11
そうして彩を見送り、愛は店のドアを閉めると、ちらと、ショーウインドウに並んだオルゴール達に目をやった。その後ろでは、
「もう、冷や冷やしましたよ!あんな調子で、今までよく変な目で見られませんでしたね」
「変な目で見られるのは、慣れてる」
「いや、そういう事を言いたい訳ではなくて、」
「そもそも、見えない人間に何を言ったって誰も信じないだろ。だから、何かおかしいなって思われても、笑っていれば大抵話が進んでいくしな」
依頼者にとって不可解な話も、愛が笑顔を見せれば、相手は不思議に思いながらも、笑って話を流してくれていたという。
依頼者も探し物をして欲しくて来ている訳だし、愛は見た目はとてもまともだ、その見た目に流されてくれていたのかもしれない。
「…そんなんでよくやって来れましたね」
「
慣れないだけの問題だろうか。多々羅は疑問に思ったが、それよりも、今は何より、多々羅にとって探し物屋としての初仕事だ。多々羅が店に来て一週間、ようやく依頼者に会えたのだから。
多々羅は気合いを入れ、気持ちを切り替えた。
「まぁ、彼女も納得して依頼してくれましたしね!じゃあ、早速探しに行きますか?」
やる気満々の多々羅だが、そんな彼を見つめ、愛は少し考え込む素振りを見せた。襟足に手をやりながら、彩から預かった手袋に目を留める。
「…まぁ、いいか」
「何がです?あ、俺も勿論手伝いますよ!嫌だと言うならこれ、」
「分かった分かった!俺を脅すな!」
すかさずエプロンのポケットに手を忍ばせた多々羅を見て、愛は大きく溜め息を吐いた。心の内では、絶対にあの写真を取り返してやると思っている事だろう、不機嫌を背中に背負った愛は、再び応接室へと向かうので、多々羅はきょとんとした。
「あれ?行かないんですか?」
「スケートリンクか?」
「はい。最後にネックレスを外したのは、ロッカールームだって言ってたじゃないですか」
「ロッカールームを探しても無いから依頼しに来たんだろ?清掃だって入るだろうし、リンク側も無かったって言ってるみたいだしな」
「見落としてる場合は?」
「あるかもな、でも、先ずはこっちからだ」
二人は応接室に戻り、愛はキャビネットの下部の開きを開けた。先程、多々羅が開けたのとは別の物で、そちらの開きの中にも、抽斗と空きスペースがあった。その抽斗から用紙を一枚取り出すと、それを多々羅に渡した。
「ここに、さっき野島さんに書いて貰った名前と連絡先を書き写してくれ」
「え、さっき書いて貰った紙はどうするんです?」
「あれは後で使うんだ」
多々羅は首を傾げながらも、言われた通りに書き写す。字は幼い頃に習字を習っていたので、綺麗な方だ。用紙には項目が分けられており、名前や連絡先の他、探し物の名前や特徴、探した場所やその経緯等を書く欄があった。
愛は眼鏡を外して胸ポケットにしまうと、彩の手袋を見つめた。
「教えてくれる?」
「え?」
多々羅が顔を上げると、愛は両手の平に大事そうに手袋を乗せて、手袋に問いかけていた。
「ありがとう、それで、あなたは何か聞いてる?」
優しく問いかけるその姿に、多々羅はぽかんと口を開けた。
愛は、不思議な瞳を持っている。多々羅には何も見えないが、物に宿る思いを見る事が出来るという。それは物の化身と呼ばれ、物によって姿形も変わるらしい。きっと手袋の上には、その手袋の思いが化身となって現れ、愛はそれと会話をしているのだろう。
愛と出会って一年が過ぎた頃、多々羅は愛の秘密を正一から聞いていた。正一も同じように化身が見える事も。その話を聞き、子供ながらに府に落ちた事が幾つもあった。
愛の視線は、時々、止まる。じっと何かを見つめ、時に嬉しそうに、時に悲しそうにその表情を歪めるので、多々羅はそれが不思議で仕方なかった。理由を聞いても、愛はなんでもないと答えるばかりだったので、正一から物の化身の話を聞いた時、愛と秘密の共有が出来たみたいでドキドキしたのを覚えている。この時は、愛が女の子だと思っていたので尚更だ。
愛の秘密を知っていても、多々羅は物の化身を見る事が出来ないので、なかなか理解する事は難しかったが、愛が物に語りかける穏やかな横顔を見ていたら、見えない筈の物が自分にも見えてくるようで、子供の時はいつもドキドキしていたし、特別な事に関われているみたいでワクワクした。
「書けたか?」
声を掛けられ、はっとする。幼い頃の思いと共に、再び特別な瞬間に関われていると思えば、期待に胸が膨らんだが、これは仕事だと思い直し、多々羅ははしゃぐ気持ちを愛に悟られまいと、事務的に頷いて愛に用紙を手渡した。愛は特に気にする様子もなくそれを受け取ると、キャビネットの上部、ガラス戸の開きの中に並べられたファイルを一つ取り、その中に用紙を挟んだ。
「あの…何か分かったんですか?」
「あぁ、やっぱり、リンクのロッカールームでネックレスとは別れたらしい」
「…手袋がそう喋ってるんですか?」
思わずそう尋ねれば、愛は多々羅を一瞥した。ほんの一瞬、でもそれが寂しげで、多々羅は逸らされた視線に、やってしまったと思った。
好奇心を必死に隠そうとしたら、正反対に疑うような言い方になってしまった。こういうところ、多々羅は少々不器用だ。
「あ、いや、信じてない訳じゃないですよ、そういうのが見えるのは子供の時から知ってるし」
「知ってるからって、信じられるとは限らないだろ。俺なら信じないな」
