第5話 科学

 科学とは、いわゆる化学とか物理学とか、そういうやつをまとめた呼称らしい。そう考えたらものすごく広い分野だ。だが、理科と科学はなにが違うのだ。調べれば出てくるだろうか。文字が違うのだから意味も違うはずだ。同義語ではあるだろうが。しかし文字が違っても意味は同じという言葉もないわけではないか。


 呼称が違っても根本的なところは同じ、というテーマで書いてあるメモがあったので紹介したい。


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 ある日世界の半分の人がバカになる。


 バカの基準。


 科学の不信の流行。


 人間の思考というものは単純。


 感染症のように思想は広まる。


 今科学で説明できる全てのことは科学じゃなくても説明できる。


 科学が100%正しいと感じる自分たちも同じようなもの。


 科学を信じない人→科学では説明できないオカルトな話。


 科学を信じる人→この世の全ては科学で説明がつく。


 科学を信じる人「科学を信じないやつは狂っている。オカルトなんか信じるやつはバカ。」

 オカルトを信じる人「オカルトを信じないやつは狂っている。科学なんか信じるやつはバカ。」


 みんなが狂った世界。


 カルト→異端宗教。


 ならば科学を信じるやつらは科学教か。


 科学教信者視点で書こう。


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 思えば、我々は科学が正しいと幼少の頃から教えられてきたからそうだと思っているが、本当に科学は正しいのだろうか。もし宇宙人がやってきて、これまでの科学史の全てをひっくり返すようなことを言ってきたらどうする。多分、ほとんどの人は信じれないだろうな。それこそ科学の盲信、一種の宗教である。


 しかし、こうも考えるのである。ある日、世界の半分の人が科学を信じなくなったらと。突然でなくても、徐々に不信派が増えていくという風でもいい。大切なのは、常識が壊れるというところだ。町の人々に聞いて、答えがふたつに分かれるようなら、それは常識とは言えない。科学が常識でなくなった世界。色々と妄想できる。適当に箇条書きしていくだけでも、ストーリーの骨組みみたいに仕上がりそうだ。実はこれ、かなりいいアイデアなのだ。短編やショートショート向け。なぜ書いていないのだろうか、分からぬ。もしかしたら、書いているかもしれない。あまりに昔だったので忘れてしまっているのかも。もしそうだったら、申し訳ない。


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 まず、科学を信じない人が現れたら争いが起きるだろうな。しかし現代の武器・兵器は全て科学を元に作られている。それを信じない人はなにを武器にするのだろうか? 素手か?


 いかんいかん。これではすぐに科学不信派が負けてしまい、淘汰されてしまう。どうやら武力で戦ってはならないようだ。やはりここは現代らしく、言葉で戦わせよう。議論させるのである。科学信仰派が科学は正しいという根拠を出し、科学不信派はそれに反論する。科学への反論なんてわりと簡単なのだ。魔法とか、神通力とか、科学では証明されてないものを引き合いに出して適当言えばいい。しかし科学不信派はなにをもって科学を信じないのだろうか? この辺は難しい。科学以外のなにかを信じていて、教祖が科学を悪とした、みたいな感じでいいか。科学信仰派と科学不信派の小競り合いを例に出しながらテンポ良く書いていく。そして最後にはアッというオチを。いや、オチは別になくてもいいか。


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 ところで、メモではバカは科学の不信と仮定して書いてあるが、いったいバカとはなんなのだろうか。漢字では、馬と鹿と書くが、別に馬も鹿もあんまり頭が悪いようには思えない。馬と鹿が可哀想ではないか。馬なんて、人間に従順だ。1日で1000里を走る馬もいるという。人間のためにこれ程までに忠義を尽くす動物の名前の漢字を使って、頭の悪い人を指す言葉を作るとは何事だ。鹿だって賢いぞ。鹿せんべいを持っていると近づいてくるし、なんなら持ってなくても近づいてくる。赤ちゃんは可愛いし、うんこは小さい。なにより食べるとおいしい。いいことづくめだ。まったく、バカに馬と鹿を使ったやつを叱りたい気分だ。いや、昔の馬と鹿はそんなに賢くなかったのかもしれない。だとしたら納得。馬と鹿は賢くなってきているのだ。このままでは人間の知能なんてあっという間に抜かして、この星の支配者になってしまうだろうな。恐ろしい。


 話を戻そう。結局、バカかどうかの基準なんてないのではないかと思う。主観での話だし、状況によって変わるだろう。しかし小説にはまれに、どうしてもバカが必要になってくることがある。多分その時々によって細かいところは変化しているだろうが、愚かで物が分からず損をしたり他者に迷惑をかけるやつをバカと呼んでいる気がする。とすると、科学の不信はバカなのだろうか? 人様に迷惑をかける宗教というのは存在しているが、科学の不信自体が人様に迷惑をかけるとは思えないな。科学が嫌なら山奥で生活してればいいのだ。ダメなのは自分の信ずることを正義だと思って強要することだ。つまり、多分、メモではそういうやつを書きたかったのだと思う。科学を信じないやからが科学の不信を強要するのだ。読者から見ると科学不信派はまさにバカで悪。最後はそれが見事ひっくり返るとなるとオチはつきそうだが、はたしてどうやってひっくり返そうか。検討もつかない。宇宙人やら未知の知的生命体を使えば話が早いが、それだといささか強引。ショートショートにも伏線めいたものが入っているほうが完成度は高いと感じるはずだから、そういった手はあまり使いたくない。難しいな。


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 メモは科学の不信の流行を主として書かれているが、それは一種の狂気ではないかと思う。狂気はわりと扱いやすい。まず、一言で狂気といっても種類が多い。不信も狂気なら信仰も狂気。他にも色々あるだろう。星新一先生が書いたショートショートの中には、行きすぎた善の流行というテーマのものもあった。それも見方によっては狂気と捉えることもできる。色々種類があるから、アイデアが被ることも少ない。他のものとも組み合わせやすいのだ。悪魔とか、ロボットとかに並ぶ汎用性があるんじゃないかと思う。ショートショートにも使えれば、長編にも使える。ジャンルも多岐にわたるだろう。ホラーやパニックはもちろん、ミステリーやSFなんかと合わせてもいいかもしれない。想像してきたら、なんだか良さげなアイデアが浮かんできた。とりあえずメモしておいて、あとで検討してみることとする。


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 結局のところ、科学の不信なんて大したことではないのだ。既存の科学を盲信していては教科書を分厚くして学生を困らせてやることなんてできない。信じるところは信じるが、疑うところは疑うという臨機応変な精神が、現代まで科学を発展させてきたのだろう。100%信じる、100%疑うというほうがおかしいのであって、半信半疑のほうが健全なのかもしれない。中途半端かな。しかし、仏教も似たような感じじゃないか。ここで宗教が引き合いに出るとは自分でもびっくりだ。オイラは科学信仰派のはずだったんだが、これはどうしたことだろう。

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