だ。しかし、オイラのボクっ娘の原点はそこだ。それは確かに気弱な『少年』だった。一人称が僕でも違和感もギャップもない。しかし、悪の姿になると一人称が『俺』に変化する。そして最後にはまた『僕』に戻るのだ。いや、それはずるいだろ。以来オイラはボクっ娘に取り憑かれたのだ。原点は少年だが、色々あって変化したのだろう。その過程は思い出せないが、そこは重要じゃない。大切なのは……えっと、なんだっけな?


 なんだか書いてるうちにわけが分からなくなってきた。なのでそろそろ締めようと思う。メモが長い分、今までの話の2倍くらいの文字数になってしまった。結局、このメモが長い理由は自分が書きたいと心の底から思っていたからだろう。書きたいという気持ちは素晴らしい。創作意欲すなわちやる気に直結する。自分が書きたいものを書いているほうが気が楽だし、書いていて楽しい。なのでオイラのスタンスとしては書きたいものを書く、書きたくないものは書かないという感じだ。自分を曲げてまで流行りには乗らないぞということ。意地っ張りなくらいが小説家っぽくていいだろう。結果が出る出ないも大切だが、なにより楽しむ心も大事だ。これは創作以外にも言えるだろう。オイラが楽観的な性格だから、こういうことを言えるのかもしれないが。しかし、自分が好きなことに対する爆発力というものは確かに存在する。どのようなスタンスで創作に向き合うかは個人の自由だが、選択肢として自分の好きを貫くことは悪いことではないと、ここに明示しておく。

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