2-3
ほどなくしてホームが近づいてきた。見た限り、こぢんまりとしたレトロな駅だった。
男は停車と同時に席を立ち、私もそのあとに続いた。私たちのほかにも数名がぱらぱらと降車する。途中駅と比べると降車率がずいぶん高いから、住宅地でもあるのかもしれない。
視線を向けた先で、若い男性駅員が乗客の切符を回収していた。ターミナルでもそうだったが、この路線は自動改札を導入していないらしい。
男が切符を差し出すと、駅員が親しげに笑いかけた。
「おかえりなさい。今日はお仕事ですか」
「ええ、まあ」
あたりさわりのない答えとともに、男が愛想笑いを浮かべる。
――笑った。
気を取られてわずかな段差に
「少し歩くが」
駅舎を出て、傘を開いた男が振り返る。愛想笑いはとうに消えて、無表情に戻っていた。私は無言で頷き、そのとなりに並んだ。
自販機の前を通りかかると、男が私の手からひょいとスープの缶を取りあげる。空き缶がカコンと音を立ててゴミ箱に消えて行った。
ロータリーを出て少し歩くと、車通りの多い道に突き当たった。信号が変わるのを待って横断歩道を渡り、生活道路に入る。住宅地を素通りしたあとは舗装された道を田畑に沿って進んだ。街灯はほとんど見当たらない。夜は真っ暗だろう。
私は懸命に前へ進んだが、とにかく力が入らない。暖房であたたまった身体もすっかり冷えきってしまった。
しばらくすると、整然とした区割りの住宅地に差しかかった。新しそうな家が多く、庭先に子ども用の自転車や遊具が散見された。
私の感覚では駅からかなり歩いたのだが、目的地にはまだつかないらしい。
「くしゅっ!」
耐えきれずくしゃみが出て、身震いした。寒気もするし、さすがに風邪くらいはひくかもしれない。
男が足をとめる。
彼は傘を持っていないほうの手を顎にあて、考えるようなしぐさをした。
「そうだな。今日みたいな日に着て出歩く服じゃない」
文句を言える立場ではないが、今ごろ気づいたのだろうか。
男は傘の持ち手を私のほうへ差し出した。持てということらしい。受け取ると、予想したより重かった。
「悪かったな」
彼は少し前かがみになってジャケットを脱ぎ、それを私の肩にかけた。かすかに柔軟剤の香りがした。
男は何事もなかったように傘を取りあげて歩き出した。私は少しうつむいて、ずり落ちないようにジャケットの
無言で歩きながら横顔を盗み見ると、男が振り返った。
私の視線に気づいたらしい。
「気を
男は独り言のように言って、首に手をあてた。どことなくばつが悪そうだ。
私はワンピースを見下ろして、小花柄の布地を軽くつまんだ。
「これ、プレゼントだったんですよね」
「さて。自分で着ないとも言いきれん」
彼はおどけたふうでもなく、真顔でそう返した。表情は変わらないが声には軽口のような響きがある。
私は斜めにかけたバッグに手を置いた。
「でも、メッセージカードが」
「なるほど。だが俺の字じゃない」
「……」
「つまり、メッセンジャーだな」
私のメッセンジャーバッグを指さして、男がにやりと笑う。面白いことを言ったつもりらしい。駅での愛想笑いといい、表情にあまり変化がないだけで無感情というわけではなさそうだ。
「カードには愛の言葉でも?」
「『ありがとう。気に入りますように』」
「電話番号は?」
聞かれて、私はかばんからカードを取り出した。裏返してみると、メッセージと同じ字で携帯の番号らしき数字が書き込まれている。
「もともと脈のない恋だ。服は君がもらっておけ。サイズもちょうどいい」
男は私が差し出したカードを受け取って、シャツの胸ポケットにしまった。私は「はい」とも「いいえ」とも言わず黙っていた。
脈のない恋。つまり相手の片思いで、送られる側にとっては迷惑なプレゼントということだろうか。この際もらえるものはもらっておくが、送り主がちょっと
男はそれきり無言になって、私たちは再び黙って歩き続けた。
もはやずいぶんな距離を歩いている。それとも疲労のせいで、そう感じるだけなのだろうか。
ジャケットのおかげで寒さは若干マシになったが、そろそろ体力が底をつきそうだ。足も身体もずっしりと重く、叶うなら今すぐうずくまってしまいたい。
少しでいいから休みたい、と思ったが一度座り込んだら動けなくなるかもしれない。でももう限界だ。とうとう心が折れかかったとき、うしろからきた車がパッと軽くクラクションを鳴らした。
青いスポーツカーふうの車が私たちのすぐ横でとまる。
「おい。スマホ、見なかったのか」
車の窓が開いて、ハンドルを握った青年が不機嫌そうな顔をのぞかせた。
芸能人かと思うほど整った顔だちだ。
「気づかなかった」
「歩いてきたのか? その子連れて? 気が利かねえな、タクシー乗るくらいの
男が相変わらずの無表情で答えると、青年が呆れた声でたたみかける。知り合いのようだ。
「そうしたかったが、持ち合わせがない」
「胸張って言う台詞じゃねえんだわ」
王子様のような見た目に反して、美青年の口調はなかなか乱暴だった。肩をすくめる男にため息をついてから、青年は親指で後部座席を指した。
「乗れよ。ここまでくれば、すぐそこだけど」
男が「悪いな」の一言もなく後部座席のドアを開け、私を見て軽く顎をしゃくる。先に乗れということだろう。
のぞき込むと、新車のにおいがした。
「あの、靴がびしょ濡れで」
「平気平気。暖房入れようか?」
「いえ……」
「いいよ気にしないで。こんな雨の中、おしゃれした女の子歩かせるなんて理解できないよね。ホントそういうとこ気が利かないんだコイツ。だいたいそれで振られるんだわ、いいのは
「余計なことを言わんでいい」
自分の悪口になったと気づいて、私の背後に立った男が
「……お邪魔します」
真新しい車におそるおそる乗り込む。男が傘をたたんで、背をかがめながら私のとなりに乗った。
ドアが閉まると車がゆっくりと走り出す。エンジン音はとても静かで、乗り心地のよい座席だった。高級車だろうか。ひっそりと靴のかかとを持ちあげる。
住宅街を抜けると再び田畑が広がった。見晴らしのよい平地にぽつりぽつりと民家が点在している。車内にはレトロな洋楽が流れていて、まるで外国にいるような、ずいぶん遠くへきてしまったような気持ちになった。
「車、壊れたんだって?」
「だいぶ古かったからな」
友人たちの他愛ない会話をどこか遠くに聞きながら、私は窓の外を眺めていた。雨は変わらず降りしきり、景色は暗く寒々しい。暖房が効きはじめた車内はとても心地がよくて、じわじわと眠気が押し寄せてきた。
うつらうつらとしはじめて、耐えきれずに目を
「まさか拾ったわけじゃないだろうな」
「今夜、亀に相談する」
「おいおい。猫じゃないんだぞ」
「人を見る目はある」
「そうだろうよ。じゃなきゃ、そんな稼業やってられない」
「そういえば、例の社長からお前あてだ。このワンピースと……」
「マジで脳みそ腐ってんな」
「電話番号だ。本人に言ってやれ」
「勘弁しろよ……」
二人の会話がラジオのように流れ去って行く。夢なのか現実なのかあいまいで、内容はまったく頭に入ってこなかった。
「
それきりふつりと音が途切れて、私の意識はまぶたの裏に溶けて行った。
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