15-2

 昼食のためにサービスエリアに立ち寄って、岩亀さんは結局フラペチーノをおごってくれた。


「飲みものくらい、ブランドバッグとはわけがちがうんだから」


 だそうだ。


「悪用されないでくださいね……」

「されないよ」


 私が案じると、岩亀さんはちょっとムッとした顔で答えた。心配だ。


「柴田くんから続報だ」


 そう言って、コーヒー片手に赤猫がスマホの画面に視線を落とす。


 三月も最終週、最後の日曜日とあって、サービスエリアはずいぶんにぎわっていた。コーヒーショップも混雑していたからテイクアウトにして、私たちは植木の前に並んで立っている。


 今日は風もなく陽射しもあたたかい。行き交う旅行者を眺めるとジャケットを着ている人はほとんどおらず、中には半袖の人もいた。


「ずいぶん協力的ですね」


 岩亀さんが眉間にしわを寄せながら自分のコーヒーに口をつけて、片手をポケットに突っ込む。赤猫が軽く肩をすくめた。


「相手方が自分の素性を掴んでいるとわかって、すっかり怯えてる。相談相手に忍野さんを紹介してやったが、俺のほうが話しやすいんだろ」


 少し前に見た柴田の情けない顔を思い出す。忍野さんなら彼ともうまくやれそうだが、うちとけるにはさすがに時間が必要かもしれない。


「それで、なにがわかったんですか?」


 私が説明を促すと、赤猫はちょっと首をかしげた。


「これも噂話だな。宮嶋里依奈は女の子にパパを紹介しているらしい」

斡旋あっせんってことすか」

「ああ。十九でなかなかやり手だな」


 赤猫の言葉に、岩亀さんが渋い顔をした。


「ちなみにさっき送った宮嶋里依奈のSNSだが、小山田さんが亡くなった翌日から投稿がピタリととまってる」

「本当だ」


 さっきのアドレスを開いてみる。赤猫の言う通りだった。それまではほとんど毎日更新しているのに、ここ数日は一件も投稿していない。


 最後の投稿の詳細を開くと「投稿ないけどどうしたの?」と、身を案じるコメントがいくつか寄せられていた。どのコメントにも返信はついていない。


「柴田くんが彼女を見かけたのが一昨日だから、失踪しっそうしているわけではないだろう」

「でも……」


 言いかけて、私は一度言葉を飲み込んだ。


 赤猫と忍野さんは、東の死には疑問が残ると言う。

 東が起こした誘拐事件に何人かの協力者がいたことは、すでに明らかだ。そのうちの一人が土田さんの後頭部を殴って気絶させ、東の逃亡を手助けした。そして恐らくその人物は、タクシーを放置した河川敷から廃ホテルまで単独あるいは複数で私を運び、東に引き渡した人物と一致すると考えられる。


 するとつまり、あの日、現場付近には東の車以外にも逃走可能な車両があったはずなのだ。東が森に逃げたあと、応援の警察官が到着して周辺を包囲するまでそれなりに時間があった。仲間がいたとすれば、その隙に東を連れて逃走できたのではないか。


――東を逃がすつもりがなかったとしたら。


 協力者の目的が東の逃走ではなく口封じだったとしたら、事故死に見せかけて崖から突き落としたのかもしれない。


「宮嶋里依奈が狙われる可能性は、ありますよね」

「そうだな。彼女が黒幕でなければ」


 私が冷静に言葉を選ぶと、赤猫は頷きながらスマホをポケットにしまった。


「下手に接触できませんね」


 岩亀さんがコーヒーを見つめてため息まじりにつぶやく。

 第三者の関与について、赤猫と忍野さんはある仮説を立てている。それは、南子さんを殺そうとした誰かが小山田さんと東を利用したというものだ。


 小山田さんは父の犯行動機として、南子さんとの不倫関係をほのめかした。南子さんだけ絞め殺す、つまり南子さんへの執着が見て取れるから、にせの証言として的確だったといえる。


 東と南子さんに接点がないとしたら、東がわざわざ南子さんの首を絞める理由は性的嗜好しこうくらいしか考えられない。けれど、東の目的は犬飼巧司に罪を着せることだ。忍野さんが犯人は非常に冷静だと言っていた。完璧に父の犯行に見せかけるには、興奮して我を失っている場合ではない。


 南子さんの首を絞めたのが東でないとしたら、まだ見ぬ何者かが真犯人なのか。それとも東の「児玉さんを殺した」という旨の証言を信じるなら、児玉さんを刺したのは東で、大翔くんと南子さんを殺害した人物が別に存在するのか。


 小山田さんが自分から児玉さんの殺害を持ちかけたとは考えにくいし、冷静に考えれば、あの東がこんなにまわりくどい手を使うのも奇妙なのだ。私と沙奈絵を誘拐したとき、沙奈絵のポケットにはスマートフォンが残ったままだった。それを考えても、東自身の仕事は非常に雑だし、短絡たんらく的だ。一連の計画を企てたのは、もっと用心深く計算高い誰か。そう考えたほうがしっくりくる。


