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十一


 翌日、私たちは予定通り午前九時にホテルを出た。

 今日はだます相手はいないというので、私は麗さんが選んでくれたオフホワイトのカットソーと黒いジャンパースカートに着替えて、装いも気持ちもずいぶんカジュアルになった。


 天気予報で四月下旬並みの気温になると言っていた通り、今日は朝からあたたかい。レンタカーのハンドルを握る赤猫も上着を脱いで、紺色のシャツとベスト、それからネクタイという出で立ちだった。昨日より探偵感じがする。


 鈴村さんは自分の仕事があるので、今日は別行動だ。昼すぎに合流して一緒に漆原邸へ帰る約束になっている。


「執念深いが詰めが甘いな」


 黙って助手席に座っていると、赤猫がぽつりとつぶやく。赤猫は正面を向いたままバックミラーを指さした。ミラーを見ると、うしろにシルバーのコンパクトカーがつけていた。


「もしかして、昨日の?」

「ホテルのそばで張っていたんだろう。ご苦労なことだ」

「……なにがしたいんでしょう」


 赤猫の正体を怪しんで母や沙奈絵を案じていたとすれば、昨日の尾行にはまだ納得がいく。けれど二人は無事に東のところへ戻ったし、私と赤猫をつけまわしてなにが得られるというのだろう。

 赤猫は「さて」とつぶやいて左折した。やはりうしろもついてくる。


「俺か君に興味があるか、俺たちの行動が気になるのか」


 しばらくして赤猫はせまい駐車場に車を停めた。私たちの車が収まって、三台分ある駐車スペースのすべてが埋まった。うしろからついてきた車は昨日と同じように通りすぎて行った。

 車を降りると小さな看板が目に入る。喫茶店のようだ。朝七時から営業しているらしい。


「赤井さん?」


 駐車場とカフェの外壁のあいだに、ワイシャツ姿の男性が二人並んで立っている。一人は赤猫より少し若く見えて、もう一人は五十代くらいだろうか。二人とも黒髪で、細身だった。

