9-3

 拘置所こうちしょの面会室で再会した父は、少し老けたように感じた。余計な肉が落ちて頬がげ、目もとにはくっきりとくまが刻まれている。白髪も増えていた。


「美沙緒……」


 私を見るなり、父が張り詰めた声を出す。


――久しぶり、体調はどう?


 私は用意していた台詞を飲み込んだ。普段ちょっとやそっとでは動じない父が、目を見張って動揺している。私が着飾っているからでも、知らない男を引き連れているからでもなさそうだ。


 父はまるで幽霊でも見るような顔をして、声色もひどく深刻だった。


「私だよ。どうしたの」


 できるだけ平静を装って、返せたのはそれだけだった。

 父は泣き出しそうな顔で私を見つめ、唇を噛んでうつむいた。


「久しぶり。体調はどう」


 私は呼吸を整えてから、道すがら胸のうちで何度も繰り返したフレーズを持ち出した。うつむいた父は首を横に振った。


「どこか具合悪い?」

「……」


 父はうなだれたまま、押し黙った。一体どうしたのか、こっちも不安になってくる。


「犬飼さん。はじめまして。赤井と申します。今、美沙緒さんは私が安全な場所でお預かりしています」


 赤猫の言葉を最後まで聞いて、父が顔をあげた。


「嫌がらせがひどいというので、心配になって私の家に呼びました。少し前から同居させていただいています。ご挨拶が遅れて本当に申し訳ありません」

「……あなたは」


 父の眼差しに不安と疑いの色が差す。赤猫は背筋をのばしたまま、父を見つめていた。


「赤井小虎と申します。美沙緒さんとは健全なおつきあいをさせていただいています」

「美沙緒と……」

「ご挨拶が遅くなりましたが、今日は美沙緒さんとの婚約をお許しいただきたくて、おうかがいしました」

「……赤井さん」

「お父様のお許しがあってもなくても、美沙緒さんとご家族は私が守ります。なにがあっても、必ず。それは婚約とは別の話と思ってください」

「……」


 赤猫の詐欺師ぶりは今日も絶好調だった。父は一瞬困惑した様子を見せたものの、すぐに表情を引き締めた。


 二人が見つめ合ったまま沈黙する。しばらくそうしていて、沈黙を破ったのは父だった。父はぐっと身体に力を込めて、低い声でつぶやいた。


「美沙緒は、泣かない子です」

「……そうですか?」


 赤猫が顎に手をあてて思案のポーズを取る。演技ではなく素に見えた。

 雨の夜に、すがりついて一生分くらい泣いた記憶がよぎる。赤猫もそれを思い出しているのだろう。


 ちがう、あれは例外だ。


 誰にも言えない秘密をあばかれたような気持ちがして、カッと顔が熱くなった。

 父は押し黙って私の目を見た。嘘がばれるのではと緊張しながら、私も口を結んで父の目を見つめ返した。

 父の疲れた瞳にほんの少し光が戻る。父は不意に、頭を深く下げた。


「……赤井さん。どうか娘を、よろしくお願いします」

「はい」


 赤猫がはっきりと頷く。父はしばらく頭を下げたままでいた。その姿があまりにも切実で、じわじわと罪悪感が込みあげてくる。


「こんな父親は……いないものと思ってください」


 父が覚悟を決めたような声で言う。強張った肩が小刻みに震えていた。

 赤猫は無表情に父を見つめて、ゆっくりと口を開いた。


「……私の家族は、私が美沙緒さんくらいのころに亡くなりました。父は警察官だったんです。責任感が強くて、やや熱血がすぎて、でも誰にでも優しい人でした」


 赤猫の語り口はとても穏やかだった。


「はじめは事故だと聞かされましたが、最終的に無理心中ということでした。父が妻と次男をあやめて、自身も命を絶ったのだそうです。到底信じられませんでした。……死人はみずから語れません。父の口から真実が語られる日は永遠にこない。本当に父が犯した罪なら、仕方ありません。けれどそうでなかったら、真犯人を野放しにしてしまったのかもしれない」


 赤猫は淡々と語った。瑠衣さんの話はもっと大ざっぱだったが、筋は同じだ。口調がだんだんと詐欺師から普段の赤猫に戻ってくる。


。あなたは死体ではない。真実を語れます」


 黙って聞いていた父がほんの少し首を持ちあげる。まだうつむいているが、かたく結ばれていた唇がうっすらと開いたように見えた。


「えらそうに、すみません」

「……いいえ」


 ささやいて、父はゆっくりと顔をあげた。じっと赤猫を見つめる瞳に、落ち着きが戻ったように見えた。


「……赤井さん。弁護士の若本先生から、妻と、下の娘が後輩の東くんの世話になっているようだと聞きました」

「ええ。お母さまとお電話でご挨拶させていただいて、そのようにおうかがいしました」

「変わりはありませんでしたか」

「奥さまも沙奈絵ちゃんも元気そうでしたよ」

「そうですか。それならいいんです……」

「なにかご懸念が?」


 赤猫にそう聞かれると、父はちらりと私を見た。それから目を伏せて、せり出したテーブルの上で不安げに手を組んだ。


「東くんは、私を恨んでいるんです」

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