6-2

 赤猫と岩亀さんを信じて開錠する。細くドアを開けると、派手でもなく地味すぎもしない青年が突っ立っていた。たばこはくわえていないが、においが残っていた。


「えっとー、すみません。昨日もきたけど、留守みたいだったんで……」


 押し入ってくるのではと身構えたが、青年は突っ立ったままだった。彼はドアをゆっくりと開きながら足もとに視線を落とした。私の乾ききっていないスニーカーだけがぽつんと並んでいる。


 あれ。赤猫と岩亀さんの靴は?


「写真よりマシじゃん」


 死角に隠れていたのか、残りの二人が現れる。三人とも玄関に入って、一番うしろの茶髪の男が鍵をかけたようだった。

 私は、にやにやしている青年たちをキッと睨みつけた。


「小山田さんに頼まれたんですか」

「ちょっと写真撮らせてほしいんだよね。服、脱いでくれない?」

「……嫌です。用がないなら帰ってください」

「なに睨んでんだよ。人殺しのくせに、被害者面してんじゃねえよ」

「やっちゃえよ。それでもいいって言ってたじゃん」

「それはヤバくね?」

「愛人殺しちゃうオヤジの娘じゃん。どうせビッチだろ」


 小太りの男が吐き捨てて、急に私の腕を掴む。ゾッと悪寒が走った。

 顔面を殴ろうと反対の手で握り拳を作った瞬間、岩亀さんの低い声がした。


「へえ、楽しそうだな。俺もまぜてくれる?」

「うわ、ヤベッ」


 青年たちが血相を変えて逃げ出そうとする。自分で閉めた鍵をガチャガチャ必死に開けようとするが、うちの鍵は経年劣化で開けづらくなっている。特に内側から開けるにはコツが必要で、つまみを持ちあげるようにしてまわさなければならない。


 青年たちが手間取っているあいだに岩亀さんがつかつかと歩み寄って、一人のシャツの襟を掴んだ。


「あっ、おいっ」


 なんとかドアの鍵が開いて、小太りと茶髪の二人が転げるように逃げて行く。間延びした口調の青年だけが岩亀さんに掴まれたまま取り残された。


「なんで逃げるんだよ。まぜてくれって言っただけだろ?」

「ちがっ、ちがうんです、俺は、た、頼まれて」

「誰に、なにを?」


 尋問じんもんしながら、岩亀さんがバタンとドアを閉め、鍵をかける。襟を放してもらった青年はぜえぜえ言いながらあとずさり、背中をドアにぴったりくっつけた。


 遅れてやってきた赤猫が私の肩にぽんと手を置く。青年は成人男性二人を前にして、しかも片方は見るからに強そうだし、もはや逃げ場はないと観念したらしい。彼はぱくぱくと金魚のようにあえいでから、怯えた声で答えた。


「しゃ、写真……その子の写真撮ったら金くれるって、女、若い女に言われて。だから言われた通り、撮ろうとしただけで……」

「その女が小山田と名乗った?」


 赤猫がいつもと変わらない調子でたずねる。岩亀さんのすごみと比べたら、ずいぶん優しい声色に感じられた。


「そう言えって、言われて……」

「撮れと言われたのは、この子の写真か?」

「そ、そうです。家に行けば、一人だからって」

「女の特徴は?」

「若くて、サングラスしてて……昨日、国道のコンビニで声かけられて、俺たち全然軽い気持ちで、ホントに、」

「お前らのお気持ちがどうでも、犯罪は犯罪だよな?」

「す、すいません、ごめんなさい」


 岩亀さんが割り込むと、青年はすっかり萎縮いしゅくして半泣きになった。今の岩亀さんは少しも寝ぼけていないし、親しみやすさの欠片もない。ただでさえ身体が大きいから威圧感もすごかった。