 若いほうが赤猫に声をかける。男性たちに歩み寄りながら、赤猫も相手を確かめた。


土田とださんですか」

「はい。北浦きたうら署の土田です」

忍野おしのです」


 北浦署。つまり二人とも警察官だ。


「実は、朝からつけられていまして」

「なるほど、さっきの車かな。中に入りましょう。ここはコーヒーが美味いんです」


 赤猫が端的に伝えると、忍野と名乗った年配の男性が先立って歩き出す。赤猫がそれに続いて、立ちすくむ私に土田さんが先に行くよう手振りした。

 どことなく貫禄のただよう忍野さんに比べて、土田さんはちょっと気の弱そうな、至って普通のサラリーマンに見えた。


「ごちそうさまでした」


 店内に入ると、ちょうど若い女性客が会計するところだった。


「はい、ありがとうございました」


 女性客が出て行って、七十はすぎていそうな店主がこちらに目を向ける。と思うと、ニコッと笑顔になった。


「忍野さん。久しぶりじゃないですか」

「こんにちは。しばらく忙しくて。奥の席、いいですか」

「どうぞ、どうぞ。好きなところに」


 忍野さんの行きつけの店らしい。ずいぶん親しいのか、マスターはにこにこ笑って嬉しそうだった。

 古風と言えば聞こえがいいが、店内はやや古ぼけてほこりっぽい印象だった。奥に向かって縦に長いつくりだ。


 私たちは忍野さんの先導で一番奥のテーブルについた。インテリアはどれも年季が入っていて、テーブルは端のほうが少しささくれていた。


慧花けいか大職員の事件は私も気になっていたんですよ。残念ながら捜査から外されましてね。今日は土田くんに無理を言ってついてきました」


 忍野さんの言葉にドキッとする。慧花大職員の事件、つまり父の事件だ。捜査、というと、土田さんと忍野さんは北浦署の刑事なのかもしれない。


「いやぁ、忍野さんがいてくれれば心強いですよ」


 土田さんがへらへらと笑う。キラリと手もとでなにかが反射した。結婚指輪だ。

 土田……どこかで聞いたことがあると思ったら、岩亀さんが話していた同級生がそんなような名前ではなかっただろうか。新婚だとかなんだとか言っていたような気がする。


 まだなにも注文していないのに、店主が四人分のホットコーヒーを持ってやってくる。店主はトレンチをテーブルに置いて、まず私の前にチョコレートケーキを置いた。


「そうそう、慧花大の職員って言えば、逮捕された犬飼って人、この店に何回かきたことあるんだよ」

「えっ……」


 思わず顔をあげると、人のさそうなおじいさんがきょとんとする。


「チョコレート、嫌いかな?」

「いえ……」

「じゃあ、どうぞ。サービスだからね」

「ありがとうございます」


 店主はにこりと微笑んで、今度はコーヒーの配膳にとりかかった。


「忍野さんがきたら、話そうと思ってたんだけど」

「もっと早くくるんだったなあ」


 忍野さんの合いの手に続いて、カフェの店主はトレンチを胸の前に立てながら話しはじめた。


「あの人ねぇ、あんなことする人に見えなかったですよ。一緒にきた友だちから金を貸してくれと頼まれて、そういう身持ちじゃ奥さんと子どもが可哀そうだと、まあ親身になってさとしていてね。友だちのほうはろくでもなくて、どうも賭け事で生活費まで使ってしまうらしかった。借金もあるらしくて、あの人、よく言い聞かせた後に結局貸してやるんだよ。それが二、三回あってさ。善人が食いものにされてるようで嫌だなあと思っておぼえていたんですよ。テレビじゃずいぶん悪く言われてたけど……いらっしゃいませ」


 ドアベルが鳴って、店主が振り返る。二十代と三十代くらいの男性二人組だ。若者のほうは髪を明るく染めて、年上のほうはスキンヘッド、どちらもいわゆるストリート系のファッションだった。


「マスター。またあとでゆっくり」


 来客を案内しようとした店主に忍野さんが呼びかける。店主は忍野さんを振り返ってぺこりと頭を下げた。


「……あ?!」


 声をかけながら通路に身を乗り出して、忍野さんが大きな声を出す。何事かと視線の先をたどると、今入ってきた、おそらく私たちをつけてきた男たちがギクリと身体をかためて突っ立っていた。


「なんだ、関根じゃないか。出所てきたのか」

「あ、は、はい」

「どうした、痩せたな。ちゃんと食ってるのか?」

「あは、バイト暮らしで……あは」

「ここはオムライスが美味いぞ」

「や、ちょっと、コーヒーでも飲もうかなって……」


 若い男が忍野さんの問いかけにしどろもどろに答える。いかにも不意を打たれた様子だった。


「あ、テイクアウトとか、できないっすかね」


 長居は無用と判断したのか、男は店主に視線を移した。


「紙コップでよければ。本当はやってないけど」

「じゃあ、それで。二つ」


 店主がカウンターへ戻るのを見送りながら、男はそわそわとポケットから財布を取り出した。連れの男も黙ったまま、メニューを見るふりをしてそっぽを向いている。

 忍野さんがコーヒーを片手に席を立って、男たちに歩み寄った。


「俺も年だ。ぼちぼち定年だよ」

「そうなんですね」

「お前、いくつになった?」

「二十八です」


 忍野さんはカウンターに寄りかかって世間話を続けた。若い男は忍野さんに答えながら、そわそわした様子で店主の手もとに視線をやった。


「そんなに大きくなったのか。だが二十八なら、まだまだこれからだ。十分立て直せる。諦めずにしっかりやれよ」

「はは……」

「困ったら相談にこいよ。いつでもいいから」


 忍野さんの声には温もりがあった。刑事というより、教師のような雰囲気だ。若い男は誤魔化すように笑って頭を下げた。


「はい。お待たせしました」

「……っす」


 男は用意していた現金でぴったり支払うと、店主からコーヒーを受け取ってそそくさと忍野さんに背を向けた。


「ありがとうございました」


 カランカランとドアベルを鳴らして、男たちが店を出て行く。老店主の穏やかな声が二人を送り出して、忍野さんも奥の席へ戻ってきた。


「知り合いですか」

「薬物の常習ですよ。私は少年課にいた時期がありましてね。そのとき知り合って、悲しいかな長いつきあいです」


 椅子を引いた忍野さんに赤猫が聞く。返ってきた言葉にゾッとした。

 赤猫の推察が正しければ、今の二人は東の仲間だ。


「あの様子は、またやっていそうだ」


 忍野さんがコーヒーカップを置いてため息をつく。

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