7-4

「お母さんの件、どうなりました?」


 二杯目のごはんを掻き込みながら、岩亀さんがたずねる。そういえば朝食のときも残ったサラダをボウルごと抱えてバリバリ食べていた。身体の大きさを考えると私の二、三倍は食べるのかもしれない。


「連絡がついた。意思に反して連れ去られたわけではなさそうだ。娘を預かるのも問題ない」

「彼氏って設定で大丈夫だったんすか?」

「むしろそれで上手く行ったな。お前のほうは?」


 赤猫はそれ以上説明せず、質問にまわった。


「連絡つきました。土田とだっていう中学の同級生で、ちょうど去年から北浦きたうら署に配属になってました。情報もらえそうです」


 きびきびと答えて、岩亀さんは残りわずかになったグラタンにスプーンを差し入れた。白米はすでに平らげたので、これが正真正銘、最後のひとくちだ。


「はぁ。最高だ。俺、このホワイトソースという食べものがこの世で一番好きなんですよ」


 グラタンをすくいながら、岩亀さんがうっとりと嘆息する。


「彼女がはじめて振舞ってくれる手料理がグラタンだったら、これもう結婚したなって思うじゃないですか。そのくらい好きなんですよ、わかります?」

「わからん」

「もう先輩でいいから嫁にきてほしい。鈴村さんでもいい。聞いてくださいよ、土田のやつ、新婚だって言うんですよ。頼んでないのに奥さんの写真送ってきて、しかも可愛いんですよ」

「そんなに結婚したいなら婚活でもなんでもすればいいだろ」

「先輩はすぐ正論を振りかざす……!」


 急に嘆き節になった岩亀さんを、赤猫がうっとうしそうに相手する。赤猫は常に淡々としているから、岩亀さんがいるとにぎやかだ。


「俺よりも本日のシェフを口説くほうが建設的だぞ」


 面倒だから押しつけるつもりなのか、赤猫が私を巻き込んだ。

 岩亀さんの手がとまる。


「お口に合ってよかったです」


 ぺこりと頭を下げると、岩亀さんが金魚のように口をぱくぱくさせた。そして、黙っていればいいのに、案の定しどろもどろに余計な発言をしてしまった。


「……け、結婚、する?」


 ジョークとしてはまあまあだが、なにかとハラスメントが話題になる昨今、相手によっては悲劇が起こりそうだ。


 私は真顔で首を横に振った。


「ちがう……ちがうんだ……どうして俺はこう……」

「黙っていればいいものを」


 赤猫の言う通りだ。


「大丈夫です、全然気にしてないので」

「だそうだ。よかったな」

「本当にごめん……」


 両手で顔を覆って嘆く岩亀さんを横目に、赤猫が私にスッとスマートフォンの画面を向けた。


〈弁護士の若本さんの連絡先です〉


 母からのメッセージだ。

 充電中の自分の端末を回収して、電源を入れてみる。新着メッセージはない。

 私は提示された画面を見ながら、自分のスマホに若本さんの番号を登録した。


「若本哲也てつや。刑事事件に強い弁護士だな」

「へえ……」


 私はあいまいに相づちを打った。小山田さんが紹介してくれた人で、詳しくは知らない。

 私が若本さんと直接顔を合わせたのは一度きりだ。はつらつとした、爽やかな男性だった。赤猫と同じくらいか、少し年上だろうか。


「ごちそうさまでした」


 なんとか立ち直った岩亀さんがグラタンの最後のひとくちを片付けて、深々と頭を下げる。


「これからどうします」

「近いうちに犬飼巧司こうじ本人の話を聞きに行く」


 岩亀さんがコーヒーカップを引き寄せながら切り出すと、赤猫がそう答えた。犬飼巧司、つまり、私の父親だ。


「俺も都合つけましょうか」

「いや、大丈夫だ。必要なときは連絡する」

「了解っす」


 岩亀さんが冷めたコーヒーを飲み干す。おかわりを持ってこようと腰を浮かせると、赤猫が視線をよこした。


「ミケ子。風呂は先とあと、どっちがいい」

「どっちでもいいです」

「それじゃあ入ってくるといい」

「……わかりました」


 赤猫と岩亀さんの顔を見比べながら素直に従う。二人だけで話し合う時間が必要なのだろう。

 どんな内容かまったく気にならないわけではないが、私は加害者の家族だし、そうでなくても一般人の前ではできない話もあるはずだ。


 父の犯行について、私はニュースと同程度の知識しかない。小山田さんから犯行直後の現場や父の様子を聞かせてはもらったが、小山田さんも動転していただろうし、冷静で客観的な情報ではない。


 私は、なるべくゆっくりシャワーを浴びて時間を稼いだ。

 浴室を出ると髪をドライヤーでしっかり乾かし、パジャマ代わりに持ってきた学校指定の紺色のジャージに着替える。これだけ時間があればゆっくり話せたはずだ。


 居間へ戻ると、話し声はやんでいた。


「お風呂、ありがとうございました」

「おかえり」


 廊下から座敷をのぞき込むと、岩亀さんが振り返る。手に持ったコーヒーカップから湯気が立ちのぼっていた。

 時刻は八時半をまわったところだ。


「先輩、どうぞ。俺は最後でいいっす」


 さりげない一言に、私と赤猫は揃って岩亀さんを見た。


「やっぱり今日も泊まります。昼間みたいなことがないとも限らないし、いられるときは一緒にいますよ。帰りが不規則なんで、できれば合鍵欲しいんですけど」

「お前は……そういうところだ。あまり入れ込むんじゃない」

「後悔してからじゃ遅いんですよ」


 赤猫と岩亀さんがじっとにらみ合う。岩亀さんの横顔はかたくなだった。

 はあ、と赤猫がため息をつく。先に折れたのは先輩だった。


「ミケ子。とりあえず今日は、昨日の部屋を使ってくれ」

「わかりました。……あの、朝食って何時ごろ用意したらいいですか」

「先輩、俺やっぱここに住みます」

「朝食は各自なんでも適当に食え。ミケ子、こいつになにか頼まれたら必ず金を取れ、金を。いいな」

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