12-2

 自分自身の感情と戦っていると、若本さんが戻ってきた。私がまだ料理に箸をつけていないと見ると、彼はひどく申し訳なさそうに言った。


「すみません、お待たせして」

「いえ」


 少し時間を置いたおかげで、さっきより落ち着いている。若本さんが箸を取るのを見て、私もお吸い物のふたを開けた。

 感情がたかぶっているせいか、空腹を感じない。軽いものしか入らなそうだ。


「これから、美沙緒さんにもご協力いただくことになると思います」

「もちろんです。私にできることなら」


 頷いて、私は三つ葉とまりの形のが浮かんだ汁物に口をつけた。

 あれ、鈴村さんのお吸い物のほうが美味しい、と思ったらふっと気持ちが楽になった。


 私がふうと息をつくのを待って、若本さんが穏やかに切り出した。


「今日はお一人でここまで?」

「駅まで友だちときました。待ち合わせて一緒に帰る予定です」

「今はフィアンセとご一緒にお住まいと聞きましたが」

「はい。セキュリティのしっかりした家なので……」


 時間があれば泊り込んでくれる岩亀さんを思い出しながら答える。赤猫はどう見ても頭脳派だが、離れには庭仕事できたえた鈴村さんもいるし、悲鳴をあげれば誰かが駆けつけてくれるだろう。三分の二の確率で腕っ節も強そうだ。


「ならよかった」


 若本さんが親身な口調で頷く。先ほどの話の続きをする気はなさそうだ。

 今なら世間話程度に小山田さんの名前を持ち出してもおかしくない。そう判断して、私は緊張が表れないよう注意しながら茶碗蒸しを手に取った。


「そういえば、小山田さんとお知り合いなんですか」

「ええ」


 若本さんは爽やかに微笑んだ。


「相続や不動産のご相談も承っていますので」


 そうか、仕事を通じて知り合ったなら顧客の個人情報だ。

 私は「そうですよね」と相づちを打った。これ以上は追及できない。


「若本さんを紹介していただけて、本当によかったです」


 ひとまず話題を着地させる。自然にまとめられたはずだ。すると若本さんが表情に覇気をみなぎらせた。


「お力になれるよう、尽力させていただきます」


 若本さんの次の予定もあるだろうし、急ぐわけではないが、あまりのんびりもしすぎないよう和懐石を食べ進める。

 重要な情報交換はすでに終わってしまったので、若本さんはちょこちょこと父や家族のことを質問して、私がそれに答え、あとはほとんど世間話だった。


 料理に箸をつけるたびに「鈴村さんの料理のほうがおいしい」と感じるのは、この店の質が低いのではなくて、鈴村さんの腕がよすぎるせいなのだと思う。

 味が悪いわけではなく私自身の問題で、提供された料理の半分程度しか食べられなかった。もったいないとは思っても、水気の少ないものがどうしても喉を下がらない。見かねた若本さんがデザートをケーキからくず餅に変えてくれたので、それは残さずに済んだ。


 会計を済ませて表へ出ると、お店の人が呼んでくれたタクシーが待っていた。

 ちらりと顔をあげると少し離れた路上に黒い車が停まっていて、ビジネスマンふうの男性がすぐそばで電話していた。岩亀さんだ。すると運転席にいるのが忍野さんだろう。

 二人の姿を見て安堵してから、私はタクシーに乗り込んだ。


「また私のほうから、美沙緒さんに直接ご連絡させていただきます」

「ありがとうございます」

「お気をつけて」


 若本さんは会ってから別れるまで、常にハキハキとして爽やかだった。

 私がぺこりと頭を下げるとタクシーのドアが閉まった。


「どちらまで?」

「駅までお願いします」


 ちらりとバックミラーを見ると、岩亀さんが助手席に戻るところだった。同じくらいのタイミングで駅につきそうだ。


 ふう、と息をついて座席にもたれかかる。緊張がとけたのか、身体が重く感じた。

 帰ったらまず赤猫に報告して、と考えたところで、私の意識はふつりと途切れた。

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