第12話 執権政治と国威高揚

 三代執権北条泰時が亡くなった。


 万全を期した継承で嫡男経時は四代執権に就いて、幕府制度の簡素化など精力的に職務をこなし、27歳に成長した四代将軍頼経の周りに形成されつつある御家人内の反執権勢力の解体に取り組む。

 1244年、頼経の将軍職を解任させると、頼経の子を五代将軍藤原頼嗣に据えて、元服させ、翌年に7歳で執権経時の妹檜皮姫(16歳)を正室とさせた。

 ところが、父四代頼経は解任後も鎌倉に留まって五代将軍頼嗣を補佐すると勢力を維持し続ける。経時はこれにより、心労深く体調を崩して、弟時頼が兄経時の名代を勤める機会が増える。五代将軍頼嗣も病弱で正室の檜皮姫(経時妹)も病に臥せり、先行きが重なり危ぶまれると、1246年に経時邸で一門重鎮によって“深秘の御沙汰(秘密会議)”が開かれ、後の執権職を経時の子2人が幼少のために、正式に弟時頼に定めた。程なくして経時は亡くなり(享年23歳)2人の息子は出家する。

 五代執権時頼は、就任して直ぐ前将軍一派を一掃して、頼経を京に追い払い地位を盤石にすると、六波羅探題の北条重時を補佐役に迎えて娘を正室とする。

 1252年、五代将軍頼嗣を京に追放すると遂に『皇族将軍』として後嵯峨院皇子の擁立を許され、六代将軍宗尊親王とした。

 将軍家と摂関家を牛耳る九条家排除の力学が幕府と朝廷共通の思惑となり北条家による幕府専制を後押しした形であり、後嵯峨院の長子でありながら母方の身分が低く皇位継承の目が薄い宗尊親王が選ばれ、尼御台政子の治世より鎌倉殿の威光を望んだ北条氏の念願であった『皇族将軍』が誕生する。

 元々家柄が低く自ら権力を保障する正統性に欠ける北条氏が源氏の途絶えた幕府の権威を維持するには朝廷権威の取り込みが是が非でも必要だった。

 ここに将軍(鎌倉殿)を神輿にして執権と連署(補佐役)が率いる評定衆が幕府を主導する体制が確立するが、支配の正当性を得るには御家人や領民の政治への支持を取りつける善政が求められる事を、五代執権時頼は良く理解して積極的に庶民救済をおこなった。聖人君主である三代執権泰時とよく比較されるが、政治色が強くて単に

“良い人”という感じではない。

 1256年、連署重時(二代執権義時三男)が辞任出家して後任を定めると、時頼も出家の準備を進め、年内に北条長時(重時嫡男)に執権職や官職に邸宅などを譲って出家した。

 しかし、最高権力者は依然として時頼であり幕府序列一位時頼、二位重時に変わりなく翌年、時頼嫡男が元服し、2年後に同母弟が元服すると、1261年に正室と側室の子の序列を定めて後継者争いを未然に防いだ。

 この時代に、源頼朝以来の有力御家人衆三浦氏を滅ぼし(宝治合戦1247年)対抗勢力を抑え込み悲願の皇族将軍擁立(1252年)を叶えると得宗(北条氏惣領家)へ権力集中が行われ執権・連署の地位は無形化する。

 1242年『第88代後嵯峨帝』擁立以来、1246年『第89代後深草帝(持明院統)』、1256年『第90代亀山帝(大覚寺統)』即位と、後々まで因縁を残した幕府統制下の皇位継承が重ねられ、1263年に政界を牛耳ったフィクサーの北条時頼が37歳にして早世すると、翌年六代執権長時から七代執権政村(二代執権義時四男)が引き継ぐ。

 得宗家嫡男の時宗(14歳)は連署に就いて、幕府重鎮の補佐を受けながら幕政に関わり、1266年六代将軍宗尊親王の解任と京へ送還を決定する。


 1268年に高麗を介し『元(モンゴル帝国)』国書が鎌倉へ届くと、権力一元化を図るため八代執権に時宗(18歳)が就き、64歳の政村は再び連署として補佐に周り侍所別当まで務めた。

 外交は本来は朝廷の担当だったが、幕府はかねてより博多を鎮西奉行に統治させて南宋貿易に力を入れ、鎌倉には僧侶の往来も多くあったので、大陸でのモンゴル帝国侵攻計画を掴んでおり『蒙古襲来』へ備えが始まっていた。

 朝廷では評定が連日のように続き後嵯峨院が出家して“異国降伏祈願”が行われるが翌年にはモンゴルから75名の使節団が対馬に上陸する。日本側の入国拒否によって島民2名がモンゴルに連れ去られて、半年後に使者を伴い大宰府へ帰還する。彼らは皇帝国書ではなくモンゴルの行政府属国化要求を携えていた。

 これに対して、朝廷は一度は返書を決めたが、幕府からの返書中止の上奏を受けて取り止めモンゴル使者を手ぶらで帰還させた。(1269年)


