第3話 ボイスレコーダーを持参する親

パイパス六号線沿いにある、スープカレー専門店★TANGOは深夜三時まで営業しているとあって、一目では何の仕事をしている人か分からない人たちで毎夜、活況を呈している。

「ご馳走様でした。」

防音効果もある重厚なドアを開けると、一気に感じの悪い遅緩な風が楓たちを包んだ。すぐそこまで、本格的な夏がにじり寄って来ているのだ。

「今日は俺ん家、来るだろ?」

「ううん。」

「どうして?最近来ないじゃん。なんかあったの?」

「いやいや、何にもないよ。ただ明日、明後日とまたお互いに部活じゃん。私の方は県体予選。六時半起きだから、お泊りは止しておくわ。アパートまで送って行って。」

楓は後部座席に乗り込み、体を沈めた。


 楓が顧問を務めるソフトボール部は同じ大学の後輩で、数学教師の高倉と一緒に指導している。中学時代から大学までずっと野球漬けだった高倉が技術指導を行い、その他、部活運営に関する事務処理などを楓が行う体制をとっていた。

「ごめんね、午後から一人で任せてしまって。来週の練習試合は私が引率するから。」

「いいっすよ。森川先生には、いろいろと借りがありますから、これぐらい。」

「マジでごめんね。じゃあ表彰式までお願いします。」

楓は手を合わせ、深々と頭を下げた。

高倉が言う“借り”とは、昨年度の高校受験後に起きた出来事のことだ。


高倉は昨年度、三年二組の担任をしていた。そのクラス内において、友田結衣という女子生徒が公立高校に不合格になってしまい、二次募集をかけている私立高校を受験しなければならなくなったのだ。そして合格発表後、高校不合格という結果に納得がいかない友田の親が、職員室に怒鳴り込みに来たのだ。

「先生、どうしてくれるの?あんたが三者懇談の席で、この高校を勧めたんじゃないの。だから受験したんに。落ちるなんて、娘がかわいそうやわ。どうにかせいや!」

「受験校を決められたのは、友田さんのご家庭ですから、どうにかせい、と仰られましても・・・」

「あんた、しらを切るきかいね!」

そう言うと友田の母親は鞄から、小型のICレコーダーを出し、再生ボタンを押した。レコーダーから、高倉の声が聞こえてきた。

『結衣さんの今の成績だと、野田南高校の普通科ラインですね。もうちょっと頑張れば、椿原高校の理数科も見えてきますが、今の段階では厳しいです・・・それから・・・』

友田の母親は三者懇談中に、ずっとICレコーダーを鞄か服か分からないが、どこかに忍び込ませ、ひそかに録音していたのである。

「これ、先生の声だよね。先生が高校名を言って勧めているよね。嘘つくなや!」

テレビドラマでありそうなシーンが今、自分の目の前で繰り広げられていることに動揺してしまい、一言も発することができなくなってしまった高倉は、玩具の赤べこのように小刻みに頭を上下に振っているだけだった。

ちょうどその日は、管理職も研修のため不在で、三年学年主任も別の保護者対応で職員室にいなかった。他の職員は、火の粉を被りたくないと、自分の仕事に忙しい芝居をして、高倉の置かれている状況から目を反らしていた。自席にいた楓は同僚の山本に声をかけ、高倉と友田のいる、職員室隅に設置してある、テーブルセットに近づいた。

「すみません。結衣さんの妹の茜さんの担任をしています、一年三組担任の森川です。お母様、ご無沙汰しております。茜さんもお姉さんの結衣さんを見習って、ソフトボールを頑張っていますよ。」

揃ってソフトボール部に所属している友田姉妹は、とても練習熱心で、準備後片付けも率先して取り組んでいたと、まずは母親の表情を緩ますよう、前向きな話題をわざと振った。

「エースピッチャーとして結衣さんは、県体予選でも勝ち抜き、見事、県大会に出場できました。地道に積み重ねてきた努力が結んだ結果だと思います。」

そこに、先ほど声をかけておいた同僚の山本がプリントを持ってきた。そこには友田結衣の成績一覧表が記載されていた。

「今ほど、私も座席のほうでこのICレコーダーから流れました、三者面談での話を聞きました。三者面談は十一月の終わりに行なわれました。これは第一回の統一テストの結果を踏まえて、受験校の絞り込みを軽くしていたときのものですね。」

「そうです。十一月の終わりに私は夫と夫婦揃って行ったんですよ。」

「はい。担任の高倉はそのとき、この十一月はじめに行なわれた、第一回目の統一テストの結果を踏まえて、高校名を出しています。こちらです。」

楓はわざとテストの結果を指差した。

「この第一回目のテスト結果では、この野田南高校は合格圏内だったわけですね。だから担任も名前を出したんだと思います。」

「ほや!担任が言ったから、私たちは受験させたんや!」

「はい。お母さん、その後の成績の推移に着目して下さい。十二月には期末テストが行なわれました。こちらの枠がそのときの成績です。その後、年明けの一月には第二回目の統一テストがありました。中央の枠に記載されているのが二回目の統一テストの結果です。そして入試の願書を記入する直前に行なわれた最後の実力テストの結果が、こちらの枠です。だんだん合格圏内から外れてきているのは、ご理解いただけますでしょうか。」

「ほやけど、担任が言ったし・・・。」

「確かに高倉は、十一月段階では野田南高校合格ラインにいると言いました。しかし、その後はどうだったでしょうか。最終三者面談が行なわれた二月中旬、高倉はどう申し上げましたか?もしICレコーダーに録音されているのなら、再生して頂けませんか?」

楓は母親を真っ直ぐに見つめた。母親は顔を真っ赤にし、唇を噛んだっきり、黙り込んでしまっていた。

一ヶ月ほど前、楓は部活指導をしているとき、高倉から進路指導について相談を受けていた。

「友田結衣がね、成績が下がってきて、野田南高校を受験が危なくなってきたんですよー。それをこの間の最終面談で伝えて、その下の北明西高校の普通科を紹介したら、母親が怒ってね。そんな遠い高校に、娘は通わせられないって。どうしたらいいもんですかねぇ。」

楓は母親が強引に野田南高校を受験させたのではないか、と成績一覧表を見て思った。結衣のこの成績の下がり方では、どんな新米教師でも野田南高校は受験させない。危険すぎる。

「お母様、私たち教師はその時、その時のお子様の成績に応じた学校をご紹介させて頂いております。決めて頂くのは、あくまでご家族です。だから、このような成績の下がり方でも高倉は、友田さんに対して、野田南高校の受験を止めろ、とは言わなかったはずです。」

母親はICレコードに触れようとはしない。きっと最終面談の様子は、友田側の不利になる会話が録音されていたため、消したのだろう。

「二次募集をしている学校の中には、結衣さんが懸命に頑張ってきた、ソフトボールの強豪校もございます。ぜひ、部活動のほうにも着目して、もう一度進路相談を高倉となさって頂けませんか?」


その後、友田は二次募集で光院女子高校を受験し合格した、と高倉から報告があった。

「本当、森川先生ありがとうございました。」

「いやいや。お互いにボイスレコーダーには気をつけなきゃね。」

「ほんとっすよ。しばらく三年生の担任はしたくないです。」


元から腰の低い高倉であったが、彼を襲ったモンスターペアレントを楓が退治してから、なお一層、楓に対して腰が低くなった。

 楓は午前中の神楽中VS富岡南中の試合を見届けてから、大会会場となっている芝原中学校を後にした。

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