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十四


 岩亀さんと話して、私の気持ちも少し落ち着いた。

 ベッドに戻ってすぐではなかったが、空が白む前にウトウトして、そのまま七時すぎまで夢も見ずに眠った。目覚めたときには頭も気持ちもだいぶすっきりしていた。


 朝食はホテルのラウンジで母と一緒にとった。同居人の東が私と沙奈絵を誘拐、監禁したとして、母も警察で聴取を受けたようだ。しかし母自身にうしろ暗いところはなく、東の目的も知らなかったし、小山田さんの自死と遺書も相当なショックだったらしい。今朝は終始ぼうっとして、食も進んでいなかった。


 そんな母に対してさえ岩亀さんはどぎまぎしていたから、以前赤猫が言ったように通常運転だったらひとたまりもなかっただろう。

 沙奈絵はひと晩経って岩亀さんにも慣れたのか、すっかり安心した様子だった。


 今日は私の話を聞かせてほしいということで、警察署を訪ねる予定になっている。母と沙奈絵をスイートルームに残して、私は赤猫と岩亀さんと一緒にホテルのロビーまで降りてきた。

 そのタイミングで岩亀さんに忍野さんから電話が入った。


「そうですか。わかりました、そっちに向かいます」


 岩亀さんの表情が強張る。よいニュースではなさそうだ。

 通話を切って、岩亀さんはひと呼吸おいてから振り返った。


「東が見つかったそうです」


 岩亀さんと赤猫がじっと視線で会話する。


「車まわしてきます」


 そう一言、岩亀さんが一足先に出て行った。

 東が見つかってよかったはずなのに、そういう空気ではない。


「ちょっと待っていてくれ」

「はい……」


 ロビーにしつらえてあるアンティーク調の椅子を引いて、赤猫がレセプションへ戻って行く。その背中を眺めながら、私は大人しく椅子に腰を下ろした。


 赤猫は年配の男性スタッフと何事か話しているようだった。記憶違いでなければ、前回ラヴァンドにきたときに入り口で迎えてくれた人だ。

 それほど長い会話ではなかった。男性が頷いてレセプションを離れ、赤猫もこちらへ戻ってくる。


「待たせたな。表に出ていよう」


 椅子を立って赤猫と一緒に中央ドアを出る。ちらりと赤猫の顔を見上げたが詳しく説明してくれる様子はなかった。一見いつもと同じ無表情だが、どことなくむずかしい顔をしているように感じた。


