第11話 鎌倉乱世

 鎌倉幕府成立とされる1192年当時の日本人口は757万人、畿内中心の国家経営から東国鎌倉へ首都移転がおこなわれ文化圏が大きく広がり、鎌倉のような袋小路の要塞都市にも、現在とあまり変わらない10万近い人々が暮らした。

 稲作を中心にした農業技術の向上により利用価値を増した地域に生活圏は広がり、全国に集落が出現。農民とその暮らしを守る“地頭(武士)”と神社仏閣が結びついてムラとなる。この元締めが鎌倉殿(武家の棟梁)というわけだ。

 興味深いのは、天皇の権威(天の継承者)は不可侵“現人神(あらひとがみ)”という暗黙の了解であり、諍いの種にも成り易い国家権力の二重構造を時の為政者が穏便に利用してきた日本文明の特異性が武家の世にも継承されたことだろう。

鎌倉殿は天皇御所のある『都』と『首都』(政治経済の中心地)を分離させた最初の権力者であり、雅(みやび)な都から、庶民へと政(まつりごと)が移ったのだ。


 とは言え、始まったばかりの治世に源頼朝はもういない。嫡男の源頼家が18歳で家督を継いで、二代鎌倉殿(征夷大将軍)となったが、急な政権交代に乗じた不穏な動きは当然起きる。

 頼家は若く、鎌倉幕府成立の原動力となった東国御家人衆や朝廷の反幕府派と渡り合えるはずもなく、不満も不安も鬱積して、三か月後に、御家人衆“十三人合議制”が敷かれた。

 これは頼家の資質の問題というより、そもそも寄集めの烏合(うごう)の衆を頼朝のカリスマ性で一つにしたに過ぎない鎌倉幕府が、行政府としての安定感を手に入れる名案ではあったが、有力御家人による主導権争いの側面は拭えない。

 頼家を立て、御家人内で立場を強める梶原景時と比企氏(乳母・義父一族)勢力に思うよう権勢を揮えず、へそを曲げ遊興にふける2代将軍頼家。こんな情勢に脅威を感じていた尼御台(北条政子)は、景時の失脚を契機に御家人衆の合議制が解体した後の1203年、将軍頼家が急の病に倒れ危篤状態となり、鎌倉に暗雲が立ち込めると幕府存続をかけた大博打に出る。

 頼家存命にも関わらず、朝廷に次男実朝の家督相続の報告と三代征夷大将軍へ任命要請を送り頼家嫡男一幡の外祖父として権勢を奮う比企能員を父時政に謀殺させる。

 比企氏一族は滅亡して嫡男一幡も共に亡くなるが、その後2代将軍頼家は想定外に危篤を脱して、ひとり寂しく生き残った怒りに任せて北条時政討伐を命じるのだが、従う者も無く。鎌倉殿の地位を追われ、修善寺に幽閉されると北条一門に謀殺されてしまう。(1204年享年満21歳)

 尼御台(北条政子)は頼家に出家を促したのだが恨み深い頼家を諫められないまま後顧の憂いを断つには殺す他はなく……。亡き夫頼朝が残した幕府を守り抜く姿勢は生涯かわらずに貫かれ、次男の実朝が三代目鎌倉殿に就任して12歳で征夷大将軍に就くと、祖父時政が『執権』を勤めて継室である牧の方の謀計が発覚すると、迷わず実父である時政を修善寺に流して、弟義時に執権職を移した。

尼御台政子にとって弟北条義時は亡き夫の源頼朝が最も信頼し“家子の専一”と呼んだ懐刀であり続けた。

 三代鎌倉殿は尼御台の命で、13歳になると後鳥羽院の従妹信子を正室に迎えて、15歳で兄頼家の次男善哉(7歳)を猶子とすると、芽生える自我から執権義時と若干反目して、教養ある文人肌として京の朝廷勢力と柔和を図り、都で後鳥羽院の信任を得て昇進を重ねる。

 しかし、公家寄りの姿勢は御家人衆の不満にもつながり易く、尼御台は後難を断つ目的から二代頼家の子達を仏門に入れた。善哉は出家して公暁と名乗り、12歳から18歳まで京で暮すと1217年、尼御台の意向によって鶴岡八幡宮寺の別当に就任して鎌倉に戻り、千日参篭で裏山に篭って寺院に現れることは滅多になかった。

 1219年、三代将軍実朝が鶴岡八幡宮を参詣すると、公卿が立ち並ぶ儀式の中で、頭巾を被った公暁が襲いかかり「親の敵はかく討つぞ」と叫び斬りつけ、将軍実朝の首を落とすと、それを持ち去り姿を眩ました。

 数千の兵はすべて鳥居の外で控え、その場に武装した者はなく、まんまと逃げ切る公暁は後見役を通じ東国大将を宣言する。

 謀殺を逃れた執権義時の元に公暁の動向が知らされると、すぐに討ち手を送り込み勇猛な公暁を何とか討ち取った。(公暁享年20歳)

 この事件が単独犯とは到底考えづらいが、後世の研究でも黒幕には確証が得られず謎である。尼御台政子は悲報に嘆くが三代将軍実朝の葬儀が終わると鎌倉殿の任務を代行して幕府の指揮をとり朝廷へ後鳥羽院皇子を幕府将軍に迎えようと願いでた。

