15-5

「あなたに指示をしたのは、彼――あなたの恋人ですか?」


 赤猫が聞くと、宮嶋里依奈は青白い顔で頷いた。


「ミケ子。アルバムを持ってきてくれないか」

「……はい」


 赤猫が私を振り返る。突然だったので一瞬面食らってしまった。

 千鶴子さんから預かった卒業アルバムがリビングのテーブルの上に置いてある。私はそれを持ってベッドルームに戻り、赤猫に手渡した。


 赤猫はアルバムを開き、宮嶋里依奈の前に差し出した。宮嶋里依奈はしばらくアルバムを見つめて、そのうちにゆっくりと頷いた。


 赤猫がアルバムを引っ込めて、私の手に戻す。開かれたページに目を落としてみるが、なんのことはない普通の卒業アルバムだった。男子は詰襟つめえり、女子はセーラー服……ふと、一人の女子生徒が目につく。雰囲気がどことなく宮嶋里依奈と似ていた。野中のなか夏美なつみという女性だった。


 だからどうということもない。宮嶋里依奈はこのページのなにを見て頷いたのだろう。恋人の話をしていたのだから、彼女の恋人がこの中にいるとか?


 順番に男子生徒を目で追ってみる。山崎、吉川、吉田、芳野、六角、若本……若本哲也。ぱっと顔写真に目をやると、短髪のはつらつとした少年が写っていた。


 弁護士の若本さんと同じ名前だ。面影がまったくないとは言わないが、日焼けしたスポーツ少年と現在の若本さんでは印象が全然ちがう。

 アルバムを見つめていると、土田さんが横からページをのぞき込んだ。


「児玉修さんの殺害、そして犬飼巧司さんを犯人に仕立てあげようとする一連の計画を立てたのは、彼ですか」


 赤猫は今までと同じ、淡々とした口調で問いかけた。


「……そうだと思います。詳しくは知りません。でも児玉さんという人をうまく使うとか、東さんが喜んで引き受けたとか、そう話すのを聞きました。一体なにをするつもりなのか、ニュースになるまでわかりませんでした。私は小山田さんを助けてくれさえすれば、それでよかったから……」


 宮嶋里依奈は伏し目がちに語った。さっきより少し顔色がよくなった。

 彼女はゆっくりと上体を起こした。


「男女の機微きびうとくて申し訳ないのですが、パパと恋人はちがうんですね?」

「そうですね」


 今までとは異なる趣旨の質問に、宮嶋里依奈がわずかに口角をあげる。


「あなたの恋人は、あなたの援助交際を承知しているんですか」


 赤猫が聞くと、一瞬、宮嶋里依奈の顔から表情が消えた。そして彼女は困り笑いを浮かべて、膝にかかったかけ布団をぎゅっと握った。


「はい。彼から紹介されることもあります」

「どうしてそんな男とつきあってるんです」


 土田さんが眉をハの字に曲げて口をはさむ。さすがに同感だ。

 私はアルバムの若本哲也少年に視線を落とした。この少年が弁護士の若本さんで、宮嶋里依奈の恋人……なのだろうか。自分の推測に自信が持てなくなってきた。


「だって、私が頼れるの彼だけだから……。優しいんです。格好いいし、仕事もできるし、私を守ってくれるから」

「けれど、その彼があなたを殺そうとしている」


 赤猫の言葉に、宮嶋里依奈はきゅっと唇を引き結んだ。彼女はおそるおそる自分の喉に触れた。


「彼は小山田さんを助けてくれるって約束しました。約束したのに、見捨てたんです。犬飼さんをうまく犯人にできなくて、計画を変えたんです。それを知ってけんかになって、それで……」