 ほどなくして岩亀さんが車をエントランスに横付けして、いつもは助手席に乗る赤猫が私と一緒に後部座席に乗り込んだ。


「忍野さんの話だと、滑落かつらくじゃないかと」

「こうなる予感はなかったわけじゃないが」


 岩亀さんの言葉に、赤猫がいつもの考えるポーズをとる。私が視線で訴えると、赤猫ははっきりと私の目を見つめ返した。


 赤猫がふうとため息をつく。


「口をきける状態じゃないんだろ?」

「無理ですね。死体は喋りません」


 問いかけに答えながら、岩亀さんがハンドルを切った。落ち着き払った声だった。


「……それって」


 思わずつぶやいたものの、聞くまでもなく状況が飲み込めた。

 一夜明けて、東晴樹は遺体となって発見されたのだった。




「このあたりから落ちたんでしょう」


 予定を変更して、私たちは私と沙奈絵が監禁されていた廃ホテルへ到着した。

 現場にはパトカーが並び、立ち入り禁止のテープが貼られている。廃墟と周辺の森一帯は現在進行形で捜査中で、ものものしい雰囲気につつまれていた。


 夜を徹しての捜索活動に加わっていた忍野さんは、疲れた顔で私たちを迎えた。そして東が足を滑らせたらしい崖上に案内してくれた。


 涼しげな水音がしている。崖の下は沢になっているようだ。


「水量は大したことないが、問題は岩場です。死因は恐らく脳挫傷でしょう」


 忍野さんの説明を聞きながら、赤猫が崖下をのぞき込む。

 そのとなりでそろりと首をのばすと、ゴツゴツした岩の合間に浅い流れが続いているのが見えた。ここから落ちたとしたら、間違いなく岩場に身体を打ちつけるだろう。


「夜は暗くて見えないでしょうね」

「ええ。事故の可能性も十分あります」

「都合がいいですからね。東が死ねば」

「そうなんですよ」


 赤猫の言葉に、忍野さんがため息をついた。


「念のため本人確認をお願いしていいですか」

うけたまわりましょう」


 崖下から足もとへと視線を移した赤猫が頷きながら顔をあげる。

 本人確認。私は思わず胸の前で手を握り合わせた。ぽん、と岩亀さんの手が私の肩を叩く。


「車に戻っていよう」

「でも……」


 東の顔が見たいわけでも、滑落死体が見たいわけでもない。けれど、この中で東を一番知っているのは私だ。


「大丈夫だ、東の顔なら俺もわかる」


 戸惑う私に言って、赤猫は忍野さんと連れ立って歩き出した。警察の事件を手伝うこともあるそうだから、こういう現場に慣れているのかもしれない。

 私は岩亀さんと一緒にその場をあとにした。途中、キープアウトのテープの向こうにカメラマンとマイクを握った報道関係者の姿が見えた。


 小山田さんの自殺も東の滑落死も、現実のはずなのに実感がない。ただ、人って簡単に死ぬんだ、とには落ちた。


 車に戻ってニュースサイトを見ると、すでに記事が掲載されていた。逃走中の誘拐犯が遺体で発見された、滑落死と見られる、速報だからそれだけの短い内容だった。


「無理しなくていいからね」


 岩亀さんは運転席ではなく後部座席に乗って、私のとなりに座っていてくれた。私は小さく頷いてニュースサイトを閉じた。

 東のことは、好きじゃない。そもそも東は児玉さんを殺して、父に罪を着せようと画策した。私たちはそのせいで散々な目に遭って、怖い思いもした。むくいと言えばそれまでだ。


 なのに、せいせいしたと感じてもいいはずなのに、そんな気持ちは湧いてこなかった。


 滑落現場を見たせいか、小山田さんの死よりはリアルだ。

 東は本当に死んだのだろう。


 悲しくはない。でも嬉しくもない。ただ……どこか、むなしかった。




 この日の出来事は全国ニュースで大々的に取りあげられた。


――知人女性の娘を誘拐し監禁、駆けつけた警察官を振りきって逃走した男の遺体が山中で発見された。滑落による事故死とみられるが、死亡した犯人は慧花情報大学同僚一家殺人事件にも関与していた可能性があり、警察が捜査を進めている。


 当日夕方のニュースは、どのチャンネルもだいたいそんな内容だった。

 一部のワイドショーではさっそく慧花大同僚一家殺人事件、つまり父が犯人として報じられた児玉さん一家殺害の事件について掘り返し、名前こそ伏せられていたものの小山田さんの自死と遺書にも言及した。


 警察は東の自宅を徹底的に調査した。しかし児玉さんの殺害を決定づける証拠は発見されなかった。

 また、小山田さんと児玉さんの横領も事実は確認できたが、小山田さんがなぜ金を使い込んだのか理由も用途も不明のままだ。


 そして犬飼巧司は、事件当日に児玉さんの家でなにが起こったのかをようやく語った。


 父はあの日、児玉さんから「借りた金を返済したい」と言われ、自宅に呼び出された。リビングのテーブルで児玉さんと向き合ってお茶を飲んだところまではおぼえているが、その後意識が途絶え、気がつくとテーブルに突っ伏していた。


 まず父の目についたのは、顔の真横に置かれたパソコンで打ち出したと思われるA4程度の紙だった。そこには父が取るべき行動と、指示に従わなければ家族に危害を加えるという脅迫文が記されていた。


 次に父が見たのは、リビングに広がる凄惨せいさんな光景だった。血まみれの南子さんと大翔くんが床に倒れていて、包丁を背中に刺したままの児玉さんがソファにうつ伏せにもたれていたという。