 私はじっと思案して、気づけばフラペチーノは空になっていた。赤猫が私の手からひょいと空の容器を取りあげて、自分の紙コップと一緒にゴミ箱に捨てた。


「次の手は考えてある」




 赤猫の行動は早かった。

 宮嶋里依奈がに遭う可能性もある以上、のんびりはしていられない。死人は喋れないのだ。


 漆原邸に戻ってすぐ、赤猫はSNSを通じて宮嶋里依奈に接触した。ただし「レイ」というニックネームの、二十三才の女性としてだ。


〈はじめまして。レイといいます。二十三才のフリーターです。友だちから宮嶋さんの話を聞いてメッセージしました。私は高校生のときからカフェでアルバイトをしていて、いつか自分のお店を開きたいと思っています。私の夢を応援してくれる男性と知り合いたいです。お返事もらえないでしょうか。よろしくお願いします〉


 アカウントは作ったばかりだが、プロフィール写真は女子大生ふうのおっとりとした美女だ。このビジュアルなら支援を申し出る男性は山ほどいるだろう。


 その日の夜に宮嶋里依奈から返信がきた。投稿はとまっているが、メッセージのチェックはしているらしい。


〈はじめましてレイさん。素敵な夢ですね。私のお知り合いを紹介できると思います。まずはレイさんのことを詳しく知りたいので、一度お会いできますか?〉

〈お返事ありがとうございます。はい、もちろんです! バイトが月曜休みなので、できれば月曜日だと嬉しいです。ほかの日も夜なら大丈夫です〉

〈それなら私も明日フリーなので、お昼すぎに大宮か新宿のカフェでお会いしませんか?〉


 一度返信がくると、その後のレスポンスは迅速だった。赤猫が「仕事ができるな」と思わず感心していたくらいだ。宮嶋里依奈がパパ活を斡旋しているという噂は本当らしい。まさかボランティアではないだろうから、彼女にとっては立派なビジネスなのだろう。


 赤猫は早々に約束を取りつけて、翌日には宮嶋里依奈と会うことになった。


 結局、赤猫は私に依頼料を請求しなかったし、父からの謝礼も断った。乗りかかった舟とはいえ、事件の真相をつまびらかにしたとて残念ながら実入りはない。ほかの仕事を抑えれば収入も減るはずで、つまりこれ以上関わっても得はないはずなのに、彼はすでにこの事件を中心にスケジュールを組んでいる。


 千鶴子さんの厚意で家賃はあってないようなものらしいが、生活費はもちろん、事件に関われば経費もかさむ。妙にケチケチしたところもあるし、探偵業で十分すぎる収益をあげているようにはちょっと見えない。


 私は赤猫に救われたし、彼のお人好しには感謝しているのだが、事務所の経営状況にはほんのりと不安を感じる。千鶴子さんといううしだての存在は頼もしいが、ひょっとすると経営のサポートも助手の仕事のうちなのかもしれない。


「おはよう、ミケ子さん」


 一夜明けて、午前七時をすぎたころにアトリエへ足を運ぶと、車いすに座った千鶴子さんが紅茶を飲みながら本を読んでいた。上品に微笑みかけられて、思わず背筋がのびる。


「おはようございます」


 私はちょっと緊張しながら頭を下げて、軽く目を細めた。窓から差し込む光がまぶしかった。


 千鶴子さんは神庭ホールディングスの会長を務める御年七十才の実業家で、また、神庭家の一人娘という生まれついてのお嬢様だ。今日は豊かな白髪をゆるくひとつに束ねて肩から胸へ流し、シンプルなフリルつきのブラウスに黒い薄手のカーディガンを羽織って、それにえんじのロングスカートを合わせている。若作りにも見えかねないコーディネートだが、違和感はまったくない。


 実際に会うまで、ピリッとした厳しいおばあさまを想像していたのだが、それとは真逆のおっとりとした女性だ。穏やかで優しそうな印象の通り、慈善事業に出資するなど、篤志家とくしかとしての一面も持ち合わせているそうだ。


 千鶴子さんは少し前に階段で転んで、足を骨折してしまったのだという。退院はしたもののまだリハビリを続けていて、まったく歩けないわけではないが、今のところは補助的に車いすを使用している。


「暮らしに不便はない?」

「はい」

「気づいたらなんでも言ってちょうだいね」


 千鶴子さんの物腰は浮世離れして感じるくらい穏やかだ。箱入りのお嬢様がそのまま年を重ねた、そんなふうに見える。


 千鶴子さんははじめ、私を赤猫の恋人だと勘違いして、結婚式場を予約するところまで話を飛躍させた。赤猫の説明でなんとか誤解はといたが、まだうっすらと期待されている節がある。


「それと、これ。頼まれていたアルバム。赤猫さんに渡してちょうだいな」


 言いながら、千鶴子さんがテーブルの上の茶封筒を示した。


「ありがとうございます。お預かりします」


 アルバム? と思いながら手に取って、中身を半分引っ張り出してみる。都内の中学の卒業アルバムのようだ。


「おはようございます……」


 と、陽鞠が控えめにアトリエに顔を出した。

 ほかに用事がない限り、月曜と金曜の朝食と夕食は鈴村さんが用意してくれる。そのときは離れで暮らしている陽鞠も母屋で朝食をとるのだが、退院してからはその習慣に千鶴子さんも加わった。


 普段陽鞠は鈴村さんと一緒にキッチンで食事をとるが、ちょうど春休みで時間にゆとりがあるから、今日は千鶴子さんに誘われてアトリエにやってきたのだった。

 休日の陽鞠はニットにジーンズというラフな格好だが、それでもどうして華やかだ。


「ふふ。うれしいわ。私、ずっと娘が欲しかったの」


 私と陽鞠に順番に視線を送って、千鶴子さんが嬉しそうに微笑んだ。

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