第23話 群雄割拠(信長包囲網)

 朝倉義景は13代義輝に重用されて権威を得て、その死で危機を向かえた弟覚慶(義昭)を匿う。義景支援を得て元服まで越前で過ごすが、上洛を望んでいた義昭は義景の反対を押して別れを告げ、織田信長のもとへ移る。(1568年)

 この仲介役の記しが明智光秀に関して、まとまった資料の初見で光秀もある時期、義景に拾われて養われたのだが、義景から離れ義昭に就きやがて信長の下で仕える。

 義景は越前の地に篭って、生母の出身地である若狭武田氏のお家騒動に干渉して、当主を呼び出し監禁すると、若狭を無理やり支配下に置く。

 甥にあたる武田元明監禁に憤っていた義昭からの上洛要請をのらりくらりかわした義景だが、信長はこれを許さず、徳川家康との連合軍で挙兵し若狭を早々降伏させて義景居城の越前一乗谷を目指し進軍する。(1570年4月)

 朝倉一門は兵を引くと防御を固め信長・家康連合軍を誘い込むような陣形になる。そこへ、北近江の浅井長政による“信長裏切り”の報が入る。

 後世で数多語られる一大事、浅井長政は信長の義弟で妹“お市の方”が嫁いでいた。信長の言動“虚説たるべき”やお市の方の“小豆の袋”陣中見舞いの逸話は実に有名だが

「なぜ浅井長政が信長包囲網一翼を担う事になったのか?」に合点行く説明はない。


 浅井長政の祖父の代、北近江守護京極氏を下剋上で追い落として、南近江六角氏に敗れ、主従関係ながら父久政の外交努力で北近江の統治を維持した。

 長政15歳の元服では烏帽子親、六角氏の家臣娘との婚姻を強いられたが、浅井家家督を継ぐと名も妻も六角氏に突き返し、決別の戦にも勝った。(1560年)

 この一件で“裏から手を廻して”六角氏勢をなだめ、新興北近江浅井氏を存続させて

「影の主従関係を結んだ」のが、越前朝倉義景なのだ。

 居城一乗谷には、浅井氏に与えた屋敷(出仕)に由来する地名が今も残り、越前と北近江間を隔てる出城もなく、背後(南)への備えが薄い。“何らかの不可侵条約”が結ばれたと推測されるが、同盟を結ぶには家格や勢力が違い過ぎ、表立つ主従関係は周りを刺激し朝倉義景にとって本意でなく、北近江を緩衝地帯として残すことが最も得策と考えたのだろう。

 1567年、信長にとっては美濃攻略から上洛への足掛かりとなる北近江浅井長政と妹お市の方の婚姻が行われ、1568年の上洛では反抗勢力六角氏を南近江から退け、長政もまた将軍義昭をよく守り信長上洛をしっかり掩護した。

 双方の有益な関係に信長は満足して、同時期に娘徳姫を嫡男信康に輿入れさせて

同盟を結んだ徳川家康と同様に信頼を寄せていた。

 長政が信長を裏切るのは当たり前の戦国史だが、興味深いのは朝倉義景の幾重にも張り巡らされた調略の影だろう。

 1570年6月、信長・家康の決死の退却劇の後、近江姉川にて浅井・朝倉軍と対峙し織田・徳川連合軍が勝利し雪辱を晴らすのだが、9月義昭絡みの三好三兄弟との戦で今度は“石山本願寺の顕如”が突然攻撃を仕掛けて来た。

 この戦国史の一つも信長にとって大誤算であり、通説は本願寺に対し金銭要求など難題を吹っ掛けた信長の挑発が原因と言われてきたが大間違いである。

 ここも朝倉義景の功名な調略の影と、将軍義昭お間抜け感がタップリ満載なのだ。端的に説明すると石山本願寺は幕府の認める加賀大名と同格である。元々は富樫氏が守護を務めたが、加賀一向一揆に打ち破られ90年に渡り一向門徒が支配し、対岸といえる越前朝倉氏は永年これら大小一向宗勢力と対峙してきた。

 幕府は本願寺に奉行役を置き、税の徴収や内裏(天皇御所)の修繕費用負担などを命じ所領を安堵したが、本願寺でも門徒統率は容易でなく、越前朝倉義景は将軍筋の若き義昭を一乗谷に呼び寄せ(1567年)一向宗相手の戦に終止符を打とうとした。

 義昭直々の和睦仲介は、両者の戦疲れもあって成功し、人質交換と亡命者の帰参、お互いの防御砦の破却が行われ、60年に及んだ抗争が終わる。義昭が越前一乗谷を去ると、義景は得意の秘密裏の謀(はかりごと)で本願寺顕如と深く結ばれたようだ。

 1570年9月の本願寺決起には、義景自ら出陣して織田方の近江坂本まで侵攻した。金ヶ崎・姉川の戦いにも出陣を見合わせていた義景は自身の臆病なまでの用心深さで勝機を逃したことを後悔していたのだろう。

 将軍義昭はかつて越前での成功体験を胸に朝廷を使い本願寺と講和に向け臨むが、顕如はまるでわかっていない義昭に悟られぬよう、勅使との面会を避けタイミングをずらし、影のパートナー朝倉義景の挙兵を待った。

 六角勢に浅井勢と近江門徒宗まで加わり、浅井・朝倉連合軍は比叡山に立て籠もり攻防戦を繰り広げ、義昭・信長軍は完全に包囲されて京に戻るほかはなかった。

 10月京の近郊まで敵が迫って、双方の激しい調略合戦の中で、11月に将軍義昭と関白二条晴良の会談がもたれ、浅井・朝倉軍と和睦が話し合われるが、北近江所領の延暦寺だけが和睦に応じず、12月、正親町帝からの“比叡山領安堵の綸旨”に対して、信長が将軍義昭へ綸旨同意の誓紙を提出する事で、ようやくの全面和睦が成立する。

