11-2

「あいつらがあとをつけてきたんですか」

「ええ。彼らは犬飼巧司の知人の、東という男のもとに出入りしているようです」


 土田さんの問いかけに赤猫が答える。忍野さんが真剣な顔で腕を組み、するどい眼光で赤猫を見えた。


「赤井さん。凶器はその場にあった包丁で、一見衝動的だ。だが私は非常に冷静な犯行だと思う。あれは殺しを知っている人間の手口だ」


 忍野さんの言葉には、あてずっぽうとはちがう重みがあった。

 私はケーキにもコーヒーにも手をつけられず、じっとうつむいていた。


「犬飼は推理小説や刑事ドラマが趣味だったみたいですけど」


 張り詰めた空気をものともせず、土田さんがカップを手に取りながら言う。忍野さんがフウ、と長い息をついた。


「なるほど、それで人間の刺しかたを勉強したわけか。恐ろしいな」

「すみません」


 目をらしながら土田さんがコーヒーに口をつける。同級生ということは岩亀さんと同い年のはずだが、岩亀さんと比べると、ちょっと頼りない感じがする。


「本人が喋ってくれればいいんですがね。真実を語るというより、口を開くこと自体を恐れているようだ」


 土田さんがやわらげた空気を引き継いで、忍野さんもさっきより優しい口調になった。赤猫もコーヒーに口をつけて、でも、私はまだ手をのばせなかった。

 赤猫はいつものように抑揚の薄い口調で聞いた。


「忍野さんは、なぜ捜査から外れたんです?」

「別の事件で捜査本部が立って、そちらを担当してました。……と言うのは建前で、犬飼は現逮でしょう。だから外されたんでしょうね」


 コーヒーを飲み干して、忍野さんがカップをソーサーに戻す。


「嫌われてるんですよ。ややこしくするから」


 タイミングを見計らったように店主がおかわりを持ってきて、サーバーから空になったカップにコーヒーをそそいだ。


「新人さん、忍野さんを見習って立派な刑事になってくださいよ」

「あっ、はい、がんばります」


 急に話を振られて、土田さんがぺこっと頭を下げる。店主はにこりと笑って土田さんのカップにもコーヒーをつぎ足し、サーバーをカウンターへ戻しに行った。


「渡辺さん、さっきの続きを聞いてもいいですか」

「さっきの……なんでしたっけね」


 忍野さんが呼びかけて、店主が戻ってくる。渡辺さんというらしい。


「逮捕された男と一緒にきていた友人は、どんな人だったかおぼえていますか」


 赤猫が軽く身を乗り出しながらたずねると、渡辺さんは合点がいったようだった。


「ああ、そう、その話だ。色の白い、小太りの男でしたよ。その人はほかの人とも何度かきたね。だいたい金の無心むしんだから、あの人がくるとちょっと嫌だったな。最近はこないですねえ。最後に見たのは去年の夏ごろかな。それまでは毎月きてたんだけどね」


 多少忘れっぽくなってはいるようだが、渡辺さんの話しぶりはしっかりしている。引退はまだまだ遠そうだ。


「その男性がほかにどんな人ときていたか、記憶にありますか」


 渡辺さんは「えー」と悩んだような声を出して、禿げあがった頭頂部をなでた。


「そこまではねえ。一人でくるときもあったけど、一緒というとたいてい男性だったかな。ああいう人からはみんな離れて行くでしょ。いつもちがう人だった気がしますよ。だから犬飼って人はお人好しだなあって」

「夏、最後にきたときは、犬飼さんと一緒でしたか?」

「いや。ちがいました。……ああ、なんかね、ひ弱そうな人だったな。ひょろっとして大人しそうな男性。この人は断れないだろうなと思ったから、たぶん。眼鏡をかけてたかなあ。こんなまん丸の」


