第13話 サードインパクト(元寇)

 大陸の歴史は、1206年に初代チンギス・カンがモンゴル高原に君臨してから、1215年に女真国『金』を攻めて、中央アジア『西遼』に侵攻。これを次々滅ぼしてチンギス次男チャガタイに与えた。

 1218年、帝国の西進はイスラム王朝『ホラズム・シャー』に移り、長男ジョチの攻略軍と次男チャガタイと三男オゴデイが率いる包囲軍が敵の重要拠点を、5カ月で陥落させ、チンギス・カン直属軍と末子トルイから成る主力本隊と先行する別動隊が敵の本拠地を悠然と目指した重厚な戦略でホラズム・シャー朝を圧倒した。

 ジョチ軍の進路上の都市は次々略奪に晒され、1220年に本隊と合流すべく進軍を開始する。チンギス・カン本隊が州都ブラハの町を焼き尽くし、主都サマルカンドにモンゴル全軍が集結した頃、ホラズム・シャー主7代スルターン(イスラム君主号)アラーウッディーン・ムハンマドはさっさと都を捨ててイラン方面に逃亡する。

 そもそも中央アジア侵攻はアラーウッディーン王への復讐が引き金なので討伐軍がすぐに追跡に向かった。

 討伐軍侵攻に辛うじて抵抗を続けたのは、逃亡先で死去するアラーウッディーンの子でスルターンを継いだジャラールッディーンでありイラクからアゼルバイジャンを根城にしたが、1225年チンギス・カン本隊にインダス川のほとりまで追い詰められ

川を渡ってインドに逃げ去った。

 これをもってチンギス・カン軍はモンゴルに帰国し、広大な領地分割に着手する。長男ジョチに南西シベリアから南ロシア一帯の征服地を、次男チャガタイは約束通り故地の中央アジア西遼を、三男オゴデイには西モンゴル及び、ウイグル北部支配権を与えた。末子トルイはその時には何も与えられないのだが“末子相続”は遊牧民社会の相続形態で、チンギス・カン死後に本拠地のモンゴル高原が与えられる。

 皇帝(カン)後継者には、温厚な三男オゴデイが指名されて、兄弟が力を合わせて広大なモンゴル帝国を支配する事を望むチンギス・カン心情が表れた。(1225年)

 1226年、一年の休息の後に“臣下の礼”を反故にして『金』と謀反の同盟を結んだ『西夏』へ討伐軍を挙げると冬で凍結した黄河岸辺で両軍が激突し、モンゴル軍は30万以上の敵軍を撃破して西夏は事実上壊滅した。1227年に金へ侵攻が始まるが、チンギス・カンが陣中にて崩御する。

 チンギス・カンの遺勅は、西夏皇帝の死刑と金を完全に滅ぼす計画だったという。後継は末子相続人トルイの協力により、チンギス・カンの願い通り三男オゴデイが1229年即位すると、トルイと協力して最終戦争に臨み遂に成し遂げる。(1232年)

 末子トルイは遠征帰路病没し、長男ジョチも1225年既に亡い。次男チャガタイの支持からオデコイが皇帝として地位を固め、1234年に自らの主導で『クリルタイ(有力部族会)』を開いて、モンゴル高原中央に首都カラコルムの建設を決めた。

 これ以降は、モンゴル2代皇帝オデコイは首都カラコルムに留まって、軍事遠征は配下の軍隊に委ねられることになる。

 オゴデイは即位後すぐ討伐軍をイランに派兵し、逃亡者ジャラールッディーン軍を襲撃破してホラズム・シャー朝を滅亡させる。

 1236年総司令官パトゥ(ジョチ家当主)に、モンケ(トルイ家当主)とオデコイ長子グユクのモンゴル王家後継者を揃って派遣し、ルーシー・東欧に至る西方遠征と南宋方面・高麗方面の東方遠征を始動する。


 南宋遠征はオデコイの後継を期待された総司令官クチュの急死から失敗に終わるが西方遠征は快進撃を続け、ポーランド侵攻を止めるべく集結したヨーロッパ連合軍の2万騎を『ワールシュタットの戦い(1241年)』(神聖ローマ帝国・ポーランド王国

・テンプル騎士団・ドイツ騎士団らが参戦)で撃破した。

 オデコイの急死(1242年)により、モンゴル本国へ帰還するがヨーロッパ諸国に与えた恐怖は甚大だった。

 翌年、チャガタイも病死してチンギス・カン実子が居なくなると、オデコイ長子のグユクが5年を経て、3代モンゴル皇帝に即位する。しかし、グユクは征西再開途上で急死して帝国統治は再び混乱する。

 元々、グユクとの諍いからパトゥ(ジョチ家)はオデコイ家の皇帝独占を嫌って、モンケ(トルイ家当主)の皇帝継承を目論み、オデコイ家とチャガタイ家が策謀したクリルタイを欠席すると、モンケは西方遠征での武功を背景にして帝国内に支持者を増やし皇帝即位を強行する。(1251年)