 この一件は15代将軍義昭をことのほか有頂天にさせ、黒幕朝倉義景を喜ばせた。1571年は15代将軍義昭が要らぬ自信と野心を深め京で躍動する。その悪影響により三好義継と松永久秀が離反して三好三人衆に下った。


 1571年当時、比叡山延暦寺の主は正親町帝弟覚恕であり京を睨む軍事拠点として戦乱のキーパーソンとなっていた。

 包囲網の分断を図りたい信長はこれまで比叡山解放と中立化を再三要求してきたが無視され続け、比叡山は手を結ぶ浅井・朝倉勢を匿い続ける。

 言うまでもなく中世の延暦寺は武装集団で強力な軍事力を要した。(武蔵坊弁慶は延暦寺の僧兵だった)規制緩和に刃向い、既得権益にしがみつく悪巧み組織である。

石山本願寺にしてもだが、宗教正義の仮面を被り人心を操る魔物組織は始末に負えず大儀でのぞむ為政者を悩ます。

 1571年9月比叡山総攻撃を命じた信長には傍若無人の教団に鉄槌を下す意識があり宗教弾圧などでは決してなかった。

 焼き討ちを逃れた延暦寺覚恕は甲斐武田を頼り亡命する。武田信玄は本願寺顕如と義兄弟で度々、一向一揆を扇動し戦術に利用するなど宗教を利用する戦略に長けたが延暦寺の擁護は織田信長との同盟破棄を意味し対決は避けられぬものとなる。

 1571年末、信玄は相模北条との同盟で武田領駿府から浜松城の家康を牽制するが石山本願寺を介して朝倉義景とも一定の意思疎通を図り利害共有したと思われる。

 1572年の将軍義昭は自己顕示欲の混乱の中で味方の裏切りに怯える。9月、信長はそんな将軍義昭の所業を見かねて“異見十七ヵ条”を突き付け恫喝した。

 10月に信玄が三河・遠江の徳川領に同時侵攻を開始し、徳川軍は劣勢を強いられ二俣城が落城する。

 信長を挑発する武田軍の侵攻は、将軍義昭の要請に答えたものと伝わるが、真相は定かで無い。しかし、武田信玄の朝倉義景への呼びかけにより、浅井・朝倉軍が動き織田軍本隊は岐阜に釘付を余儀なくされた。

 盟友信長が何とかよこした援軍と合流した徳川軍だが、悠然と進む武田軍を無理に追撃して三方ヶ原で大惨敗を喫し、家康が命からがら浜松城に逃げ帰ったのは確かな記しである。

 信長包囲網が喉元まで迫って将軍義昭は、遂に信長から離反する。(1573年2月)義昭は朝倉義景・浅井長政・武田信玄へ御内書を下し、足利将軍として反信長の兵を挙げ反抗勢力を喜ばせた。

 信長は大いに驚いて即座に和睦を申し入れるが、義昭は拒否して朝倉義景に上洛を促している。(明智光秀はこの時正式に将軍義昭と袂を別ち信長に仕える)

 義景の不可思議な行動が又しても窮地の信長を救う。武田信玄の三河・遠江侵攻に呼応して出陣したものの、織田軍の本隊を足止めして、三方ヶ原での武田軍の勝利を聞きつけると、兵の疲労を理由にサッサと越前に帰ってしまう。

 信玄や顕如の再出兵の依頼を黙殺した上に、将軍義昭が反信長に転じて勝利目前の上洛を促しても足踏みしたのだ。

 1573年3月、武田軍進軍が突如として停止し4月に撤退を始める。異変を察知した家康は探りを入れて“信玄の死”を確信すると、武田領に侵攻して勢力奪還に努める。

 同月に正親町帝勅命に従い、織田信長は将軍義昭と和睦に合意するが、7月になり将軍義昭が再度反抗の挙兵をすると、いい加減、京から放り出した。

 二条御所は破壊され信長が略奪を禁じなかったので義昭は追剥に晒されたという。室町幕府は事実上滅亡して、義昭はその後も流浪将軍として毛利輝元の庇護を頼りに打倒信長を呼び掛けるが、旧幕臣の多くが織田政権で奉行を勤めた明智光秀の配下と成り元号も改まる。(天正元年1573年7月)


 1573年8月信長の浅井掃討軍が北近江に侵攻して越前朝倉の援軍が駆けつけるが、

「もはや救援不可能」と判断した義景は浅井勢を見捨て越前へ撤退を始める。

 義景の行動を予測した信長の追撃は厳しく、義景勢が越前一乗谷に帰還した時には側近が10人程度だったという。朝倉軍の壊滅により一乗谷の守備隊も逃げ出して、   

 放棄された一乗谷は業火に包まれ、寺に逃げ込んだ朝倉義景は従弟景鏡の裏切りで最後には自刃を遂げる。(1573年8月)

 朝倉一門は滅亡し、朝倉景鏡は名を変え生き残るが子息もろとも一揆の標的となり殺された。

 織田軍は取って返して全軍で浅井氏小谷城を包囲する。長政へ降伏を呼び掛けるが最終勧告も決裂する。長政自害により3年に及んだ戦闘は終結して信長妹お市の方と子の「茶々」「初」「江」は戦火の小谷城から救出される。(1573年9月)


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