13-3

 岩亀さんの運転でホテルへ向かいながら、私と沙奈絵を助け出すまでの経緯を教えてもらった。


 河川敷に乗り捨てられたタクシーに私のスマホだけが残っていたところまでは、さっき聞いた通りだった。そのあとすぐに赤猫が合流して、忍野さんが誘拐事件として県警に通報する。そこへ休日の土田さんから岩亀さんに電話がかかってきた。


――嫁の実家にきてるんだけど、東らしき男が車に女の子を乗せてる。こんな山しかないところになにしにきたのか……大丈夫かな。


 土田さんが岩亀さんに電話をかけたのは、忍野さんが話し中だったからだ。

 余談だが土田さんには「ラッキー土田」という異名があるそうで、犬も歩けばではないがこういうがよくあるらしい。


 土田さんの連絡を受けて忍野さんが確認したところ、東の家に張りついている捜査員が東と沙奈絵の外出を目撃していた。ちなみに家の中には母と、例の薬物中毒の青年らが残っていたという。


 赤猫たちは土田さんを拾って、沙奈絵の位置情報を頼りに廃ホテルを目指した。その途中で沙奈絵から赤猫に通話が入った。沙奈絵は東が部屋に入ってくる直前に発信していて、赤猫はそれからのやりとりを電話越しに聞き、録音までしてくれていた。


 そして私が部屋を連れ出され、沙奈絵が助けを求めるのとほぼ同時に赤猫たちも現場に到着した。事態は急を要すると判断して、土田さんに応援の対応を任せると、赤猫、岩亀さん、忍野さんの三人ですぐに建物内に飛び込んだ。


 あとは私も知っている通り、保護した沙奈絵のそばに赤猫を残し、岩亀さんと忍野さんが私を助けに駆けつけてくれたのだった。


 東は階段を降りて、割れた窓から建物の外へ逃げた。忍野さんが追ったものの、森の中で見失ってしまったそうだ。所轄署からの応援は間に合わなかった。


 東を見失い、忍野さんが建物の入口へ戻ると、土田さんが倒れていた。ちょうど駆けつけた駐在所のお巡りさんが意識のない土田さんに呼びかけているところだった。

 土田さんはすぐに救急車で病院に運ばれて、やっと到着した応援部隊によって、東の捜索が開始された。捜索は引き続き、夜をてっして行われるとのことだ。


 土田さんの意識は無事に戻って、検査結果も今のところ問題ないらしい。突然うしろから殴られたので、土田さん自身もなにが起こったかわかっていないようだ。

 土田さんを殴ったのが東ではないのは間違いない。そのため、共犯者の存在が疑われている。


 タクシーが見つかった河川敷から廃墟まで、意識のない私を運んだのも東ではない。東は沙奈絵を廃ホテルの部屋に残して、沙奈絵の体感にして十分程度のわずかな時間姿を消した。そして私を連れて戻ってきたのだという。

 つまり、共犯者が私を運び、廃墟付近で東に受け渡したと考えられる。手を貸したのは行方知れずのタクシー運転手かもしれないし、まったく別の人物かもしれない。


「なつかしいな、神庭かんばホテル」


 ラヴァンドの客室から、岩亀さんが夜景を見渡してつぶやく。

 途中で眠ってしまった沙奈絵をベッドに運んでから、赤猫と岩亀さんと私はリビングルームに移った。千鶴子さんが手配してくれた部屋は前に赤猫と泊まったのと同じ、高層階のスイートルームだった。


 ホテルスタッフと赤猫のやりとりからもれ聞こえたところ、どうやら会長用の部屋らしい。ほかの部屋を都合するより、この部屋を使うほうが話が早いのだという。


「なつかしい……」


 私は岩亀さんの言葉を何気なく復唱した。思い出の場所なのだろうか。


「いや。美沙緒ちゃん、サンドイッチだっけ」


 はたと気づいた様子で振り返って、岩亀さんがテーブルに置かれたコンビニのビニール袋をのぞき込む。私が頷くと、岩亀さんはサンドイッチとペットボトルのお茶を机の上に並べてくれた。途中で買った今日の夕食だ。