 渡辺さんは赤猫の質問に答えると、両手で丸を作ってそれを自分の目もとに持って行った。回答に自信はなさそうだが、日ごろから他人をよく観察しているようだ。

 忍野さんがウーンと唸った。


「さすがですね」

「人間観察じゃあないですけど、こういう仕事ですからねえ。特徴のあるお客さんだったから。でもあんまり、あてにならないですよ。もう年だから」

「まだまだでしょう。退職したら通いますから、続けていただかないと」

「ねえ。私も動けるうちはやりたいんですけど。いらっしゃいませ」


 三人組の若い女性客が入ってきて、渡辺さんが席を離れる。渡辺さんは私たちに気遣ったのか、女性客を入口に近いテーブルに案内した。高い声が増えて店内がにわかに華やぐ。


「もしかして、金を無心してた男っていうのが被害者ですかね」

「そうだろうな」


 土田さんが小声で言って、忍野さんが肯定する。確かに被害者の児玉さんは色白で小太りの男性だった。


「コーヒー、冷めちゃったろう?」

「大丈夫です。いただきます」


 忍野さんが突然私に話しかける。私はあわててコーヒーに手をのばした。


「すいませーん」


 女性客の澄んだ声が店内に響く。心臓が早鐘を打っている。私は自分を落ち着けようと努力しながら、ぬるくなったコーヒーに口をつけた。


「そういえば、大淵おおぶちくんは元気ですか」

「ええ。同級生だそうですね」


 土田さんがのんびりした調子で話題を変える。聞きおぼえのない人物名が登場したが、赤猫はすんなりと答えた。


「現場にいると聞いて驚きました。大人しくて勉強できる感じだったから」

「その面影はないですね。今は土田さんより頑丈そうですよ」

「マジか」


 土田さんと赤猫の雑談を聞きながら、忍野さんが無言でチョコケーキを指す。彼は続けてフォークを口に運ぶような動きをした。食べろ、というジェスチャーらしい。

 気は進まないがフォークで端のほうを切り分けて口に運んだ。飾り気のない、甘さを控えたビターなケーキだ。


 私がケーキをコーヒーで流し込むと、定年間近のベテラン刑事はニヤッと笑った。風貌ふうぼうこそ気むずかしそうだが、忍野さんの笑顔には親しみやすさがある。私が身構えているだけで、怖い人ではない、のだと思う。


「そうか、苗字が変わったんでしたっけ。岩亀か。かたそうですもんね」

「それは関係ないんじゃねえの?」


 土田さんの素ともジョークともつかない台詞に、忍野さんが合いの手を入れる。土田さんが「フヘヘ」としまりのない顔で笑った。指摘待ちのおとぼけだったらしい。


 にやにやする土田さんを見ていたら、こちらの気も抜けてしまった。

 緊張で詰まっていた胸が少し楽になる。食べられそうな気がしてきたので、再びケーキにフォークを入れた。


「ご挨拶のつもりが思わぬ収穫でした」

「土田くんはとにかく運がいいんですよ。それもひとつの才能ですね。へらへらしててたまには腹も立つが、思わぬところで役に立つから馬鹿にできない」


 忍野さんは赤猫に言って、おかわりのコーヒーに口をつけた。

 土田さんがちょっとむずかしい顔をする。


「それ、ほめてます?」

「もちろんほめてる」


 しばらくすると早めのランチ客が入って、三か所しかないテーブル席はすぐに埋まってしまった。私がケーキを食べ終えると、忍野さんが「それじゃあ、そろそろ」と席を立つ。私と赤猫も一緒に店を出た。