「それで、その女は写真をいくらで買うと言ったんだ?」


 赤猫が問いかける。青年は助けを求めるような目で赤猫を見上げた。


「ご、五十万……」


 五十万? 思わず目を見張ってしまった。聞き間違いだろうか。


「ふく、復讐ふくしゅうだから、やってほしいって……」

「復讐か。被害者とどういう関係か、言っていたかな?」

「し、知らない。知りません」


 男がフルフルと首を横に振る。

 復讐、という言葉がズシンと胸にのしかかった。確かに事件は凄惨せいさんだった。


 被害者は父の同僚だった児玉こだまさんとその妻の南子みなこさん、そしてまだ十才の大翔はるとくんで、遺族が復讐を誓う気持ちは想像にかたくない。

 しかし、父はすでに起訴されているが、まだ裁判ははじまっていない。冤罪えんざいの可能性だってないわけではないし、客観的に考えたら復讐はまだ早すぎる。


 客観的に考えたなら……。


「写真の受け渡し方法は?」

「メ、メール……」

「前金はもらったのか」

「ご、五万ずつ」

「その女性に、君の名前や連絡先を教えたか?」


 青年は再び首を横に振った。

 赤猫が備えつけのシューズボックスを開けて、自分の革靴を並べる。ちらりと岩亀さんのスニーカーも見えた。


 赤猫は靴を履くと玄関ドアにピタリと背中を貼りつけた青年に歩み寄り、青年のズボンのうしろのポケットからスマートフォンを抜き出した。手帳タイプのケースから白い紙がはみ出している。


「送り先か?」


 赤猫はケースを開いて、はさまっていた名刺サイズの紙を示した。青年がこくこくと頷く。赤猫は紙を自分の胸ポケットに差し込んで、スマホを青年に返した。


「ちなみに、君たちの行いは録画させてもらった。顔もしっかり映ってる」


 言いながら、赤猫がジャケットの内ポケットから自分の端末を取り出す。

 青年ががっくりとうなだれた。


「だが幸いにして、君たちは良識ある大人の制止によって道を踏み外さずに済んだ。そうだろう、柴田侑都ゆうとくん」

「はっ……はい」


 青年はビクッと震えて、すっかり怯えた顔で赤猫を見上げた。


「今日のところは見逃そう。それと、こんな情けない話は誰にもしないことだ。警察沙汰になれば将来に響くぞ。就職は絶望的だな。友だちにもよく言ってやれ」

「は、ひっ、はいっ……わかり、わかりました」


 忠告されて、柴田がぺこぺこ頭を下げる。赤猫はロックのつまみを少し持ちあげて、玄関ドアを開錠した。


「おい」


 安堵の表情を浮かべた柴田がぺこぺこしながらドアを開けようとすると、黙っていた岩亀さんから低い声が放たれる。

 おそるおそる振り返った柴田の顔は、今にも泣き出してしまいそうなほど情けなかった。


「怖かったか?」

「はっ、はい」

「じゃあ彼女はどれだけ怖かっただろうな」

「は、はい」

「はいじゃねえだろ」

「はいっ、はっ、すみません。すみませんでした。ごめんなさい」

「二度とするな」

「はいっ、し、しないです。ほんと、本当に、すみません」


 柴田は「すみません」と繰り返しながらあとずさり、縮こまったまま玄関を出て行った。


 ドアが閉まって、静寂が戻る。

 掴まれた腕に触れながら息をつくと、岩亀さんが同じようなタイミングでため息をついた。


「美沙緒ちゃん、大丈夫?」

「……はい。お二人がいてくれてよかったです」

「家を飛び出して正解だったかもね」


 岩亀さんが真面目な顔でつぶやく。表情はまだ少し強張っているものの、声色には穏やかさが戻っていた。


 結果論だが、ふらりと知らない町へ向かった私の選択は、最善だったのかもしれない。自宅にとどまったところで貯蓄はないし、普段の行動圏を一人でうろうろしていたらどうなっていたかわからない。とはいえ、ちがう町に行っていたら、ちがう人に声をかけられていたら、今ごろどこでどうしていたかもわからないけど。