 京の院政派はこれを拒否して、執権義時が重ねた交渉も物別れに終わる。幕府は

“皇族将軍”を諦めて摂関家より三寅2歳(藤原頼経)を迎えることに存続をかけた。こうして、三寅の後見役として政子が『尼将軍』と呼ばれ、鎌倉殿を勤める。


 後鳥羽院は皇権回復を掲げ、遂に兵を挙げる(承久の乱1221年)が、執権義時への追討宣旨に対する御家人衆の動揺を、尼将軍北条政子の声明「最後の詞」が抑えると幕府の論調は消極策から京へ進軍に移り、向かう幕府軍は19万騎に膨れ上がる。

 京方は成す術もなく都を占領されて、呆気なく後鳥羽院は隠岐島に流された。


 尼将軍と執権義時の戦後処理は朝廷に極めて厳しく『第84代順徳上皇』も佐渡へ流され、計画に反対した土御門上皇は望んで土佐国へ移ると、残る後鳥羽上皇2人の皇子も揃って流され、在位70日間の順徳上皇嫡男を廃帝『第85代仲恭天皇』して『第86代後堀河天皇』10歳が即位。後見役は父親に後高倉院として院政を行わせて後鳥羽院の膨大な荘園を没収寄進したが、支配権はすべて鎌倉幕府が握った。

 公家政権の監視に“六波羅探題”が設置され京方貴族・武士所領30000箇所が没収。東国武士が恩賞として地頭に就いて、二代執権義時の率いる鎌倉政権(執権政治)が京の公家政権に対し支配的な地位を持って凌駕する契機となる。

 朝幕関係は新たなフェイズを迎えるが最中で義時が62歳で急死する。(1224年)嫡子の泰時(42歳)は見識も実積も充分で、任地京から鎌倉へ戻ると継母が実子を次期執権擁立に動いたと聞かされ驚くが混乱に動じず、家督を相続して三代目執権に就いた。

 尼将軍政子は継母を謀反人として罰すると、執権泰時の権威を高めるよう強硬案を画策するが、求心力を高めて幕府始祖の頼朝や尼御台政子を模す専制体制を敷くのは困難と考える三代執権泰時は、父義時に倣う協調路線で幕政を考えて、尼将軍政子と有力幕臣の大江広元が世を去ると集団指導体制を打ち出した。(1225年)

 実力者で叔父の北条時房を任地の京より呼び戻して補佐役に任ずると有力御家人の代表と幕府事務官僚から選んだ『評定衆11人』と自分達2名を併せた会議を新設して幕政最高機関に置いた。

 1226年に三寅(8歳)を元服させて、藤原頼経として正式に征夷大将軍に据えると象徴として鎌倉殿となった四代将軍頼経を敬い武士主従関係の模範であろうとする。

 また朝廷より法律家を招き貴族法を熱心に学び、道理(武士社会の健全な常識)を基準とし、先例を取り入れながら統一的な“法典”整備にかかり、評定衆と合議の末に全51カ条からなる鎌倉幕府の基本法典『御成敗式目』が完成する。(1232年)

 それ以前の法律制度が中華律令に倣うものだったのに対し、御成敗式目はもっぱら日本社会の慣習倫理観に則して独自に創られた固有法という点で大きな意義がある。

 泰時は目的を語り“田舎では律令の法に通じている者など、万に一人もいないのが実情である。このような状態で律令の規定を適用して処罰するのは、獣を罠にかけるようなものだ。この式目は漢字すら知らない地方武士のために作られた法律であり、従者は主人に忠を尽くし、子は親に孝をつくすよう、人の正直を尊び、心の曲がりを捨てて土民が安心して暮らせるようにというごく平凡な『道理』に基づいたもの”と説明した。

 この時期は、天候不順による飢饉が猛威を振るい、国中が疲弊して広がる社会不安から毅然とした国家の運営が求められた。

 そんな庶民のニーズに答えて、各地で起きる紛争の解決に、強者と弱者の不公平をなくし、裁定を下した三代執権泰時、徳政の偉業といえる。


 1240年政権の中心的役割を果たした北条時房が亡くなり、単独の執権職になると主な評定衆を招集して嫡孫経時を後継に指名する。(1241年)

 泰時の優れた政治センスが見えるのは同時に北条実時を補佐役に任命したことで、実時は二代執権義時の孫で10歳にして泰時が元服させ烏帽子親を務めて以来、目をかけて同年代の嫡孫経時側近として育成すると、18歳で評定衆になった経時を支え以後は永きに渡り重鎮として幕政に関わることとなった。

 1242年、『第87代四条天皇』が元服の翌年に早世すると後高倉院血統が途絶え、

やむなく“承久の乱”で流された後鳥羽院血統から次帝を選ぶ事となり、公卿と幕府で意見が分かれ、11日間空位を生む難航の中で擁立した『第88代後嵯峨天皇』が即位する。

 続いていた体調不良に皇位擁立の心労が重なり、泰時は亡くなる(享年60歳)がその生涯は幕府権威を安定させ武家の政治と文化の礎を築く功績が高く評価される。



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