愛はそう笑った。当たり前のように自嘲する姿を見て、多々羅はまたもや後悔した。愛を傷つけてしまったかもしれない、愛はこんな風に自分を否定される事が今までにもあったのだろう。
そう、普通は信じない。愛の言うように、普通の人は物に心や意思があるなんて、物の化身と会話が出来るなんて言われても信じようもない。だって、見えないのだから。
多々羅は背を向ける愛の腕を掴み、振り返らせた。寂しい背中をそのまま見送っては、いけない気がした。
「なに、」
「俺は信じてますよ!」
意気込んで言えば、愛は目を丸くした。
「俺はどうしても見えないので…疑ったように聞こえてたら、すみません。でも、知りたいと思います。店長や正一さんの見てる物を見たくて、子供の時はどうして俺には見えないのかって、もどかしかったくらいですから!」
本心を隠そうとして接するから、ちぐはぐな事を言ってしまう。それなら、好奇心もそのまま愛に伝えた方が、この気持ちも伝わるのではと多々羅は思った。仕事なのに好奇心丸出しにしてと、愛は怒ったり呆れるかもしれないが、元から愛は多々羅に仕事をさせる気がないのだから、この際、呆れられても現状は大して変わらない。
とにかく、バカにされても、愛を信じている事だけは伝えなくては。その一心で多々羅がいれば、愛はきょとんとして多々羅を見つめ、やがておかしそうに表情を緩めた。
「…相変わらず変わってるな」
けなしているような言葉も、その声色は穏やかで、多々羅はほっとした。愛がどう思っているのか、本当のところは分からないが、それでもその懐の端の方にでも自分の事を置いてくれたような気がして、嬉しかった。
「理解したいと思うのは当然です。友達じゃないですか」
それに対し、愛は再び目を丸くして、少し背の高い多々羅を呆然と見上げた。その様子に、多々羅は的外れな事を言ったかと、不安になり落ち着かない気持ちになる。
「俺、何か変な事言いました?」
「…いや。あ、あれだろ、今は、雇う側と雇われる側だし、うん…」
うろうろと視線を彷徨わせながら言う愛に、そういう事かと、多々羅はそっと心を落ち着けた。また、愛を傷つけるような事を言ったかと思ったが、お互いの立場の関係を言いたかっただけなら、多々羅にとっては大きな問題ではなかった。
勿論、雇い雇われの関係はその通りだが、元は友達という事は、変わりない。
「はは、まぁ、良いじゃないですか」
「いや、そこははっきりしておくべきだ!」
「えぇ?まぁ、そうですね…」
急に焦ったように語気を強める愛に、多々羅は少々気圧されながらも了解した。友達だからといって、愛が上司なのは変わりない、多々羅としてもその辺の分別は持っているつもりだ。多々羅が頷いてからも、愛の顔はどんどん赤くなり、なんだか狼狽えているようにも見える。
「俺は出るから。もう店閉めて適当にしてて良いから」
そんな愛の様子を不思議に思い、多々羅がぼんやりしている内に、愛はキャビネットの下部の開きを開け、革の鞄を手に、応接室を出ようとしていた。
「え?どこ行くんですか?」
「リンクだ」
それには慌てて多々羅も駆け寄った。
「行かないんじゃなかったんですか?」
「手袋の彼女から話を聞くのが先だって言っただけだ」
「リンクの場所は?」
「野島さんに連絡して聞く」
「車ですか?俺、運転しますよ」
「車はない、電車で行く」
「電車?大丈夫ですか?」
「馬鹿にするな、乗り方くらい分かる」
「…そこは疑ってませんけど…」
そう頷きながら、多々羅は思案する。乗り方は分かっても、愛はちゃんと駅に向かえるのだろうか。店から駅はそう遠くないし、通い慣れた道の筈。けれど、その先はどうだろう、電車を降りた先、愛は恐らく目的地に辿り着けない。
愛は子供の頃から、極度の方向音痴だった。
しかも、どこのスケートリンクかも分からないのでは、着いて行った方が安全だろう。
「待って下さい!俺も行きます!」
「は?いい、一人で十分だ」
「仕事を教えて下さいって言いましたよね?物の化身が見えない俺でも、雑用や道案内は出来ますから!」
そう言って、多々羅はエプロンを外しながら二階へ駆け上がり、財布とスマホを掴むと急いで店に下りて来た。
まさか、「方向音痴でしょ」とは言えない。子供の時の話だが、愛は方向音痴を指摘されると、この世の終わりかのように落ち込んでしまった事があったからだ。
しかし、多々羅が急いで店に下りて来た時には既に愛の姿はなく、多々羅は慌ててカウンターの裏側に掛けてある鍵を取ると、店を出てドアに鍵を閉めた。
この店は、隣の雑居ビルと並んで袋小路にある。走って前の通りに出ると、駅に向かう右手の道に視線を向けた。だが、愛の姿はない。いくらなんでも速すぎると逆の方向を見れば、しゃんと背筋を伸ばして歩く愛の背中が見えた。
「…マジか」
家の近所なのに、下手すれば迷子確定だ。多々羅は急いで愛の背中を追いかけた。
「店長!そっち遠回りになりますよ!」
駅とは完全に真逆の方へ進んでいるが、逆と言うと傷つくかもしれないので、遠回りだと言葉を選んで声を掛ければ、愛は驚いた様子で辺りを見回し首を傾げている。あの様子じゃ、駅に行く道も分かっていないだろう。
多々羅は改めて、正一が愛を心配し、面倒を見てくれと言った気持ちが分かった気がした。
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