6-3

 写真撮影は思いのほか難航した。


 まさか裸でなくてもよいだろうと適度に身ぐるみを剥がされた状況を再現し、なるべく顔を映さない角度で撮り、かつ、やらせに見えないよう注意を払う――言うのは簡単だが、これが意外とむずかしかった。


 そして臨場感を求めて、嫌がる岩亀さんに無理強いして私のカットソーを引っ張らせた結果、着古した普段着が見事に破れ、手間取った分それらしい仕上がりになった。


「ギブアップだ」


 私の手がとまったのを見計らって、赤猫がチョコレートパフェを岩亀さんのほうに押し出す。


 私たちが犬飼家を引きあげたのは正午をすぎてからだった。昼食は午後二時近くになってから、下りのサービスエリアのレストランで岩亀さんにうどんをおごってもらった。服を破ったお詫びにとデザートまでつけてくれたので、私は満腹と戦いながら、こってりとしたチョコレートパフェを崩している。


「でも、もったいない……」


 突き刺さったブラウニーを片付け、チョコレートソースがたっぷりかかったクリームも攻略したのだが、まだ半分以上残っている。しかし、もったいないと心から思うのに、次のひとくちに手がのびない。


「責任は岩亀くんが取る」


 赤猫が私の手からデザートスプーンを取りあげて、バニラアイスに突き刺す。岩亀さんはしゅんとしながら食べかけのパフェを引き寄せた。


「ごめんね、なんか無理させちゃって……」

「食べられると思ったんですけど……すみません。でも、パフェなんて久しぶりだから、嬉しかったです」


 明らかに気落ちしている岩亀さんをそう励まして、はからずも本心だと自分自身で気がついた。外食なんて、いったいいつぶりだろう。


 ランチタイムはすぎたし、平日だから旅行客も少ない。少し離れたソファ席で談笑していた女性グループが席を立つと、レストランの客は私たちだけになった。


「いくつか質問してもいいか?」

「はい」


 しょぼしょぼとデザートスプーンを引き抜く岩亀さんを眺めながら、赤猫が切り出した。


「まず小山田という人物だが、この人から留守電が三回。昨日の昼と夜、今朝だ。内容は三回とも同じ。みんな心配しているから沙彩さんに連絡するように、だそうだ」


 赤猫が胸ポケットから二つ折りになったメモ用紙を取り出す。家を出る前に渡した、沙奈絵の机の下に落ちていた書きかけの手紙だ。赤猫はメモをテーブルに置き、小山田さんの名前を指先で叩いた。


「父の職場の人です」

「つまり、慧花けいか情報大学の職員ですね」


 私の回答を岩亀さんが補足する。


「以前から親しいのか?」

「家族ぐるみでつきあいがあったわけではないです。身近になったのは事件のあとからですね……」


 丸眼鏡をかけた優しい風貌ふうぼうの小山田さんを思い浮かべながら、私は手もとのグラスを見つめた。


「沙彩さんというのが君の母親か?」

「そうです。母が沙彩で、妹が沙奈絵です」

「心配してるなら、向こうから連絡よこしてもいいと思いますけどね。連絡できない理由でもあるんでしょうか」

「心配してるのは小山田さんと沙奈絵で……母に関しては私の貯金箱まで持って行くくらいだから、むきになっているんだと思います」


 私がそう答えると、岩亀さんは困った顔で頭を掻いた。

 赤猫が思案するようにトントンとメモを叩く。


「それはそれで筋が通ってる。事件のあと、父親とは会ったのか?」

「……はい」

「なにか言っていたか」

「すまない、とだけ……」


 赤猫の問いかけに、私は頬のこけた父を思い出した。


 逮捕後、やっと面会できた父は顔色も優れず疲れ果てた様子で、それでもいつもと同じように口をへの字に結んでいた。そしてじっと押し黙って「すまない」の一言以外、ろくに喋らなかった。


「つまり、罪を認めた?」

「いえ……」


 私が言葉をにごすと、赤猫の指先がトン、とテーブルを叩いてとまる。

 言うべきか言わざるべきか迷って、私はグラスに浮かぶ氷を見つめた。


 あのとき、父は私になにか伝えようとした、と思う。けれどそのサインは、言葉もはっきりとした動作も伴わなかった。


「私、本当にやったのかと聞いたんです。父はなにも言いませんでした。口をへの字にして、じっと見つめるだけ。言いたいことがあるけど黙っているとき、昔からそういう顔をするんです」

