第2話 教員同士の交際
楓はいつもの待ち合わせ場所である、学校から少し離れた場所にある、パチンコ屋の駐車場に行った。この場所を待ち合わせ場所にしようと言ったのは森下である。
「万が一、生徒に見つかっても巡回パトロール中だと言えばいいから、逆にこういう場所の方が使い勝手がいい。」
楓はスマートフォンを眺めながら、森下の車を待った。十分ほどして、赤色のプリウスが近づいてきた。すぐにドアを開けて、後部座席に素早く乗り込んだ。
「今日は何を食べようか。」
「給食がパンだったから、ご飯がいいねぇ。」
「じゃあ、スープカレーの店にいこう。」
「うん。」
森下は二人が行きつけの、隣の市にあるお店に向かって車を出発させた。
「今日は、お互いに保護者の電話に手こずったね。」
「つーか、楓の電話は、あれはお気の毒だったなぁ。」
「宗教を持ち出されると、何にも言い返せないし、度壺に入るだけだから、ひたすら謝って電話を切った。」
「賢明だよ。つーか、こっちは躾の問題だから、始末に悪い。」
どこで聞かれているか分からないから、仕事上の愚痴は、このような密室でしか出来ない。
「確かに男子がトイレで大の方をするのは勇気の要ることだし、それをからかって個室を覗いた連中も十分に悪いよ。しかし、その個室内で、和式の便座に座り込んで大をしていたら、そりゃ、からかって下さい、とアピールしているようなもんだよな。今回の件、保護者連絡するの嫌だったもん。」
今日、森下のクラスで、男子トイレの個室で大をしている生徒を上から覗いてからかうという、昔から良くあるいじめが発生した。しかしながら、問題はその覗かれた生徒にもあった。
神楽中学校は古い建物のため、洋式トイレは特別支援学級のクラス内にしかなかった。だから男子も大をするときは、和式トイレが設置されている個室ですることになっている。今回、いじめられた生徒は、ズボンを下ろし、その和式トイレに対して後ろ向きに体育座りで着席し、大をしていたというのである。
「洋式トイレの要領を和式トイレに当てはめたんだろうけどさ、つーか、あり得ないわ。保護者に一連のことを連絡したら、うちは洋式トイレだから、和式を使わせたことはなかったかもしれない、と言ってさ。つーか、使ったことある、なしの問題じゃないよな。普通は教えるよな。この子はずっと今まで外でうんちをするとき、和式しかない場合、こういう風な体勢でしてきたんだよ。これは軽い虐待だよ。俺が和式トイレの仕方を教えたんだけど、奴は隣で泣いているしさ、俺もしゃがみながら、むなしくなったよ。教師はトイレの仕方まで指導しなきゃならんのか、と。」
共働きが増えたからか、どうか分からないが、家庭内のしつけ分野に学校が介入せざるを得ない状況は、年々増えてきているように感じる。楓も前任校で、中学三年生の担任をしていたとき、バス遠足の道中にて、車内でお漏らしをしてしまった生徒がいた。
「トイレがしたい。」
その一言が、十五歳にもなって言えないのか、と愕然とした記憶がある。
母親に事情を説明し、生徒を引き渡したら
「なぜ車内でトイレの声掛けを頻繁にしてくれなかったのか。」
と逆に文句を言われ、さらに困惑した。こういう親だから、子どもが人前で、おねしょをするのだ。
「まぁ、中学校勤務の教師は、多少は親の役割をしなきゃならないんだろうね。修学旅行を何回も経験して、最近そう思うようになったよ。」
先月末に行われた修学旅行では、楓は担任をしているクラスの生徒の一人と一緒に寝る羽目になった。
その生徒は、不登校傾向のある氷室菜月と言う女子生徒だった。昨年度は森下が担任をしていたが、女の子だから女性の先生の方が何かと良いだろうと言うことで、修学旅行もある本年度は、楓が担任をすることになった。彼女の母親は十代で彼女を出産し、その後、結婚、離婚を繰り返し今、三回目に結婚した旦那さんと別居状態であることを、森下から引き継いだ。
こんな不安定な家庭環境の子どもだから、学校にもたまにしか来られず、級友となじむことは難しかった。修学旅行の際も、集団行動が途中で苦しくなったのか、エスケープを図り、引率の職員の手を煩わせた。
「何かあってからでは遅いから、修学旅行中は一緒の部屋で寝てあげて。」
と学年主任・鎌田の指示で彼女が私の部屋で寝ることになったのだ。
菜月は、甘えたくても甘えられなかった時代を長く過ごしてきたのであろうか。お風呂上がりの彼女の髪の毛を、楓が丁寧にブローしてあげていたとき、ようやく心の鍵を外し、楓にいろいろと切ない話を打ち明けてくれた。
彼女の母親は新たな男ができると、部屋に連れ込み、彼女を外に出させたがったという。時には千円を渡され、二十時まで帰ってくるなと言われた日もあったそうだ。
「早く帰ってくると、蹴られて怒られるから、時間を潰すのが本当に大変なんだ。」
菜月は痛そうな笑みを浮かべる。ファストフード店で長居していると補導されそうになる。PTAによる校区パトロールが厳しくなってから、公園やカラオケ店も難しくなった。
「行き場がない。居場所がない。」
細い涙を流しながら、プラスティックの塊を吐き出すように話す菜月。楓は女の部分に異常に執着して生活をしている、彼女の母親に興味を持った。
母親になりきれていないのではなく、端から母親になる気がない女性ではないか。新年度初めの保護者懇談に来なかったため、言葉を交わせていない。というよりも、学校からの電話を着信拒否している人なので、アポなしで家庭訪問するしかない対象の家庭だ。ま、伺っても居留守を使われそうだが。
「十代で菜月を産んでいるわけだから、私よりは年下だよね。」
「お母さんが十七歳のときの子ども。だからお母さんは高校を中退している。」
ということは今三十一歳か。楓より四歳も下で、こんなに大きい子どもがいるのか。軽く死にたくなってくる。
「力になれることがあったら、なんでも協力するから、自分で溜め込んじゃだめだよ。さぁ、寝ようかね。」
楓はそう言って、ドライヤーを止めた。
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