第7話 エンゼルー3

 その週の金曜日、学校の帰りに一人でエンゼルに立ち寄った。


「いらっしゃい! あれ、今日は一人?」

「うん、ちょっとマスターに聞きたいことがあって……」

カウンターの隅にいた奥さんが少し怪訝な顔でこちらを見たが、すぐに

「アンちゃん、いらっしゃい」と笑顔で挨拶してくれた。


 いつもの席に座った。

マスターがミルクティーを出してくれた。

「これはサービス。で、聞きたいことって?」

「マスター、薫さんって知ってますか?」、マスターはびっくりしたようで

「うん? 薫さん?」

「はい、薫さんです。おじいちゃんの友達」

マスターは少し驚いた表情をしたが、一瞬だった。

「浩ちゃんの友達? 誰に聞いたの?」

「お母さんです。薫さんは告別式にも火葬の時にも参列していました」


 マスターが奥さんの方を向いた。奥さんは首を横に振るような仕草をしたが、すぐにカウンターから離れて別のお客さんのところに行った。


「おばあさんが生きてるころからの知り合いだそうです」

「マスター、知ってますか?」改めて聞いた。

「おばさん、亮子ちゃんは何て?」

「おばさんですか? 薫さんの話には加わっていません。お母さんと私だけで話したんです」「なぜ、おばさんがって?」

マスターは私の質問には答えず

「そう。お母さんが『浩ちゃんの友達』だって言ったんだね?」

「そうです」


 少し前から音楽が聞こえていないことに気づいていた。

この店は、マスターの趣味でソウル音楽をいつもCDでかけている。でも今は何も聞こえない。

「ちょっと待って、CD代えてくるから」

マスターが戻るのを待っていると、音楽が聞こえてきた。


 ♪ダダダ、ダダダ、ダダダ、ダダダ、ダーンダダダダダ、、、

 

 この曲は知っている。

「〝マイ・ガール〟ですね」

「よく知ってるね。そうテンプテーションズの名曲だよ」

じいちゃんが、この曲は〝ソウルステップ〟で踊るんだよと教えてくれた。

私がソウルステップ? と聞き返すと、そう、ソウルステップっていう基本のステップだって言っていた。


 マスターは、

「アンちゃん、お母さんの言う通り、薫さんは浩ちゃんの友達だよ。僕も良く知ってる。浩ちゃんがまだ大学生の頃、バイト先で薫さんと知り合ったんだ」と教えてくれた。

「大学生? そんなに若いころ? だったら、おばあさんと知り合う前から?」

「そうだね、古いね」とマスターは言った。


 薫さんをマスターも知っていた。火葬にも参列する特別な友達……

でも、じいちゃんからは聞いたことがなかった。

じいちゃんは私に何でも話してくれると思っていた。

ちょっと薫さんに嫉妬めいたものを感じて、胸のあたりがザワザワとした。


 マスターが心配そうに私の顔を覗き込んだ。

「マスター、ありがとう。また来ます」、マスターの顔を見て言った。


 マスターは見送りに出てきた奥さんと一緒に

「また、いらっしゃい」と手を振ってくれた。

二人にお辞儀をしてエンゼルを後にした。


 夕焼けが、空だけでなく、遠くに見えるビルの窓も赤く染めている。

この時間は駅まで歩いている生徒も少ない。

電車に乗り、自宅のある戸越駅までは、ボーっと、何も考えずに時間が過ぎた。


 戸越には〝戸越銀座〟という、テレビの街頭インタビューでもよく使われる商店街があり、いつも賑わっている。関東では一番距離が長い商店街らしい。

その商店街の喧騒とは別に、戸越駅から家に帰る途中の裏道に、遊具は滑り台しかない寂れた小さな公園がある。

それでも、子供の頃はこの公園で何時間も遊んだ。

五時に地域のスピーカーから〝夕焼け小焼けの赤とんぼ〟と、〝夕焼け小焼け〟が鳴ると、子供たちはみんな「帰ろう!」って、バラバラといなくなり、公園は閑散とする。


 懐かしい。


 公園の古びたベンチに座った。


 ばあちゃんと知り合う前からの女性の友達……

火葬にも立ち会ってもらう友達……


 お母さんにもっと薫さんの話を聞いてみたい。でも、

「そんなことより、あなたもう三年生でしょ、受験のことをちゃんと考えてね!」と言われるだけかも知れない。そんな気がした。


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