ASKLESS~問答無用~

ラビットリップ

第1話  宗教2世の生徒

            

「先生!どういうことなん。池田先生の顔に墨を付けるなんて、非常識やよ。よー、教師しとるね。信じられんわ。」

「申し訳ありません。配慮が足りませんでした。以後気を付けます。」

「ほんとやわいね!」

投げつけるように切られた受話器の音で、楓は、もう一度飛び上がった。

「変なクレーム電話やな。」

電話を録音して聞いていた、主幹教諭の中林が苦笑していた。今の時代、クレーム電話がかかってくると、録音ボタンを押す学校が多くなった。

「学校で書いた書き初めを持って帰らせるために、前日子供たちに、新聞紙を明日持って来るように伝えたんです。野村君が持ってきた新聞紙が、聖教新聞だったんです。何も考えずに野村君もはさんだと思うんですね。私もこのクレームが来るまでは、野村君が持ってきた新聞紙が、聖教新聞だとは知りませんでした。」

「まぁ、気にせんこっちゃ。めったいないクレームや。」

・・・あっては困る

楓は主幹に軽く頭を下げて、席に戻った。着席し、天井に向かって苦い息を吐いた後、引き出しにこっそり入れておいたミルクチョコレートを出し、一粒口に含んだ。

「楓ちゃん、大変やったねぇ。」

突然背後から声がかかり、振り向くと、オリエンタル生命保険会社のセールスレディー、富水が立っていた。

「保険の加入はお断りしたはずですよ。」

オリエンタル生命保険会社は、教職員が多く加入している保険会社ということで、月に何度かセールスレディーが職員室に姿を現す。『公益財団法人日本教育公務員弘済会と長い付き合いでねぇ~。』

とパンフレットを広げ、まだ加入していない若手教員を放課後捕まえ、片寄りのあるメリットを吹き込み、判子を押させている。

元から生命保険というものが嫌いだった楓は断固拒否を続け、富水の営業から逃げてきていた。

「今日は、加入についての話じゃないんや。」

たばこで黄ばんでしまった歯をこれでもか、というくらいにむき出しにし、富水はにっこりと笑った。

「なんです?」

「楓ちゃん、独身三十五歳やろ。」

「それがどうしたんですか?」

「実は、迫小学校に同い年で優しそうな男性がおるんやわ。今、小学五年生のクラス担任をしとる。どーや一度会ってみんけ?」

富水は迫小学校で発行されているPTA会報誌を広げた。

「この先生や。優しそうやろ。」

富水は五年三組の担任の顔を指さした。昔から職員室に出入りする生保レディーは、お見合いの斡旋もしてくる、と噂には聞いたことはあったが、これがそういうことなのか、と楓は一人で合点していた。

「結構です。」

「まぁ、そう言わんと。会うだけでもさ。」

「いいです。」

「あー、そう。残念やわぁ。じゃあ、また良さげな人がいたら持ってくるわ。」

富水はてきぱきと会報誌を片付け、他の若手教員を捕まえに行った。

 もう一口ミルクチョコレートを含み、楓は左斜め前の、森下の机を見た。書類が山積みになっている机上の上に、ちょこんとミッフィーが座っている。


・・・今日は十九時には仕事を切り上げられるのね。

 

楓と森下は、昨年度それぞれ違う中学校から、ここ神楽中学校の方へ赴任してきた。そして同じ一年所属職員になり、年齢も近かったことから、自然にお互いを意識するようになっていった。

とはいえ、中学校はどの校種よりも多忙を極める。週末は担当している部活指導がそれぞれあったりして、なかなかデートの時間が取れない。だからこうして平日の夜、こっそりと二人だけの暗号を使って、時間の擦り合わせをし、細かい逢瀬を楽しんでいた。

 たいていのデート場所はお互いのマンションが多かった。生徒が中間・期末テスト勉強期間中で、土日の部活指導がない場合は、遠出をすることもあったが、それ以外はやはりインドアデートばかりだった。


 私たちは微妙な位置の有名人である。知っている人は知っていると言えばいいか、知る人ぞ知ると言ったらわかりやすいだろうか。一言で言うと、C級タレントだ。

校区内ではもちろん買い物なんか出来ない。隣町でも、やや危険だ。今の時代、車持ちの家庭が多くなったから、親がいろんな場所に子どもを連れ回すようになった。

楓は初任の頃、ここまでは子どもも来ないだろう、と踏んだ郊外のショッピングセンターの下着売り場で、子どもたちに取り囲まれたことがある。何気なく下着を物色していると、

「そんなん、どこで着るん?」

と背後から声をかけられた。振り返ると、クラス担任をしている男子生徒たち四人が、不謹慎な笑みを浮かべながら、立っていたのだ。

「これ地味やって。こっちのイチゴ柄の方が、楓ちゃんに合うよ。」

「俺は、これ着用してほしいなぁ。これ着てくれたら、歴史年号を理解出来そうやわぁ。」

子どもたちは次々に、あでやかすぎる下着をかごの中に入れていった。聞くところによると、親が郊外のショッピングセンターに行くから、友達を誘ってついてきたのだという。

 私はこの一件から、今後、絶対下着は通販で買うことを心に誓った。

 もちろん、銭湯なんかも行けない。行けるわけがない。知り合いの男性教諭が銭湯で教え親子に会い、

「いやー先生、この子、学校でどうです?」

と、すっぽんぽんの状態で聞かれ、挙げ句の果てに父親に背中まで流され、いたたまれない思いをしたそうである。

 身が削られるような恐怖を覚えたのが、先日ネットモラルの研修を受けた際、同僚の緒方先生から聞いた、とんでもない話だ。

「森川先生ね、デート場所は本当に神経使わんと駄目よ。」

「なんか、あったんですか?」

「私の勤務している中学校の若い先生がね、生徒にデート現場を見られたんよ。それだけなら笑い話なんだけど、その見た生徒はスマホで写真を撮り、それをLineでクラス全員に回したんだってさ。今の時代、クラス単位でLineのグループを作ったりするじゃん。瞬時に生徒の知るところとなり、次の日からからかいの嵐。精神的に参っとたわ。」

今日のインターネットモラルの研修は、うちら教職員よりも、今時の生徒たちの方が受講した方がいいのではないか、と楓は心底思った。犯罪行為をしているという意識は、奴らは皆無なのだから。

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