「あの、明日のお仕事は大丈夫ですか」

「大丈夫、有休取ったから。今日ので俺も関係者だしさ」


 岩亀さんが自分の弁当を取り出しながら答える。そのまま赤猫の分もテーブルに並べて、遅めの夕食が整った。

 赤猫がソファに座るのを待って、私はサンドイッチの封を切った。食欲は湧かないが、少しくらい胃に入れておいたほうがいいだろう。


 しばらく誰も喋らず、私は黙々とハムサンドを咀嚼そしゃくした。顔にこそ出さないが二人も疲れているはずだ。

 今日の出来事を整理したいのに、頭が働かない。


「千鶴子さんは無事退院ですか」


 窓一面に広がる夜景をぼうっと眺めていると、早くも弁当を食べ終わった岩亀さんが、値引きのシュークリームを手に取りながら聞いた。


「ああ。もう家へ戻った。しばらくはリハビリを続けるそうだ。少しずつだが、自力歩行も問題なさそうだ」

「よかった」


 長引く話題でもなく、千鶴子さんの話はすぐ終わってしまった。


「よくきたのか?」

「はい?」


 そのまま事件の話題になるかと思ったら、無糖紅茶のペットボトルを片手に赤猫が岩亀さんに話を振った。


「神庭ホテルだ」

「……そうですね。よく行ったのは東京と京都のですけど、祖父と出かけるとだいたい。漆原監督と仲良かったですからね。花岡に越す前の話です」

「そういえば、岩亀さんと土田さんって同級生なんですね」


 ふと思い出して口をはさむ。花岡に越したということは、岩亀さんはもともとはこちらの出身なのだろうか。


「小中が一緒だったんだ。土田はお母さんが教育熱心で、都内の学校にかよってたんだよ。でも本人はお父さんと同じ警察官になりたいって、高校は地元に戻った」

「岩亀さんはご出身、東京なんですか?」

「そうだね。でも花岡のほうが故郷って感じだな。俺も土田と同じタイミングで越したから、子どもってほど子どもでもなかったけど……」


 言いかけて、岩亀さんは誤魔化すように笑った。


「現場で働こうと思ったのは遼志りょうじさんの影響もあるかな。花岡へ行かなかったら刑事にはならなかった。人生の転換点だね」


 遼志さん。何度か聞いた名前だ。


「遼志さん……」

「先輩のお父さんだよ。林警部補……俺の上司と同期で、刑事だった。俺は両親の離婚で花岡に越したんだけど、母親が仕事でほとんど家にいなかったから、なにかというと先輩の家にお世話になってさ。明るくて面倒見がよくて、こんな人が自分の父親だったらって思ったよ」


 そうなつかしむ岩亀さんの表情は、とてもやわらかかった。

 瑠衣さんから赤猫の両親はもう亡くなったと聞いているし、遼志さんは思い出の人だ。岩亀さんが遠くを見る目をしたのはそのせいだろう。


「お前のロールモデルなんだろうというのはたびたび感じる」

「そりゃあ……遼志さんは目標ですから」


 赤猫に淡々と指摘されて、岩亀さんが照れくさそうな色をにじませる。

 岩亀さんがモデルにしているとなると、やんちゃなタイプの人だったのだろうか。明るくはつらつとした赤猫を脳裏に思い描こうとしたが、気取っていない探偵はいまいちピンとこなかった。


 事件と関係ないお喋りは私の胸を少し軽くしてくれた。サンドイッチもなんとか食べきれそうだ。


 余分なことって、意外と大切かもしれない。



 遅い夕食のあと、一番にシャワーを使わせてもらう。ホテルについてから事件の話は結局一度も話題にのぼらなかった。


 シャワーを浴びたあとは、しばらくリビングでなにをするでもなく夜景を眺めていた。そのうち風呂上がりの赤猫に「今日は休もう」と促されて、私はベッドルームに引きあげた。


 だだっ広いベッドの片隅で、沙奈絵がぐったりと眠っている。ひどく疲れたにちがいない。悪い夢を見ないようにと願いながらそっと髪をなでる。深く眠っているのか、ぴくりともしなかった。


 私は沙奈絵のとなりに横になって、暗い天井を見上げた。さすがに薬の作用も切れたのか眠くなる気配はなかった。よく考えればさっきまで寝ていたんだし、眠れないのも仕方ない。


 シャワーの音はすでにやんで、リビングの明かりも消えている。赤猫と岩亀さんも眠ったようだ。


 形ばかり目を閉じてみる。思考をとめたくても、今日の出来事が断片的に去来きょらいして、頭の中でぐるぐる渦を巻いている。ふう、と憂鬱ゆううつなため息をついて身体を横向けた。長い夜になりそうだ。


 寝返りを打ってはため息をつく。何度か繰り返してから、水でも飲もうとそっとベッドルームを出た。二時くらいになったかと思ったら、まだ十二時前だった。


「眠れない?」


 備えつけの冷蔵庫に手をかけると、ささやき声がした。


「昼間、いっぱい寝たので」


 声をひそめて返すと、岩亀さんが窓際のソファから起き出してくる。

 岩亀さんは「俺もだめだ」とつぶやきながら、軽くシャツの襟を直した。常に車に着替えを乗せているらしく、昼間とはちがう水色のシャツだった。


「一杯ひっかけてこようかな。一緒にくる?」

「でも私、お酒は」

「それはだめだよ、もちろん。美沙緒ちゃんはジュース」


 ちらりとソファに目をやる。赤猫は眠っているようだ。

 悶々と寝返りを打っているよりマシかもしれない。私は岩亀さんを見上げて頷いた。

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