第2話 悠久の記(しるし)

 悠久に潜む記(しるし)が今の世に不意に現れて、永く頓挫していた“アマテラスの子孫”のそれからを彼方へ向け記す“繋ぎ”の時が訪れる。それは真理の伝承であり、世俗に映る混迷とは少し違う。

 万物の鼓動のように何にも侵されず“善も悪も時の移ろい”果敢なく生まれては

朽ちる。まるで贖(あがな)えぬ運命であるかのごとく、一切衆生露と消える諸行を、ただ切々と記すのみ。


 古(いにしえ)より『記』が伝えし、大和に住もうてきたアマテラスの子孫が紡いだ時の記憶。

 “イザナギ・イザナミ”の伝承からキリスト生誕の660年も前に『初代神武天皇』が即位して、大和に朝廷が成立すると『第38代天智天皇』の施政である大化の改新(AD645年)を経てその娘『第41代持統天皇』治世、AD697年までを綴(つづ)った

“くに生み”にまつわる神代伝承1357年間を最初に記す。『日本書紀(AD720年)』

 壬申の乱(AD672年)に勝利して即位する『第40代天武天皇』従者により編纂が始まり、50年間かけて完成した。


 以降も飛鳥から平安前期まで200年間は史書編纂が続いたが、『第56代清和天皇』から『第58代光孝天皇』までを記した“日本三代実録(AD901年)”を最後に国史の完成は永らく断ち切れることになる。

 1901年(明治34年)1000年経て、ようやく光孝帝以降の国史の欠損部分を埋めるべく“大日本史料”の発刊が始まり、2020年(令和2年)までに、江戸三代将軍家光1623年(元和9年)の治世までが刊行されている。

 近世については、別に“大日本近代史料”や“大日本維新史料”も発刊されているが、いずれにしても、帝国大学(現東京大学)に国家修史事業が移管され、研究と発刊が行われるようになり、『記』が及ぼす“神通力”のようなものは失われ、もはや国史が表わすヒトと社会は、移り変わりの面白みに欠ける学術書になってしまった。


 古より記の導く業(わざ)の妙(みょう)は俗世をうらなう想(そう)にある。

“法華義疏(AD615年)”は『第33代推古天皇』治世で、仏教普及の立役者とされる聖徳太子が注釈を施した日本最古の肉筆遺品といわれ、法隆寺伝来である。

 史書の多くは歴史宝物と共に寺院の木倉に連綿と保管されてきたが、火災によって失われてしまう歴史遺産も多く、伝承は至難の技であった。

 “乙巳の変(AD645年)”が起り、蘇我蝦夷の焼身自殺によって大和朝廷の歴史書を保管した書庫が炎上して、聖徳太子編纂の”天皇記”など多く書物が失われ、”国記”は難を逃れ天智帝に献上されたと伝わってはいるが現存は確認出来ていない。

 聖徳太子・蘇我馬子編纂による記紀以前の史書でもあり歴史的価値は計り知れず、王墓研究を頑なに拒んでいる宮内庁が指定した“聖域”896箇所の中にある天智帝陵と天武・持統帝の合葬陵は被葬者が特定された稀なケースで、王墓研究が許されれば、有意義な成果が期待され日本の歴史が変わるかもしれないのだ。


 “白村江の戦い(AD663年)”で唐・新羅の連合軍に大敗北して、予想された渡海の攻撃へ備えに忙しかった天智帝により、史書の編纂は弟である天武帝に託された。

 この時代の『記』は、正史“やまとふみ(日本書紀)”と併せて、神代から上古まで記す“ふることふみ(古事記AD712年)”が有り『第43代元明天皇』に献上された。

 勅撰の正史である日本書紀に対し、古事記は“出雲神話”伝承など神道・皇室文化とイデオロギーの源泉とされる神の物語が中心で、江戸時代翻訳が進んで壮大な太古の伝承の片鱗が明らかになると、民族と文化を尊ぶ“国家思想”の成長と共に歴史研究が盛んにおこなわれるようになった。


 記紀(古事記・日本書紀)によって、それまで口承で伝えられてきた帝紀・旧辞が文字として記録され、国家としての正統性が内外に示される。

“倭国”が“日本”と改められて、“大王(おおきみ)”から“天皇”と呼称が変わったのも7世紀(AD601~700年)のタイミングとされ、国家統治が聖徳太子の飛鳥時代(AD592~710年)から奈良時代(AD710~794年)を経て盤石に成っていったことがうかがえる。

  つまり中大兄皇子は聖徳太子亡き後に、天皇の権勢を脅かすまでに増長していた蘇我氏をクーデターで討って、聖徳太子が理想とした天皇を中心とした中央集権国家構築を掲げ、実母『第35代皇極天皇』を譲位させ叔父『第36代孝徳天皇』を据えて、クーデターが私欲でないことを示し、当人は政務に専念した。

 その後に『第37代欽明天皇』に重祚した実母の崩御に際して、7年後にようやく『第38代天智天皇』として即位したのだ。

 

 同母弟の大海人皇子を皇太弟として、盟友中臣鎌足の血統には“藤原氏”を与えて、新たな権力の潮流を創ると、大海人皇子(第40代天武天皇)に4人の娘を嫁がせて、うち一人が後に『第41代持統天皇』となる。天智帝の政策は万全のようであったが天命尽きる直前に嫡子大友皇子(第39代弘文天皇)に太政大臣の最高官職を設け、与えた事で、後継者争い“壬申の乱”の火種となり、敗北した大友皇子は首を吊った。

