15-3
赤猫が起きてきたのは八時前で、そのころには私たちの食事は終わっていた。千鶴子さんは女三人での朝食を存分に楽しんで、陽鞠を連れてご機嫌で離れへ帰って行った。
今日の宮嶋里依奈との待ち合わせ場所へは電車で出かける予定だったのだが、ちょうど休みの瑠衣さんが車を出してくれることになった。持つべきものは友というか、赤猫は千鶴子さんだけでなく、後輩や幼なじみなど協力者に恵まれている。
赤猫本人はこれを「人望だ」と表現していた。
「こんにちは、美沙緒ちゃん」
午前十時、そろそろ瑠衣さんが到着するだろうというタイミングで来客があった。瑠衣さんだと思って迎えに出たら、どこかで見たおぼえのある女性が立っていた。顔だちは瑠衣さんに似ているような気がするが、雰囲気はまったくちがう。
まぶしい春の日差しを背負って立つのは、ボトルネックのリブニットにハイウェストのロングスカートを合わせて、明るめの髪をゆるく三つ編みにしたおっとりとした美女だった。そうだ、赤猫が作ったアカウントのプロフィール画像。
突如現れた美女がなぜ私の名前を知っているのかと戸惑いながら、ふとアカウントのニックネームが脳裏をよぎった。
「麗、さん?」
どうしてレイなんだろうと思ったら、そういうことか。
目の前の美女は、確かに麗さんと言われれば麗さんだ。でもきれいなお兄さんではなく、完全にきれいなお姉さんだ。あれ、瑠衣さんが男性で麗さんが女性……いや瑠衣さんが姉で麗さんが弟……いや……あれ……?
「どう? かわいい?」
「とてもかわいい、です」
「やったあ」
麗さん……? は脇をしめて上品にピースした。どこからどう見ても女子だ。
「悪いな突然。助かる」
「困ったときはおたがいさま。今度美沙緒ちゃん貸してくれればいいよ」
遅れて出てきた赤猫が驚くそぶりもなく靴を履いて、美女と連れ立って玄関を出る。私は混乱しながらスニーカーに足を突っ込み、あとを追った。
「二十三に見えるかなあ」
「平気だろ。年齢なんてわからんもんだ」
赤猫と麗さんが並んで石畳を歩いて行く。二人のうしろ姿はどう見ても男女のカップルだった。赤猫の背が高いせいか、並んでいると麗さんがやけに小柄に見える。
麗さん……麗さんだよね……? それとも実は三つ子……?
「いい加減車買ったらどうだよ」
「四月中にはなんとかする」
門の前にメタルブルーの車が停まっていて、その車体に寄りかかるようにイケメンが立っていた。瑠衣さんだ。
開口一番呆れたように指摘されるも、赤猫は堂々としていた。
瑠衣さんが運転席にまわり込んで、赤猫が助手席のドアを開ける。美女が後部座席のドアを開けて、私に向かって「どうぞ」と微笑んだ。私は無言で頭を下げて、瑠衣さんの車に乗り込んだ。
「君の顔は割れている可能性が高いし、こういうのは麗に任せるに限る」
助手席の赤猫が私を振り返って言った。確かに、柴田たちに声をかけたのが宮嶋里依奈なら、間違いなく私の顔をおぼえているだろう。
そしてとなりの美女はやはり麗さんなのだ。
「変かな?」
麗さんが首をかしげる。私はブンブンと首を横に振った。
「いつものことだけど、そりゃ美沙緒ちゃんは驚くよな」
サイドミラーに目を配りながら瑠衣さんが言う。赤猫にとっても瑠衣さんにとっても、麗さんが美女に
「ふふ。変装とか偽装が必要なときなんかに、小虎くんのお手伝いしてるんだ」
麗さんがおっとりと微笑む。麗さんの声は男性にしてはハイトーンだし、声色を作らなくてもハスキーボイスの女性で通用しそうだ。もともと中性的とはいえ、今は女性らしいしぐさを意識しているのだろう。こちらが照れてしまいそうなくらい完璧な美女だった。
「で、俺は宮嶋さんって子と仲良くお茶をすればいいんだよね」
「ああ。頃合いを見て俺が電話をかける。嫉妬深い彼氏からとでも言って、宮嶋里依奈に代わってくれ」
麗さんの一人称をはじめて聞いた。美女の口から出た「俺」にちょっとドキッとする。赤猫の指示を受けて、麗さんが「はあい」とやわらかく頷いた。
「その子、金に困ってんの?」
「いや。実家は裕福だ。父親は大手メーカーの管理職、母親は医師。その一人娘だな。SNSを見る限りだと両親とも放任のようだ」
「なるほどね」