〈家族を同じ目に遭わせたくなければ〉


 白い紙にプリントされた無機質な文字が、父を動かした。父は指示された通り、児玉さんの背中から包丁を抜いた。


 凶器を抜いたはいいが、さすがに平然としてはいられなかった。父がふらふらとあとずさると、人の気配がして、それが小山田さんだった。小山田さんは激しく動揺して、悲鳴をあげ、転げながら逃げ出した。


 茫然自失ぼうぜんじしつとしていた父は我に返ると同時に、大翔くんを抱きかかえて小山田さんを追いかけた。その先は小山田さんから聞いた話と一緒だった。救急車が必要だと小山田さんに呼びかけて、父自身も混乱したまま近所の男性たちに取り押さえられた。


 しばらくしてある程度の冷静さを取り戻すと、父は〈余計なことを喋るな〉という指示に従って、かたく口を閉ざすと決めた。あとは私たちが知っている通りだ。


 父と南子さんの不倫関係や、父と児玉さんの金銭関係のもつれなど、犯行の動機ととれるような証言をしたのは小山田さんだった。しかし実際には父と南子さんには面識こそあるもののそれ以上の交際はなかったし、また、父は児玉さんに金を貸してはいたが、返済を催促したこともなければ期待もしていなかった。小山田さんはやはり、遺書にあったように嘘をついたのだった。


 東が私たち姉妹に対して取った行動を踏まえ、両事件の捜査内容と照らし合わせて、父の主張は全面的に肯定された。


 そして世間が東晴樹という真犯人の登場に夢中になる中、父はひっそりと解放された。


 東の死を知った母はしばらく気落ちしていたが、すぐに事実を受け入れて、取り乱しはしなかった。十年近く恋人だったはずなのに、意外だった。

 それとも母は東の危うさを知っていて、東がいずれ事件や事故を起こしたり、あるいは巻き込まれたりするかもしれないと予感していたのかもしれない。


 母は父の釈放をどう感じるのかと思ったら、再会の日、彼女は一目散に夫に駆け寄って抱きつき、子どものように泣きじゃくった。それからはまるで何事もなかったように、いや、むしろ以前に増して父にべたべたするようになった。


 母は本当に嬉しそうだった。少し前の私だったら、彼女の感情はまったく理解できなかったと思う。


 母のやけに冷めた態度は父を見限ったからではなく、信頼していた相手に裏切られたという、激しい動揺に対する防御本能だった。

 犬飼沙彩は恋多き女だが、彼女は夫をこの世で最も愛しているのかもしれない。だからこそ、犬飼巧司を生涯の伴侶として選んだのかもしれない。彼女の人生には数えきれないほどの恋人が存在するが、夫は今のところただ一人だ。そしてもしかしたら、彼女の生涯をかけて、夫はただ一人、犬飼巧司だけなのかもしれない。そんな気がした。


 東は彼女がいつか自分を一番に愛してくれると信じて、愛人関係を続けたのだろうか。そうだとしても、その日がくることはなかっただろう。

 そして東は、それに気づいたかもしれない。犬飼巧司をおとしいれても、彼はその代わりにはなれなかった。東は、彼女が気晴らしに訪れる、いくつもある庭のひとつにすぎなかった。彼女が必ず帰る場所には、なれなかったのだ。


 人はなにも知らない、まっさらな状態で生まれる。だから東も、はじめから歪んでいたわけではないのだろう。失敗と敗北を繰り返して、希望をことごとく失って、そして気づけば汚泥おでいに首まで浸かっていたのかもしれない。すがりつける糸もなく、沈むしかなかったのかもしれない。


 今思い出しても、東のことはやっぱり嫌いだ。嫌いだけれど、恨めなかった。東が母を好きにならなければ、起業に失敗しなければ、あるいは立ち直らせてくれる人やモノに出会えていたなら、ちがう未来もあったはずだ。


 そうすれば私だって、他人をこんなに嫌いにならなくて済んだはずなのだ。

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