15-4
麗さんはいったん、宮嶋里依奈とカフェで別れた。その後、私たちは麗さんと合流して、もはや見慣れたホテル・ラヴァンドのスイートルームに場所を移した。時間差で宮嶋里依奈もやってくる約束になっている。
高級ホテルは彼女の日常的な行動圏らしいから、もし彼女を監視している人物がいたとしても、いつも通りパパと会うように見えるはずだ。
ついでに赤猫は本物の土田さんを呼び出し、念には念を入れて奥さんを連れてきてもらった。独身の忍野さんが急に高級ホテルに泊まるより、夫婦の記念日を装うほうが自然だからだ。
土田さんの奥さんはいつか岩亀さんが
麗さんと瑠衣さん、それから土田さんの奥さんは事件には無関係だから、三人でラウンジで待っていてもらうことになった。
「大丈夫かなあ、あんなイケメンと一緒で」
ソファに座った土田さんがしょんぼりした声を出す。奥さんが瑠衣さんを見て「やだ、イケメン」と喜んでいたからだろう。
イケメンは女性で美女が男性なのだが、こんがらがるから黙っていよう。
果たして、宮嶋里依奈は本当にくるだろうか。私が時計に目をやったのとほぼ同時に、備えつけの電話が鳴り出した。
「ええ。そのまま部屋まで案内してください」
受け答えた赤猫が、私と土田さんを振り返って頷く。
土田さんが「よいしょ」と腰をあげた。さっきから落ち着きなく閉じたり開いたりしていた警察手帳を、片手にしっかり握っている。
「俺が対応する。土田くんはしっかり聞いていてくれ」
「わかりました」
赤猫と土田さんは宮嶋里依奈を迎えに部屋を出て行った。私はソファに座って、二人が戻るのを待った。
窓越しに薄暮に染まる町をじっと見つめていると、ドアが開いて人が入ってくる気配がした。
私はゆっくりと振り向いた。赤猫と土田さんに連れられて宮嶋里依奈が歩いてくる。彼女は私と目が合うと、ぴたりと足をとめた。
実物の宮嶋里依奈はSNSの写真とそれほど変わらなかった。もともと整った顔だちのようだ。バッグは間違いなくブランドもので、グレンチェックのワンピースも上品だった。手足が長くて、スタイルもいい。
あまりじろじろ見ても失礼だから、軽く印象を掴むにとどめて、軽く会釈した。
「……はじめまして」
「はじめまして」
宮嶋里依奈は一瞬表情を強張らせ、すぐに頭を下げた。
「彼女を知っているかな」
「はい。犬飼さん、ですね」
赤猫の質問に、宮嶋里依奈ははっきりと答えた。観念しているのか開き直っているのか、誤魔化そうとはしなかった。
「どうぞ、かけてください」
「失礼します」
赤猫に促されて、宮嶋里依奈は窓側のソファに腰を下ろした。そのとなりに土田さんが座り、赤猫は宮嶋里依奈と向き合うかたちで私の横に着席した。
「順番に質問させてください。まず、犬飼さんの問題からにしましょう。北浦区のコンビニで男子学生に声をかけ、彼女を襲うよう持ちかけたのは、あなたですか?」
「……はい」
宮嶋里依奈は背筋をのばし、視線を膝の上で重ねた指先に落とした。
「なぜなのか、理由を教えてくれますか」
「そうするよう、指示されました。私は犬飼さんと面識もないし、ひどいことをするの、嫌でした。でも従わなかったら、私が……」
「指示した人物に脅されたんですか」
「いいえ。でも逆らうのが怖かった」
うつむき気味ではあったが、彼女は正直に答えた。口調もはっきりしている。ファッションやヘアメイクは少女的だが、
「指示した人物の目的を知っていますか?」
「……犬飼さんのお父さんを脅すためだと思います」
「真犯人が見つかりましたね。東晴樹という男ですが、彼と面識はありますか?」
「……」
宮嶋里依奈は重ねた指先をぎゅっと握った。
「私のお客さんでした」
「援助交際の?」
赤猫が質問を続けると、宮嶋里依奈は黙って頷き、落ち着いた声で話しはじめた。
「何回か会いました。あの人、東さんは、人妻と不倫していて、自分は本気なのに取り合えってもらえないって悩んでいました。色々話を聞いたら、相手の女性の夫が私の大学の事務職員だったんです。こんな偶然あるんだと思って、私、思わず彼に話しました」
「彼というのは、あなたの恋人のことでしょうか」
「はい」