赤猫の回答を聞いて、瑠衣さんが納得したようにつぶやく。
パパ活というと年上の男性とデートするだけでお金をもらうイメージがあるが、実態は援助交際、つまるところ売春と変わらないケースも多いのだと岩亀さんがぼやいていた。宮嶋里依奈は十九才で未成年だ。岩亀さんの立場からすると、言いたいことは山ほどあるだろう。
家庭の不和や孤独が子どもを非行に駆り立てるのはよくある話で、もしかしたら宮嶋里依奈もそういう少女の一人なのかもしれない。仕事で忙しい両親にほったらかしにされて、自分の居場所を求めた結果、援助交際にたどりついたのかもしれない。そんな同情的な想像をしつつ、私は過ぎて行く景色を眺めた。
柴田たちに脅しを持ちかけたのが彼女なら、東とも接点があるはずだ。援助交際を通して知り合った可能性も十分ある。
SNSを見る限り、宮嶋里依奈の毎日は充実している。欲しいものを買って、食べたいものを食べて、行きたいところに行って、人生を
彼女が持っているかもしれない裏の顔を想像すると、SNSに書き込まれた「幸せ」という文字が、そうではない現実の表れにも思われてくる。
東がただよわせていた自棄が彼女にもあるような気がして、少し物寂しくなった。
『この人は都内でカフェチェーンを経営しているから、レイさんのお店のことも相談しやすいかもですね。相手の年齢にこだわりってありますか?』
車のダッシュボードに置かれたレシーバーから、宮嶋里依奈の声が流れ出る。麗さんのかばんに仕込んだ小型マイクが拾った音声だ。
「真面目か?」
頭のうしろに両手を置いた瑠衣さんが漫才師のような口調で言いながら、運転席のシートにもたれた。
麗さん一人を車から降ろし、私たちは待ち合わせのカフェから少し離れた駐車場で宮嶋里依奈と麗さんのやりとりを盗み聞きしている。
「よごれていたのは、私たちの心だったのかも……」
私はそうつぶやいて、後部座席からダッシュボードをのぞき込んだ。思わず自分を疑ってしまうほど、宮嶋里依奈の提案は真剣だし真面目だった。彼女がカフェの開店を目指すレイに提示するのは、ただお金持ちというだけでなく、レイが求める知識や人脈を持っていそうな相手ばかりだ。パパ活という前提がなければ、事業のコンサルティングでも聞いているようだった。
「とはいえ、最終的にやることやるんだろ?」
「パパ活は食事とかデートだけっていうのも多いみたいですけど」
あけすけに言う瑠衣さんにネットで得た知識を披露してみるものの、自信はない。
出会ったばかりのレイに対する宮嶋里依奈のプレゼンは実直と表現するのが相応しく、うしろ暗いものを抱えている気配は
「そろそろだな」
麗さんが店に入って二十分くらい経っただろうか。言いながら、赤猫がスマホを取り出して耳にあてがった。
『あ……電話……ごめんなさい、いいですか?』
『大丈夫ですよ。どうぞ』
『はい、もしもし』
「俺だ。どこにいる?」
『……友だちとカフェ』
「よし。友だちに代わってくれ」
『本当に友だちだったら。……宮嶋さん、ごめんなさい。私の彼からなんだけど、本当に女友達といるのかって』
麗さんの声がレシーバーから聞こえてくる。なるほど、見事な小芝居だ。
『いいですよ。代わります』
宮嶋里依奈はにこやかな声で言った。
『もしもし』
「もしもし。北浦警察署の土田と申します」
『あっ……ええと、レイちゃんの彼氏さんですよね?』
赤猫は至って自然に土田さんの名前を持ち出した。宮嶋里依奈の声がかすかに動揺する。
「宮嶋里依奈さん。あなたは今、安全ですか?」
『……』
宮嶋里依奈が黙り込む。突然そんなことを聞かれて戸惑うのは当然だ。心当たりがなければ、一体なにを言われているのか意味がわからないだろう。
『……はい。たぶん』
わずかな間を置いて、宮嶋里依奈は頷いた。彼女は電話の相手が嫉妬深い彼氏ではないと気づいたし、質問の意図も理解したようだった。
『あの』
赤猫が次の質問をする前に、彼女は言葉を継いだ。さっきまでのハキハキした様子とちがって、その声には、かすかに怯えがにじんでいた。
『助けてください――』
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