 忍野さんと土田さんは仕事の合間に時間を作ってくれたようだ。赤猫が言った通り、今日はおたがい顔合わせ程度のつもりだったのだろう。


「赤井さん、なにかわかったら教えてください。こちらも新しい情報が入ればご連絡します。ひとまず、東晴樹の家には捜査員をつけるよう手配します」

「よろしくお願いします」


 忍野さんと赤猫が軽く握手をかわす。

 さっきの男たちの車がないかと歩道に出て車道をのぞき込むと、土田さんもついてきた。路上には黒い軽自動車が一台停まっているだけだ。

 土田さんが「諦めたかな」とつぶやいた。


「土田くん」

「はい」


 忍野さんに呼ばれて土田さんが戻って行く。

 振り返ると、赤猫はすでにレンタカーの運転席に収まっていた。私も早足で駐車場へ戻り、助手席に乗り込んだ。


 走り出してからしばらくミラーを気にしていたが、例のシルバーの車は現れなかった。面が割れて怖気づいたのだろうか。


「こんな偶然、あるんですね」


 児玉さんがあの喫茶店をたびたび訪れて、父ときたこともあるとは。自宅や職場の近くでもないし、目立つ場所でもない。斜めにかけたシートベルトを握りながらつぶやくと、赤猫が「いや」と答えた。


「すぐそこに競馬場がある。被害者の日常的な行動範囲だろう。巧司さんの本にはずれ馬券がはさまっていたから、誘われて一緒に出かけたのかもしれない。ならあの店がいいだろうと忍野さんが提案してくれた」


 さすが忍野さん。そしてたった数時間の自宅訪問で本にはさまった馬券まで見つけたのだから、赤猫は赤猫で大したものだ。

 密かに感心していると、赤猫が片手で眼鏡を押しあげた。普段は裸眼だが運転時は視力矯正が必要らしい。


「前に、小山田という人が親切にしてくれると言ったろう。小山田さんと東に接点はあるのか?」

「いえ、ないと思いますけど……」

「沙彩さんと沙奈絵ちゃんを東の家へ送ったのは、小山田さんだったな」


 沙奈絵のメモにそう書いてあった。私は「たぶん」と頷いた。


「東が入居しているテラスハウスは二軒続きで、片方は空き部屋だ。友だちのものとは別に青い普通車が停まっていた。おそらく東の車だろう。あの男なら自分で迎えに行きそうなものだ」


 確かに赤猫の言う通りだ。たまたま予定が合わなかったとしても、時間や日程の調節はできたはずで、小山田さんを引っ張り出さなければならない理由はない。


「私とけんかして、母が無理を言ったのかも……東の都合が合わなかったから、小山田さんに頼んだとか」

「もちろんあり得る」


 そう言って赤猫は言葉を区切った。赤猫のことだからなにかしらの推測をしていると思うが、自分がどう考えているかは教えてくれなかった。

 どうして急に小山田さんの話が出てきたのだろう。そう考えて、はっと思い当たった。


「去年の夏、あの店で児玉さんと会っていた男性……」

「別にそれ自体は不思議じゃない。上司に金を貸してくれと頼む部下もいるだろう。しかし、そのあと児玉さんはあの店に顔を出さなくなった。事件は十二月だから、すぐに行けなくなったわけじゃない。理由は色々考えられるが、例えば……」


 そこまで喋って、赤猫は黙ってしまった。横顔を見つめると、どうぞ、とでも言うように左手が私のほうに差し出された。


 「例えば」とつぶやいて、私は正面を向いた。


「小山田さんから、お金を借りることに成功したから」

「そうだな。しばらく困らない程度の金を引き出したのかもしれない。大学の職員名簿を調べたが、小山田さんは総務課長で、被害者の直属の上司だ。巧司さんは学生課だから、職務上では小山田さんとの結びつきは強くない。もともと家族ぐるみでつきあいがあったわけでもないのに、事件後、小山田さんは君たちに急に親切になった」

「例えば……小山田さんが、父に、児玉さんの殺害をもちかけた……」

「考えられなくはない。被害者が小山田さんの弱みを握って強請ゆすった可能性もゼロとは言いきれないしな。ただ、現時点ではどれも根拠のない空想だ。小山田さんの周辺も調べてみるべきだろう」


 私はシートベルトをぎゅっと握った。疑心暗鬼におちいりそうだ。

 ほどなくして、赤猫は車を公園の駐車場に停めた。公園と言っても遊具はなくて、ジョギングやウォーキング向きの運動公園だ。


「さて、次の待ち合わせだ」


 そう言って赤猫は発信ボタンを押して、スマホを耳にあてがった。

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