「娘の君から見て、お父さんが言い出せないのは質問への肯定か否定か、どちらだと思う」


 赤猫の質問に、私はうつむいて首を横に振った。


「……私は……やってないって、言ってほしいから」


 私の目を通せば、どうしても希望的観測になってしまう。客観的な判断はむずかしい。


「それでいいじゃないか」

「……」


 赤猫は机の上のメモを折り目通りにたたんで胸ポケットに戻した。

 コーンフレークをバリバリ噛み砕きながら、岩亀さんが話を進める。


「母親への連絡はどうします」


 それに頷いて、赤猫は再び私に顔を向けた。


「ミケ子。いくつか質問するが、セクハラじゃない。訴えるな」

「とんだパワハラすね」

「……訴えません」

「よし。彼氏はいるか」


 私は赤猫の目をじっと見返した。ふざけているわけではなさそうだ。


「いないです」

「どれくらい?」

「……生まれてから今日までです」

「君の母親は男女の交際にうるさいタイプか?」

「ではないと思います。そもそも本人が恋愛体質なので……」

「俺は君の守備範囲内か?」


 赤猫の質問に、パフェを掻き込んでいた岩亀さんが咳き込む。私は不信感をあらわに赤猫を見た。


「俺が君の恋人だと名乗り出て、あまりにも現実離れしていないかということだ」


 赤猫が真面目な顔で補足する。


 気を取り直して、私は改めて目の前の大人を観察した。もし友だちの彼氏として紹介されたら「素敵な人だね」と素直に答えるだろう。年齢差も親子ほどあるわけではない。


「まあ……ありえなくはないと思います」

「よし。その設定で行こう」


 赤猫は涼しい顔で頷いた。確かに、男女交際にうるさい親でなければ「見ず知らずの他人ですが」と切り出すより話が早い。

 岩亀さんが小声で「大丈夫かなあ」とつぶやきながら、空になったパフェグラスにスプーンを戻した。


 話に区切りがついたので、私たちはレストランを出て帰路についた。午後になって少し風が出てきたが、陽射しは十分あたたかい。


 サービスエリアを発ってしばらくすると、誰かの電話が鳴った。後部座席でうとうとしていた私はハッと目を開いた。


「もしもし」

「おっ、岩亀くん。デート中に悪いな。がははははは!」


 車のスピーカーから年配の男性の声がする。岩亀さんは大型トラックを追い越すと、サイドミラーに視線を配って左車線に戻った。


「どうしました?」

「今どこだ?」

「もうすぐ藤岡ICです。事務所に戻るところです」

「ん、悪い、ちょっと待て。またかける」


 スピーカーの声が言って、電話が切れる。


「林さんか。相変わらず元気そうだ」

「元気っすよ。おかげで自由にやらせてもらえてるんで、元気でいてもらわないと」


 しばらくすると再び電話が鳴って、さっきのおじさんの声がした。


「おう、岩亀くん。いちゃいちゃしてるところ悪いな」

「運転中なんで物理的に不可能っす」

「そうとも言いきれんだろ。がははははは!」


 林さんというらしい男性は、ガハガハという擬音がぴったりすぎるくらいガハガハ笑った。陽気な人らしい。


「すみません林警部補。今日もおたくのエースをお借りして」

「なあに。持ちつ持たれつだよ、小虎くん」

「おかげで収穫がありました。すぐに返却します」

「それはよかった。岩亀くん、無事故無違反で送り届けてくれよ。貴重な検挙率だからな! がはははは!」


 警部補、ということは警察官らしい。岩亀さんの上司なのだろう。自分の検挙率ジョークが面白かったのか、林さんはひと際大きな音でガハガハ言った。岩亀さんが、はは、と乾いた声で笑う。


「それじゃ、そのあときてくれ」

「わかりました」


「そうだ、小虎くん。墓参りに行ったら遼志りょうじのお姉さんに会ったよ。君の活躍を伝えておいたからな。じゃあ、またなにかあったらよろしく頼む。がは」


 林さんの笑い声がブツッと途切れて、車内に静寂が戻った。


「いつも思うが声がでかいな」

「ホントなんすよ」


 林さんは岩亀さんの上司で、赤猫とも親しいようだ。探偵という職業柄、警察の捜査に協力することもあるのかもしれない。


 静けさを取り戻した車内で、私は乗り出した身体をゆっくり戻した。すっかり目が覚めたので、座席にもたれながら過ぎ去って行く景色を眺める。


「今、遼志さんだったらどうするかって考えたんですけど、きっと先輩と同じですね」


 岩亀さんがなつかしむように言う。赤猫が「そうか」とつぶやくのが聞こえた。


「――そうだな」

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