 そのときの恐怖を思い出したのか、宮嶋里依奈は言葉を詰まらせた。それでも浅い呼吸を整えて、なんとか次の句を継いだ。


「私、首を、絞められたんです――」




 タクシーを手配して宮嶋里依奈を送り出すと、土田さんはすぐに忍野さんに報告し、彼女が帰るというマンションのまわりには私服警察官が配置されることになった。


 実家もそう遠くないのに、彼女は買い与えられたマンションで一人暮らしをしていた。父親も母親も仕事が忙しく、家に帰っても一人だし、それなら大学に近いマンションのほうが便利だからという理由らしい。それに両親の不仲を目にしなくて済むからともつぶやいていた。彼女が男性に依存して生きるようになった原因は、やはり家庭環境にありそうだ。


 宮嶋里依奈がいなくなったスイートルームで、私と土田さんはぐったりとソファにもたれかかった。話を聞いていただけなのにひどく疲れた。

 陽はすっかり沈んで、今は窓いっぱいに夜景が広がっている。途中、具合が悪くなった宮嶋里依奈を休ませたし、思ったよりも話が長くなった。時計を見ると夕飯時だが、食欲はまったく湧いてこなかった。


「知ってたんですか、赤井さん。あの子のカレシが若本弁護士だって」

「いや。それなら筋が通ると思っただけだ」

「なにがどうして筋が通るんですか……?」


 だらんと手足を投げ出した土田さんが、気持ち程度姿勢を直す。声色に教えを乞うような響きが含まれていた。


「児玉南子の旧姓は野中」


 赤猫がガラステーブルの上でアルバムを開く。そして野中夏美の写真をトンと指先で叩いた。


「野中夏美は野中南子の妹だ」

「この男の子が若本さんなんですか?」


 私が若本哲也の写真を指さすと、赤猫は「そうだ」と頷いた。

 向かいのソファに座った土田さんが、前かがみになってアルバムをのぞき込む。


「つまり、若本弁護士は、児玉南子さんの妹と同級生だった」


 土田さんは二人の写真を順番に指さして確認した。声に謎の感嘆がにじんでいた。

 赤猫が同じページの別の女子生徒を指さす。


「このアルバムは米山香織さんから借りた。彼女の記憶だと、野中夏美は中学二年ごろから同級生の若本哲也と交際していた。ついでにこれが」


 赤猫は別のアルバムを持ち出してとなりに広げた。三年二組のページに、はにかんだ野中南子の写真があった。制服は男女ともブレザーで、さっきのアルバムより全体的に大人びて見える。こちらは高校の卒業アルバムのようだ。


 南子さんの現在の年齢を考えると、二十年ほど前の写真だろうか。私が知っている南子さんよりちょっと頬がふっくらしていた。けれど面影はある。

 妹の夏美さんも可愛らしい顔だちだが、南子さんのほうがパーツがシャープで大人っぽい。可愛いというより、美人だ。アイドルの鹿沢奈々美を大人っぽくした感じ、つまり……


「宮嶋里依奈と似てますね」


 私が思ったことを口に出すと、赤猫がそれだ、と言うように人差し指を立てた。


「若本弁護士、こういう子が好みなんですね!」


 土田さんが力強く頷く。まったく見当はずれではないが、なにかがちょっとズレている気がする。


「東の犯罪歴を話したろう。調べたら、弁護人が若本哲也だった。つまり東と若本にはもともと面識がある。そして、君が誘拐される直前まで会食していたのもこの男だ。会食の店を選んだのも」


 そう言って、赤猫はアルバムの若本哲也を指した。


「これだけ結びついていれば、むしろそうでないほうがややこしい」

「すごい! 感動しました、赤井さん!」


 土田さんが勢いよく立ちあがる。素直なのは悪くない。悪くないが……本来それを調べるのが土田さんの仕事のはずだ。脳裏に忍野さんの呆れ顔が思い浮かんだ。


「このあと妹の夏美さんと連絡を取る。彼女の姉と若本のあいだに確執があれば、王手チェックだな」


 盛りあがる土田さんもなんのその、赤猫は表情ひとつ変えず、若本哲也の写真に駒を置くそぶりをしてみせた。

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