 反目したオデコイ家とチャガタイ家の有力者は次々処刑され、それぞれのウルス(部族集落)は解体寸前まで追い込まれた。


 4代皇帝モンケはモンゴル帝国の領土を3大ブロック、漢地(中国)・中央アジア・西アジアに分割して地方行政機関を再編する。各地には財務官僚と行政府を置いて、同母次弟フビライを漢地(中国)の総督に、三弟フレグを西アジア総督に任命して、その方面の征服を委ねた。

 各々が目覚ましい進軍を続けたが4代皇帝モンケ自身は南宋との苦戦の末1259年、長江上流の陣中で疫病を患い没してしまう。

 モンケの死は、1260年に征西先のフレグへ届いて、フレグ本隊が進軍を中止して帰還すると、放り出された戦線ではモンゴル軍が惨敗して、シリア一帯の領土を明け渡す事になった。

 帝国首都カラコルムにあって留守を預かる末弟アリクブケはモンケ旧政府の支持を得て皇帝(カン)即位を進めたが、南宋別動隊を率いて漢地にあった次弟フビライが中華及び東南部モンゴル高原のチンギス・カン諸弟ウルス(部族集落)の支持を集め漢地にてモンゴル皇帝を先に宣言する。

 続いて、帝国の首都カラコルムで末弟アリクブケが即位すると、二人の皇帝による南北帝位分裂状態となる。(帝位継承戦争)

 この内紛最中にあり、三弟フレグは本拠地の西アジアに留まり続けて、自立政権『イルハン朝』を興すと、フレグによる“イルハン朝”と、ジョチ家ウルスを継承したパトゥ弟ベルケの対立戦争と、フビライとアリクブケの帝位継承戦争は没落していたオデコイ家・チャガタイ家ウルス勢力の絶好の復活の機会となる。

 1264年フビライが単独のモンゴル皇帝になる頃には、帝国の支配下はモンゴル・ウイグル・チベット東に限定され、大規模な軍事遠征は不可能になっていた。


 フビライは帝国分裂を追認して、フレグによるイラン高原支配を認めるとともに、自身は中華支配の安定を目指したが、アリクブケの助力でチャガタイ家当主となったアルグが離反してフビライ支持に回って、アリクブケを共闘した事で、帝国の混乱はフビライ勝利で一旦収束に向かう。

 この機にフビライは統一クリルタイ開催を帝国全土に呼び掛けて、フレグ・ベルケ共に戦の膠着状態にあり応じたが、1265年にフレグが、1266年はベルケとアレグが次々世を去り、西アジア・中央アジア情勢は再び不穏となった。

 フビライは緊急措置として、イルハン朝後継者にフレグの長男アバカを任命して、ジョチ家当主はパトゥ孫であるモンケ・テムルを任じ、チャガタイ家当主は後継者が若年のため共同統治とした。

 モンケによる粛清で没落していたウルス勢力を統合して、中央アジアで権勢を奮うオデコイ家有力者カイドゥが、フビライからの度重なる召還を無視して1268年には反旗を翻すと、チャガタイ家を掌握したバラクと、ジョチ家モンテ・テルムの三王家ウルス間の駆け引きにより、中央アジア分割が示し合わされたのだが、イラン地域を治めていたイルハン朝アバカはバラク軍の侵略を許さず迎撃すると、モンゴル皇帝のフビライもこれを正式承認する。続いてジョチ家モンテ・テルムも正式承認すると、フレグ家(イルハン朝)イラン支配は中央アジアで規定化した。(1270年)

 フビライは新都大都(北京)へ遷都を決め(1268年)造営を進め、1271年支配地国号を『大元』と改める。

 中華王朝化と中央アジア反乱分子との戦いは同時進行であり、同年イルハン朝との戦いに敗走していたバラクの死去により、カイドゥが中央アジアで台頭して、独自の勢力を形成すると皇帝フビライに対抗する一大勢力に成長してゆく。


 モンゴルの中華王朝化は悲願の南宋征服を命題としたが、皇帝フビライが日本への侵攻を同じく重要と考えた事は意外という他ない。

 マルコ・ポーロが面白可笑しく語った“黄金のジパング”に乗っかっただけとは思えないが、日本側のお粗末な外交手腕も手伝って、フビライは部下の制止を振り切って『元寇』を開始する。(1274年)

 10月、対馬侵攻(文永の役)が火蓋を切ると、壱岐・肥前沿岸の幕府御家人衆は成すすべなく攻め込まれ、博多湾では上陸を許すが総力を挙げた陸戦でどうにか踏み留めた。翌日に元の上陸軍は博多湾から撤退を始めて、出撃から二か月後には敵軍は合浦に帰還していた。

 実質15日間で戦闘は集結したのだが、撤退後に取り残された元軍船は記録だけで140艇余り、多くが日本海の荒波により座礁したという。この時の大宰府と鎌倉間は飛脚で12日半かかり、鎌倉に対馬襲来の報が届いた時には元軍が撤退した後だが、 

 防衛必至の八代執権時宗は、元軍の本州上陸に備えて非御家人にも動員令を発す。

 これは幕府奉公人でない武士や公家寺院に対する命であり、これまでは極力介入を避けた幕府の方針が転換されて、朝廷権力へ更に影響力を誇示した事が窺われる。


 鎌倉幕府執権北条時宗が、国家を率いる存在として国難に対処したという事だ。


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