第4話 国家成り

 『万世一系』とは、明治の世に天皇統治の国家復活を掲げ願った岩倉具視の言葉であり、大日本帝国憲法(1889年・明治22年)公布においても、第一條に明記された不変の統治者の定義だ。

 日本の建国記念日は、日本書紀が記す初代神武天皇即位、紀元前660年2月11日に倣い、毎年2月11日を国民祭日としたのだが、敗戦による占領期に一度は廃止されて解放後14年間、右派と左派の押し問答の末、1966年(昭和41年)2月11日にようやく国民祭日として復活した。

 国歌『君が代』は、第60代後醍醐天皇勅命で編纂されて、AD905年に奏上された古今和歌集の一説であり、“相手への長寿を祝う歌”として、永く広く引用されてきた和歌が700年継がれて、江戸前期には天皇を祝賀する歌という解釈になり、明治には国の賛歌として曲が着いた。

 1999年(平成11年)になり、占領時代GHQの強制政策による斉唱禁止を乗り越え国旗『日の丸』と共に、国歌『君が代』として正式に法制化された。

 日の丸は、天照大神(アマテラス)伝説や聖徳太子の“日出ずる国”に表れるように国家信仰でアイデンティティを具現化したもので文献から大宝元年(AD701年)に日像の旗を掲げたとあり『日の丸』の原型とされる。 ※白地に赤丸ではない

 古くから官軍の『錦の御旗の日之御旗』は赤地金丸であり、白地赤丸は源平合戦(1180年~1185年)で官軍を名乗る平氏が赤旗を使ったのに対抗して、源氏が白旗を使用したことに由来とも、古来伝統的な精神世界観といわれる『ハレとケ』からともされる。

 『ハレ』とは折り目・節目を指す概念で、『ケ』は日常や普遍という対比になる。日常が枯渇すると、『ケガレ』となり『ハレ』の祭事を通して回復する気の循環が、ひとつの精神構造として、日本の社会に根付いている。

 色に置き換えれば、ハレ=赤・ケ=白であり『紅白』は祝いの伝統的な組合せで、

国旗の意識で諸外国を相手に『日の丸』を使ったのは、幕末、島津斉彬や徳川斉昭が日本船の船印として徳川家意向を退け『日の丸』を統一して採用させたことによる。1853年~1854年(嘉永6年~嘉永7年)


 現代の日本人は自らをよく知らない。理由は簡単で『占領と支配』がそうさせた。

表向きは、1945年(昭和20年)8月の降伏受諾から、1952年(昭和27年)4月28日の講和条約発効に至る7年以上に及んだ国家国民の占領経験と、真相では後にも様々に強いられる支配圧力によって、集団であり個人が否応なく受けてきた抑圧ストレスによって発症したPTSD(心的外傷後ストレス障害)による自己否定や心身乖離など、世代を超えて遺伝子に刻まれ継承された“正義の幻想と眼暗の懺悔”による。

 元来、我ら民族の性分は、東の外れの小島にあって、日を背にした大陸西域で育つ文明との交わりに乏しいが、独自のコミュニティ(文化・民族)を育むのに長けた。太古からの連綿とした暮らしの中にアイデンティティの源泉があるのだ。


 ユーラシア大陸東の外れ、古代日本列島に移り住んだヒトは、氷期の極端に食料の乏しい森を移動しながら家族単位で狩猟と採集の放浪生活をおくって、やがて群れることで存亡の危機を乗り越えた。『後期旧石器時代約BC35000年)』

 ところが、大陸西域方面に移り住んだヒトは、我々の祖先と少し違う経験をする。そこにはすでにネアンデルタール人が捕食の頂点に君臨していた。

 彼らの種族は屈強で賢く、仮にチカラだけで争えば、ホモサピエンスは生存競争で負けていただろう。しかし結果、ネアンデルタール人はヒトに僅かな遺伝子の痕跡を残して絶滅する。(4万年前)

 理由は様々語られるが、食料の乏しい氷期に生活圏を同じくした哺乳類両種族が、片や略奪うごめく文明の先駆者となり、片や絶滅したのだ。所説は語るに及ばずで、人類の略奪の歴史の原点が、4万年前の出来事によって方向付けられ、ヒトのサガが決したといえよう。


 氷期が終わる約1万年前に海面は急激に上昇し、気候が温暖に向かうと針葉樹林に覆われていた列島の森には落葉広葉樹林が増加してゆき、ブナやクリ類のドングリや果実が生い茂る。植生変化はマンモスやヘラジカなど寒冷順応していた大型哺乳類の生息環境を悪化させて急速に数を減らした。

 ヒトは狩猟対象の激減によって、それに合わせた個々の移動生活を辞めて、集団の定住生活へ徐々に移り変わり、木の実の採集とアク抜きや、果実の栽培に漁労など、ヒトの共同作業で食糧を確保する『社会』を形成するようになった。

『縄文時代(BC15000年~BC1000年)』

 BC2300年(縄文中期)推定26万人まで増えていた縄文人だが、BC1000年頃には約8万人まで人口を減らす。

 再び気温が下がり食糧事情が急速に悪化して、栄える文化圏も半分以下に減った。これは、自然の恵みに依存した縄文文明の限界点を浮き彫りにする出来事であって、文明の転換期を示唆していた。

 それは必然であり、この時期に渡来人が増えた理由は単に“戦乱を避けて”である。すでに大陸では“都市国家“間で紛争が常態化していて、民衆はいたるところで困難を強いられていた。紛争を嫌って大陸から船で漕ぎ出せば、黒潮海流が列島へ導いて、多くの渡来人が海を渡る。こうして史上の転換『ファーストインパクト』が起きる。

 

 双方には異国という概念などは存在せず、“遠方の地”に赴くといった所だろうか?