「ミケ子。ひと肌脱ぐ度胸はあるか」


 スマホを片手に赤猫が私に向き直る。彼は胸ポケットからメールアドレスが印字された紙を取り出した。アドレスはよく見る大手のフリーメールで、アカウント名は英数字の羅列られつだった。


「柴田くんの話によると復讐として持ちかけられたそうだが、彼らが指示されたのは物理的な制裁ではなく、あくまで写真撮影だ。そもそも本気で復讐しようと考えたら、あんな素人は雇わない。しかし悪ふざけにしては金がかかっているし、そうなると私怨、あるいは別の目的を持った第三者が脅迫材料を手に入れるために画策かくさくした、と考えるのが妥当だろう。このアドレスに欲しがっているものを送ってやれば、次の動きがあるかもしれない」


「彼女のリスクになるじゃないですか」

虎穴こけつに入らずば虎児こじを得ずだ」

「どこで、なにに使われるかもわからないんですよ。相手を割り出すにしても、別の方法考えましょうよ」


 赤猫の提案に岩亀さんが食い下がる。岩亀さんの主張ももっともだ。

 私はメールアドレスから赤猫の顔に視線を移した。


「相手の正体や目的を突きとめるべきなんでしょうか」


 沙奈絵のメモは、母と妹の失踪が自発的なもので、行き先も東のもとであることを示していた。誘拐されたのでなければ、差し迫って危機的な状況にあるというわけではない。

 それに東と一緒にいるのであれば、女と子どもだけでこの家にいるより安全なはずだ。そう思いながら、私はさっき男に掴まれた腕をぎゅっと押さえた。


 私や、あるいは私たち家族の誰かに恨みを持つ者が存在するとして、リスクをおかしてまで積極的に踏む込む必要はあるのだろうか。


「他人を脅して、要求するものといえば?」

「……お金、とか」


 赤猫は私の質問に答えずに、質問で返した。私は赤猫の表情をうかがうようにしながら答えた。


「そうだな。あり得るだろう」


 頷きながら、赤猫はほんの少し目を伏せて、メモ紙を胸ポケットにしまった。そして「ところで」と、涼しげな眼差しを私へと戻した。


「寝室の本棚は、お父さんのものか?」

「そうです」

「なるほど。推理小説が好きだったらしいな」

「そう……ですかね。言われてみると、そうかも」

「古いスケジュール帳を拝見したが、几帳面きちょうめんな人だ。計画を立てるのも好きらしい。自分でミステリーのトリックを考えようとした跡もあった」

「そうなんですか?」

「メモ程度だがな。思いついて、何気なく書きとめたんだろう」


 言われてみると、休日に父がテレビの前にいるときはサスペンス系のドラマや映画が流れていた気がする。


「そんな人物の犯行にしては凶器はその場にあった包丁だし、アリバイどころか現行犯逮捕だ。なんの計画性もない。お父さんの性格なら、もう少しひねりがあってもよさそうな気がするな。まあ人間頭に血がのぼれば、思いもよらぬ行動を取ることはもちろんある」


 何気ない口調で赤猫が言う。私は目を見開いてまじまじと彼を見つめた。


 赤猫の言葉通り、父は同僚の児玉さんの家で、キッチンにあった包丁を凶器にして児玉さんとその家族を殺害した。そう報道されている。

 そして沙奈絵のメモにも登場した小山田さんは、犯行直後の現場に遭遇した一人でもあって、私は小山田さんからそのときの状況を教えてもらっている。小山田さんが児玉さんの自宅を訪ねると、血にまみれた凶器を握って放心している父がいた。小山田さんは驚いて逃げ出して、その悲鳴で人が集まり、父は地域住民の手で取り押さえられたのだという。


「父の事件と関係しているんでしょうか」

「無関係とは言いきれない。君の写真で脅せる相手は本人、家族、親しい友人や恋人……父親ももちろん含まれる」


 赤猫は顎に手をあてて、お得意の思案のポーズを取った。

 私は深呼吸してから、お腹の前でぎゅっと両手を握り合わせた。


「やります」

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