彼女ははっきりとした声で頷いて、しかし、その直後に口もとを震わせた。込みあげてくる感情を抑えようとしているようだった。
「私……そんなつもりじゃなかった。私のせいで、私のせいで小山田さん、死んじゃった……」
平静を保っていた宮嶋里依奈が呼吸を詰まらせて、わあっと泣き崩れる。とても話せる状態ではない。顔を覆って嗚咽をもらす姿は、ひどく悲痛だった。
彼女はしばらくすすり泣いて、少しずつ落ち着きを取り戻した。
「すみません……取り乱して……」
「話を続けて大丈夫ですか」
「大丈夫です」
バッグから取り出したハンカチを顔に押し当てながら、宮嶋里依奈は背筋をのばした。
「あなたは小山田さんと交際を?」
「一番優しいパパでした。本当のお父さんみたいだった。……学校のベンチでときどき見かけて、私から声をかけたんです。学校のことや個人的なこと……小山田さんには、色々な相談に乗ってもらいました。でも私、男性へのお礼なんてホテルへ行くことしか思いつかなくて……小山田さん、困ってたのに、無理に迫って関係を持ちました。本当のパパみたいで、私が甘えたせいで、そのせいで小山田さん、学校のお金を……」
ときどき声を震わせつつも、宮嶋里依奈は努めて冷静に語った。
私は改めて小山田さんが気の毒になった。目の前にいる少女はひどく傷ついていて、とても哀れっぽく見える。けれど彼女こそが小山田さんの人生を狂わせるきっかけだったのだ。小山田さんは彼女に親切にしたために、こんな結末を迎えることになってしまった。
東と一緒だ。宮嶋里依奈の私とそう変わらない十九年の人生に、身体の関係なしに優しくしてくれる人がいたなら、事件ははじまらなかったかもしれない。
――町には人があふれているのに、必要な誰かとめぐり合うのは、どうしてか困難だ。
私だって、赤猫と出会えなかったら二人と同じだったかもしれない。底なし沼を抜け出せずに、気づいたときにはあらがう術を失っていたかもしれない。
「小山田さんはあなたになにか相談しましたか」
「私のために大学のお金を使ってしまったと言っていました。だから、私、彼に相談したんです。私のせいだから、小山田さんを助けてほしいって……」
宮嶋里依奈はまた言葉に詰まった。
「彼は小山田さんと直接話をすると言ってくれました。そして……しばらくして、あの事件が……」
「慧花大の事務職員だった、児玉
「はい……。事件のあと、小山田さんはひどく悩んでいました。私はどういうことなのか、彼を問い詰めました。そうしたら、彼が小山田さんに東さんを紹介したんだと……」
「ふむ」
頷いて、赤猫が顎に手を置いた。
宮嶋里依奈は深呼吸して、自分の感情を落ち着けようとしている。彼女の話が真実なら、小山田さんと東を結びつけたのは宮嶋里依奈の恋人だ。
「話を戻しますが、犬飼巧司さんを脅迫するために、娘の暴行写真を用意するようあなたに指示した人物は、誰ですか」
宮嶋里依奈が息をのんでうつむく。「それは」、小さな声で言って、彼女は再び強く自分の指先を握った。極度の緊張状態になってしまったのか、顔から血の気が失せて、彼女は吐き気をこらえるように口もとを押さえた。
「ちょ、ちょっと、横になりましょうか?」
土田さんが戸惑いながら案じると、彼女は小さく頷いた。
土田さんは視線で赤猫に許可を求めて、赤猫も承知した。宮嶋里依奈は土田さんに支えられながらふらふらとベッドルームに移り、ベッドに横たわった。
「すみません……」
「少し休みましょう。ゆっくりで大丈夫ですから」
土田さんは宮嶋里依奈に優しく声をかけた。土田さんには良くも悪くも圧迫感や緊張感がない。それが頼りなくも映るのだが、こういう状況にはむしろ適任かもしれなかった。
それからしばらく、宮嶋里依奈が持ち直すのを黙って待った。赤猫と私はリビングから持ち込んだ椅子に座って、土田さんは立ったまま窓の外を眺めていた。
「私……殺されてしまうかも……」
か細い声で宮嶋里依奈がささやく。静まりかえった部屋でなければ聞き取れないほど小さな声だった。
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