争う思考などない列島の民は彼らを受容れて、ゆっくりと同化してゆく。

 彼らのもたらした『ファーストインパクト(大陸文明)』は、社会に消化されて、大いなる進化が始まる。『弥生時代(BC1000年~AD300年)』

 稲作の普及は食料の安定供給と人口増大に留まらず、政治的なまとまりの”集落”に発展する。それは縄文の共同体と異なる統治者の出現を意味して集落(ムラ)同士が争い、略奪と防衛の武力衝突が公然とおこなわれて、やがては都市国家の『戦争』に発展する文明的な土壌が出来たことを意味した。

 縄文時代、我が民族が育んだ『共生』という平和な社会には、あざとい悪知恵とは違う『ヒトの英知』が詰まっているので、別の機会に掘り下げよう。


 『倭国大乱』とは、複数の中華歴史書が伝える2世紀後半日本列島の内乱である。

いずれも邪馬台国が勝利して『女王卑弥呼』が倭王に即位すると記す。

 記述から読み取れる当時の列島情勢は、30国ほどの小国が分立して、激しい抗争の末に、卑弥呼を共立して倭国王とする連立国家の誕生である。

 そして卑弥呼女王死後の、壱与女王の代に晋国(中華)武帝に朝貢(AD266年)した記録があり、以降の150年間、倭国の歴史記述は大陸の史書から姿を消す。

 大陸が記すこれらの記録は、残念ながら『記紀の記』にすんなりあてはまらない。また、遺跡からも確かな証拠は見当たらず卑弥呼と邪馬台国の存在特定は考古学者の果てしない議論の的である。確かな事は『ファーストインパクト』から1000年余り 

ヒトは支配者を生んで、民族同士殺し合う戦争を始めた。堀を巡らし、防御を固めた集落が高台に造られ、殺傷能力の高い武器が次々生まれてゆく。

 余談だが、ネアンデルタール人との生存競争にホモサピエンスが勝ち残った理由もここにあるようだ。双方の脳容積、身体的特徴から想像されるのは逆の結果であり、生息環境もおのずとネアンデルタール人優位に進んだようで、ホモサピエンスはより厳しい環境での生活を余儀なくされたようだ。

 生活痕跡からは、お互いの抗争も考えづらく種族淘汰の理由は長い間謎であった。

ところが、近年の遺跡研究の検証から興味深い事実が報告されて注目を集めている。

それは、両種族が使用した道具類のバリエーション違いの発見で確かな相違である。例えば狩猟の矢ジリも、ネアンデルタール人は同じような形状を忠実に使い続けたがホモサピエンスはまるで違い、良くも悪くも種類豊富なのだ。これが5000年共存を続けた後に互いをわけた決定的違いで、ヒトの“試行錯誤”は困難を乗り越える本能であり、脳科学でいうなら小脳発達の違いで、環境適応のアイディアをヒトが獲得したことで、生態系の頂点に君臨していったことが伺える。


 『ヒト』が生きる為に、必要な富を手に入れて、己の欲望を満足させる手段とは『労働と略奪』の相反する2つで『経済的手段と政治的手段』ともいう。

 縄文では個々の物々交換(労働)により必要な物資(富)を平和的に手に入れたが弥生の世で政治的集落が都市国家に発達すると、そうともいかなくなる。

 『国家』とは欲しいものを常に暴力(略奪)で奪う。相手が自国民なら『徴税』で他国民なら『戦争』という方法の違いがあるに過ぎない。

 農耕によって築かれた富を『徴税と戦争』で一方的に吸い上げる王侯貴族が支配の頂点に君臨する社会『都市国家』の発達は、世界四大文明に共通する人類の歴史で、寒冷化をきっかけに肥沃な大地に多くの集団が流入して農耕により“自然を支配”する一方、武力によって“ヒトを支配”した。

 この“支配的性向”こそが『ファーストインパクト』の正体といえる。

『国家も徴税』も一方的な『略奪』と論じた。事実、この先も記す『ヒトの歴史』の大半が裏付ける。しかし一方で我々の祖先は9000年以上『平和な文明』を築いた。 

 これは世界には類を見ない“ハイブリットな生活様式(食糧確保)”を実現していた縄文文明にのみ成し得た『平和な歴史』の記録といえるのだ。

 同じ時期の大陸世界では、農耕と牧畜(富の蓄積)の発達により定住が始まるが、それは前筆の通り『略奪の歴史』の幕開けで血みどろの肉弾戦に世界は明け暮れた。

 

 平和的な『交換(労働)』によってヒトの欲を満たせる社会の実現こそが、ヒトの未来構築へ核心的ヒントであり、そこにはコイン(富の蓄積)も徴税(国家支配)も存在しない。答えはある意味で明らかなのだが、ヒトには紆余曲折が必要で経験知が積み重ねられてこそ本質(真理)に近づくことができる。だから、先人に学ぶことは最も合理的な答えの追求であり、大陸から伝わるインパクトに対して縄文の遺伝子が導く独自な思考を紐解き未来に繋ぐことは、我々の世代の重大な責務と考える。







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