 モンゴル皇帝フビライはすでに侵攻を決め軍備に入り、1271年高麗の国境付近に威嚇目的で軍勢を集結させて5度目となる使節を送ってきた。

 回答期限を定め大宰府に100人余りが居座るが、大宰府は返書代わりにフビライへ使節団派遣を決める。

 モンゴルは国号を『元』に改めて大都に遷都していた。元使節趙良弼を伴い大都を訪問するが、元側は使節意図を軍備偵察と判断して、皇帝フビライへの謁見を許さず日本使節は帰国する。

 その後も、幕府は元からの国書に一切返事を許さず、朝廷からの書簡も却下した。一方で元に征服された高麗残党勢力である三別抄からの援助要求も黙殺させている。

 国内の世論や北条一門と御家人の動揺に臨むべく、挙国一致の臨戦態勢を狙って、七代将軍維康親王(3歳)を征夷大将軍就任後に臣籍降下させて帝より源姓を賜り『源維康』と名乗らせた八代執権北条時宗は武士階級を結集する源氏将軍と後見する北条得宗専制の形成を万全に整えて、未曽有の危機に臨む。(1272年)

 同じ頃、京都で後嵯峨法皇が崩御(53歳)生前に亀山帝皇子を皇太子任命したが後深草院と亀山帝のいずれを“治天の君”とするのかは“幕府に求める”との遺勅を残し幕府が亀山帝親政に定めると1274年8歳となった皇子に譲位『第91代後宇多天皇』が即位した。


 『セカンドインパクト(中華の脅威)』から600年経過し、今度は武力侵攻の脅威『サードインパクト(元寇)』が迫っていた。

 日本国の外交対処は以前とは明らかにレベルが違う内向的で知性に欠けるものだがある意味やむを得ない、前回は日本史に燦然と輝ける偉人聖徳太子が臨んだのだ。

 それに、モンゴル皇帝フビライは日本列島こそが、“ジパング(黄金の国)宝島”と考えた。これは高麗人の耳打ちだけのせいではなく、空海上人が唐時代にバラ撒いた砂金の記憶(記録)が信じさせた節もある。

 だが、超良弼(元使節)は、大宰府に滞在した1年余りで強く感じた日本の貧しい実情を皇帝フビライに強く進言して「利がない無窮の巨壑」との判断から日本侵攻は一旦は取り止められる。(1272年)

 皇帝フビライ率いるモンゴル帝国は大陸を縦横無尽に駆ける強大な捕食者であるが海を渡る戦いに長けたわけでなく、見返りの薄い戦に時間と戦費を割くほど愚かでもない。つまり、知的な政治的アプローチに成功していれば『元寇』は防げた可能性が高く、皇帝フビライにしてみれば、通算6回も使節を送りながら返書さえよこさない日本の態度にはらわたが煮えくりながら、帝国利益を考え一度は侵攻を断念したが、 

 南宋と三別抄で戦線勝利が確定すると、日本への軍事作戦に専念する余裕が生まれ侵攻再開させたのだ。

 1274年1月に高麗で戦艦300艇の建造が始まり、5月主力(蒙古・漢軍)15000人が高麗到着。6月大小900艇が金州に配備して、8月総司令官の都元帥クドゥンが高麗に着任する。高麗軍と女真人軍が加わって、水夫を含んだ軍勢27000~40000が合浦を出撃したのは10月。モンゴル帝国軍の精鋭が列島に襲い掛かろうとしていた。


 菅原道真が遣唐使を止めて(894年)大宰府の統制下で、日本の外交貿易は細々と続けられたが、1019年に女真族(満州人)とみられる海賊団が壱岐対馬を襲って、筑前(大宰府)に侵攻する事件(刀伊の入寇)が起きて大宰府で貿易衰退が進んだ。

 日宋間では正式な外交の貿易は行われず、一般の渡航は表向きは禁止されたが、1127年に女真国『金』侵攻により華北を失って生まれた『南宋』が急発展すると、私貿易が頻繁に行われ貿易商船が筑前と南宋間を往来した。 

 父代から日宋貿易に着目した平清盛が大宰府に就任して(1158年)博多に新たな貿易港を開いて日宋貿易の独占が始まる。

 平家が瀬戸内海の航路を掌握すると福原へ直諭(1173年)が始まり、鎌倉時代に入って宋銭の普及による貨幣経済が進むと、鎌倉仏教新興にも大きく関わる南宋との貿易を北条得宗家も厚く保護した。

 中華『金』がモンゴル軍の侵攻で滅亡(1234年)した翌年には、中華『南宋』で国土防衛戦が激化するが、モンゴル軍司令官クチュの急死により南宋が戦いを有利に進め、後には2代オデコイ(1241年)3代グユク(1247年)4代モンケ(1259年)と

3人のモンゴル皇帝死去によって国家存亡を免れてきたのだが、5代皇帝フビライの時代に1268年から1273年の5年間にも及ぶ国土防衛拠点の包囲戦で抵抗力を無くした中華『南宋』はモンゴル帝国『元』フビライにより完全に滅ぼされた。(1279年)

これにより、中華にはモンゴル民族の統一国家が誕生したことになる。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る