 実父『第34代欽明天皇』から分かれた兄弟皇統が争う事になり、勝った天武帝の皇統も近親婚で病弱な子孫によって、皇位の継承が次第に不安定になってゆく。

 天武帝には、兄天智帝の後継者というよりも、創始者としての強い気概があった。氏族を弱め、権力を天皇に集中させると次々、社会の整備をおこなう。

 "記紀の編纂”を始めたのも天武帝であり、古来の伝統的な文芸の伝承を掘り起こすことに力を入れ、現存する最古の和歌集、“万葉集(AD780年)”が後世に伝わった功績もその治世にあるといえる。

 政治制度面では“律令の詔(AD681年)”で、法式を改める大事業に取り掛かり、天武帝没後には嫡子草壁皇子の急逝で政策を継承した皇后持統天皇によって史上初の体系的な律令“飛鳥浄御原令(AD686年)”が制定され、天武帝遺勅により史上初の唐風都城である“藤原京”造営が始まった。

 草壁皇子嫡子が15歳という当時では異例の幼さで祖母持統帝から譲位を受けて『第42代文武天皇』に即位すると上皇となった持統院が後見となり、母阿倍皇女を皇太妃とする。

 天武帝の遺を受けて、続けられてきた律令編纂の集大成が、藤原不比等らによって完成すると、文武帝は“大宝律令(AD702年)”を諸国へ発令する。

 その後には文武帝が25歳の若さで崩御して、遺児の首(おびと)皇子が幼齢の為に、祖母にあたる阿部皇女が『第43代元明天皇』に即位すると平城京遷都(AD710年)古事記完成(AD712年)、大宝律令の整備運用などの国家事業の施行が重なって

“風土記編纂の詔”など、諸国の統治も本格化すると実務に長けた右大臣藤原不比等が台頭する。実娘である文武帝姉が『第44代元正天皇』に即位して、権力絶頂の中で不比等が病死すると、権勢は後継の藤原氏四兄弟に引き継がれ、藤原氏による政治の独占が顕著になってゆく。

 文武帝の皇子で、藤原不比等娘を母に持つ、首(おびと)皇子が皇親勢力と藤原氏の政争の最中で『第45代聖武天皇(AD724年)』に即位すると、政務を仕切ってきた皇親派で左大臣の長屋王自害(AD729年)から一気に藤原氏血族支配が台頭する。  

 天然痘流行(AD737年)により、藤原氏四兄弟を始め政府高官が次々病死して、同時期に天災も重なり社会不安が増大すると、聖武帝の政策は、災いを避ける遷都と仏教へ帰依する詔を繰り返して迷走を続ける。

 聖武帝自らは出家して上皇となり、実娘『第46代孝謙天皇(AD749年)』が即位すると、不比等の娘の生母光明皇后が後見したことで、不比等後継者の藤原仲麻呂が台頭する。聖武上皇が崩御すると孝謙帝はその遺勅を廃して、自らの意向で仲麻呂の選んだ皇太子を擁立する。皇親派が焦って画策したクーデターも仲麻呂により事前に察知粛清されて『第47代淳仁天皇(AD758年)』即位後は、実権を握った仲麻呂の専横が続く一方で、譲位後も権力を誇示したい孝謙上皇との確執が表面化する。


 やがて、孝謙上皇は病の看病についた僧“道鏡”を寵愛して、仲麻呂の進言によってそれを諫める淳仁帝と対立すると、諍いは朝廷権威の象徴“御璽・駅鈴”の奪い合いに発展して、孝謙上皇・道鏡サイドが朝廷より接収し“藤原仲麻呂の乱(AD764年)”となった。淳仁帝は加担こそしなかったが、後見役の仲麻呂が戦いに敗れた為に廃位に追い込まれ、帝位は孝謙上皇が重祚で『第48代称徳天皇』となり、皇太子を定めず寵愛する道鏡に次々官職を与え二頭体制を強行すると廃位後も先帝復帰を企む勢力の政治動向を警戒する中、流刑の地で先帝が変死を遂げる。

 勢いにのった道鏡は、太政大臣禅師から法王の位にまで登り詰めて、朝廷官職には一門の浄人が挙って就いて、遂には“神託を装って天皇の座まで狙った”とされるが、叶う事はなかった。

 AD770年称徳帝が病に伏せると、道鏡の権威は急速に衰え生涯独身で子も持たぬ称徳帝が崩御すると完全に失脚した。

 道鏡は明治時代王政復古の下、皇位簒奪しようとした大罪人として日本三大悪人に数えられたが、道鏡自身は恵まれない家柄に育ちながら立身出世を夢見て修行に励む青年期を過ごし宗教、医学、薬学、霊能、を習得した野心家で真面目な僧侶である。 

 孝謙上皇は帝位から離れた途端に手の平を返す朝廷官僚に憤り最初は親身な道鏡を重用したに過ぎなかったが、朝廷内の政治抗争に火を点けてしまい、奈良仏教勢力も巻き込み予想外の政争に発展してしまったのだろう。







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