13-4
ホテル高層階のバーラウンジは、夜中の一時まで営業しているらしい。岩亀さんが「本当に一杯だけだけど」と言うように、ラストオーダーに滑り込んでカウンター席の隅に並んで座った。ソファ席に二組ほどお客さんがいるが、カウンターには私たちだけだった。
気だるげにウイスキーのグラスをかたむける岩亀さんは、いつもより大人びて見えた。私は午前零時すぎの「シンデレラ」に口をつけて、手もとのカクテルグラスを見つめた。ノンアルコールカクテルというか、まごうことなきフルーツジュースだ。
「謝りたかったんだ、今日のこと」
カウンターに置いたグラスを見つめて、岩亀さんが切り出す。
「謝る?」
「あんなに近くにいたのに見失って、そのせいで怖い思いをさせて」
「とんでもないです。岩亀さんと忍野さんがいてくれたから、私も沙奈絵も無事で済んだのに」
感謝こそすれ、岩亀さんを責めるのはお門違いだ。実際、本当に一人で出かけていたら今ごろ……そう考えてぎゅっと自分の腕を抱きしめる。
私も沙奈絵も殺されていたかもしれないし、もし生きていたとしても死にたくなるような仕打ちを受けたかもしれない。私が絶望せずにいられるのは、赤猫と忍野さんと、なにより身体を張って救い出してくれた岩亀さんのおかげだ。
「本当にごめん」
岩亀さんが額を押さえてうなだれる。
そんなに自分を責めることじゃないのに。そのせいで眠れないのだろうか。
私が戸惑っていると気づいたのか、岩亀さんがため息をつきながら目もとを隠した。
「ごめん。そんなこと言われても困るよね。……ごめん」
「私は本当に感謝してます。岩亀さんがきてくれたから、ひどい目に
想像すると声が震えそうになる。この話題は嫌だな、と思いながら、でもお礼は伝えておきたい。あと何十秒か遅れていたら本当に取り返しがつかなかったはずだ。
「自分を責めないでください。本当に、感謝してるんです。ありがとうございました」
私の気持ちが伝わったかどうかはわからない。
岩亀さんは無言のまま、ウイスキーをぐっと流し込んだ。
「『大丈夫』を信じて、俺は、なにもしなかった」
吐き出された言葉を黙って受け取る。なんの話だろう。
「全然大丈夫じゃなかったんだ。彼女は巻き込まれて、苦しんで、自分で命を絶った」
「……」
「もう二度と、繰り返したくない」
たぶんそれは過去の話で、岩亀さんはその人と私を重ねたのかもしれない。
ふと小山田さんの顔が思い浮かぶ。自死のニュースを聞いたからだろう。
そしてそれはついさっき、私が想像した最悪の結末だった。あのまま誰も助けにきてくれなかったら、私もそれを選んだかもしれない。絶対に心折れなかったとは言いきれない。
岩亀さんが震えていた理由がよくわかった。あの瞬間、岩亀さんは最悪の結末を連想したのだ。
「わかりました。じゃあ、私が助けを求めたときは、絶対助けにきてください。今日みたいに」
大丈夫だと言っても安心できないだろうから、私はそう伝えることにした。
わざわざ家に泊まり込んだり、ボディガードを買って出たり、岩亀さんがなにかとお節介なのは強い後悔を抱えているからなのかもしれない。
赤猫が私を過去の自分に重ねているように、岩亀さんは助けられなかった人を私に重ねている。私を救えたら、きっと二人も少し救われるのだろう。
岩亀さんがゆっくりと顔をあげる。私はカクテルグラスの持ち手を両手で握って微笑んだ。えらそうな台詞で、ちょっと恥ずかしい。
「おいしいですね、シンデレラ」
私が照れ隠しにそう言うと、岩亀さんは泣き出しそうな顔で笑った。いつもの人懐こい印象に戻ったように見えた。
「情けないなあ。つらいのは美沙緒ちゃんなのに、気を遣わせて」
言ってから、岩亀さんは丸まった背筋をのばして、覇気を取り戻した。
「約束する。絶対に」
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