第41話 陽菜の死ー1

 タイムスリップの話は、二日ほどしなかった。


 木曜日の朝、通学で西馬込駅に着いたとき、さくらから携帯に電話があった。

「はい、さくらどうしたの?」


 さくらは携帯電話の向こうで泣いていた。

「陽菜が、陽菜が……」

「なに? 落ち着いて」

「陽菜が死んじゃった」

えっ……その言葉は耳に入ったが、意味が掴めなかった。


 何か話そうとするが言葉が出ない。


 陽菜が死んだ?


「なに? 陽菜が死んだってなに?」

「小さな男の子が、男の子が……」

「さくら、ちゃんと話して」

「男の子が道路に飛び出して、その子を助けようとして、ダンプカーで、即死だって」

「あーーん、陽菜―、陽菜―」さくらは泣きながらなので、聞き取りづらかったが、内容は分かった。


「もうすぐ学校だから」と電話を切った。


 学校に着いたら、校舎の入り口で一年生の女子生徒が三人集まって泣いていた。入り口から教室に入るまでの廊下や階段で、いくつかのグループがひそひそと話をしていた。


 教室に入った。


 さくらは机に突っ伏して泣いていた。

「さくら!」

さくらの目は真っ赤だった。私の顔を見て

「アン……」、そのあと、もう言葉を話せないほど、さくらは嗚咽し始めた。


 教室ではクラスの多くの生徒が、泣いているか、椅子に座って呆然としていた。


 そこへ、〝えんたく〟が来た。

「みんな、もう浅見の話は聞いたと思う」

「校長にも話して、今日のこのクラスの授業は全て中止にした」

「ぼくは今から病院に行く」

「先生、私も行きます」と、〝えんたく〟に言った。

陽菜が死んだなんて信じられない、絶対に嘘だ。確かめないと。

「私も行きます」、さくらが涙を拭きながら言った。


「二人は浅見の親友だったな。分かった、一緒に行こう」


 第二京浜国道に出て、タクシーを拾った。

三人で後ろに乗った。

「関東病院までお願いします」〝えんたく〟がタクシーの運転手さんに行き先を告げた。

「はい、分かりました」

関東病院は、正式名、NTT東日本関東病院。五反田にある大きな病院だ。

タクシーは二十分かからずに病院の車止めに着いた。


「事故で運ばれたはずだから、救急病棟だ」、タクシーから降りて〝えんたく〟が言った。

一般外来と救急は棟が分かれていて、〝救急センター〟と表示があった。


「女子高校生が事故で運ばれたはずなんですが」〝えんたく〟が受付の人に尋ねた。

「今朝運ばれた方なら、すでに安置されています。ご家族の方ですか?」

「安置……いえ、学校の関係者です」

「ご家族以外はご遠慮いただいています」

「お母さまがいらっしゃると思います。連絡していただけないでしょうか」

「分かりました。そこの受付ソファでお待ちください」


 安置……安置……安置……


 先ほどの受付の人の言葉が頭の中でリフレインしている。陽菜……


 しばらくすると陽菜のお母さんが来た。

髪は搔きむしったように乱れていて、顔は一気に年を取ってしまったようにやつれていた。


「遠藤先生、わざわざありがとうございます」

「アンちゃん、さくらちゃん、わざわざありがとう」

「陽菜も……」、お母さんはそう言って、崩れ落ちるように跪いた。


「お母さん、大丈夫ですか?」と〝えんたく〟が言って、私と二人で両肩を貸し、ゆっくりとソファに座ってもらった。


「受け止められないけど、ゆっくりしている暇はないわ、葬儀社に行かないと」少し間を置いてお母さんは気丈に言った。


 そこに、小さな男の子を連れた母親らしい若い女性が来た。

「お母さまですか?」その女性が陽菜のお母さんに問いかけた。

「うちの子は娘さんのおかげで助かりました」

「ほんとうにありがとうございます。また、申し訳ありません」

とその女性は大粒の涙をこぼした。


 母親の手を握り、母親の体に隠れるようにしていた男の子が小さくお辞儀をした。

陽菜のお母さんが立ち上がって、母親の手を取って言った。

「息子さんが無事でよかった。娘も喜んでいると思います」

それを聞いた母親は泣き崩れた。


「息子さんを大切に」陽菜のお母さんはそう言って、男の子に手を振り、その場から離れた。


 私はお母さんの袖を引っ張り、

「私も一緒に行かせてください」と言った。少し時間を置いて

「助かるわ。父親がいなくて私一人だから」

「ぼくも行きます」と〝えんたく〟が言った。

「私も」さくらも言った。


 病院の一室に


 ダンプカーにはねられたと聞いたが、顔は綺麗。いつもの陽菜だった。

さくらが泣きながら、陽菜の体をゆすった。

「陽菜、起きてよ。陽菜、起きてよ」

「浅見……」〝えんたく〟はそれだけ言って立ち尽くしていた。


 私は、呼吸をしていない陽菜を見ても、まだ現実を受け入れられないでいた。

涙も出てこない。


「では」、葬儀社の方だろう。陽菜をストレッチャーで運び始めた。


 葬儀社の車に陽菜のお母さんが乗り、私たち三人はタクシーを拾った。


 葬儀社では、担当の方が陽菜のお母さんと事務的なやり取りをせわしそうにしていた。

大切な娘が亡くなったのに、悲しんでいる暇もなく、お母さんはお寺に電話をかけたりしていた。


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