第5話 エンゼルー1
お父さんもお母さんも私も、休みは取らずに普通の生活に戻った。
朝七時に起きて、お母さんが「早く食べなさい」ってせかすのも変わらない。
お父さんは、朝は食欲がないらしく、何も食べずに「行ってくるよ」と一番早く出かける光景も変わらない。
以前と違うのは、和室にじいちゃんがいないこと、仏壇の前にきらびやかな布でくるまれた骨壺が置かれていることだ。
自宅の最寄り駅である、都営浅草線戸越駅から三駅のところに、通っている高校がある。
朝、多くの生徒が駅から学校までぞろぞろと歩いていた。
男の子たちはふざけながら、女の子たちは大きな声で話しながら……通りの家の人たちは、いつもうるさいなと思っているかも知れない。
学校に着き、教室に入った途端
「アン、おはよう!」
「お葬式どうだった? どうだった?」、さくらだ。
(どうだった?って、コンサートに行ってきた訳じゃない)
〝アース・ウィンド・アンド・ファイアー〟の〝アース〟を蚊?って聞いた問題児。
「さくら、そんな聞き方ないでしょ」陽菜が近づいてきて諫める様に言って、
「アンはおじいさん大好きだったから悲しいよね」と私の気持ちを察してくれた。
陽菜はさくらと違い、落ち着いたしっかり者。自分の意見ははっきりと言う。
先生にも誰にも物おじしない。私はいつも陽菜を頼りにしていた。
陽菜とさくらに話をした。じいちゃんの顔がきれいだったこと、骨と一緒にボルトがあったこと。
また、黙っていようかと思ったが、薫さんの話もした。なぜか気になっていることを。
「おじいさんの友達?」陽菜が聞き返した。
「うん、そう」
「火葬にも立ち会ったんだから、かなり親しい友達だったんだね」
陽菜は私が思っていることを言った。
「そうみたい」
私の頭の中に薫さんという存在が居続けている。
かなり前からの知り合いと言っていたけど、いつ頃からなんだろう。どんな友達だったんだろう。
「ねえ、ねえ、今日、帰りにエンゼルでパフェ食べようよ」と、さくらが私と陽菜を誘った。
〝エンゼル〟は学校から駅までの帰り道にある古い喫茶店だ。
そこのパフェがほんとに美味しい。
オシャレとは言えない店なので、立ち寄る生徒は他にはいない。
じいちゃんは私と同じ高校出身で、通った道も同じ。
エンゼルの経営者、〝マスター〟はじいちゃんの友達だったので、じいちゃんに連れられて店に行った縁で、陽菜やさくらとも行くようになった。
マスターは、頭が禿げていて口髭と顎鬚を蓄えている。いつもエプロンをして蝶ネクタイ、いかにも〝マスター〟だ。
じいちゃんの通夜と告別式には参列してくれた。
そうだな、マスターにお礼も言いたいし……
「分かった、行く」私が答えた。
「あたしも」と陽菜も言った。
「どこに行くって?」どこで聞いていたのか、拓海がぬっと現れて言った。
拓海は同じ学年で隣のクラスの学級委員、頭が良くスポーツマン、髪は短くしていて、前髪を少しおでこに垂らしている。
学校内でも一目置かれている生徒だ。
突然顔を出したこともあるが、拓海の顔を見てドギマギした。
拓海とは中学校から同じ学校だ。
高校に入る前から私は拓海を好きだった。この高校を選んだのも拓海と同じ高校に通いたいと思ったからだ。
拓海を好きになった最初のきっかけは、中学校に入ったばかりのころ、下駄箱のところでつまずいてころんでしまい、そのときに、拓海が「大丈夫?」と声をかけてくれた。
そのときの拓海の笑顔に、ズキンと胸が痛くなった。それ以来、何年も恋心をしまってきた。打ち明けたことはない。打ち明けるのは怖い。
陽菜は、そんな私の気持ちに薄々気づいているようだ。
「盗み聞きしないでよ」と陽菜が少し怒ると、
「女の子三人が大声で話してれば、誰にでも聞こえるよ。どこに行くって?」
「エンゼルよ」と私が拓海に答えた。
拓海を相手にすると、ついつっけんどんな言い方になってしまう。
直さなきゃと思うのにうまくいかない。
「女の子だけの時間だから」と拓海の顔を見て言った。
「ふーん、女の子だけね。アン、昨日は葬儀でしょ。おじいさんの」
「うん」
拓海にはあまり話したくない。悲しさを隠せない気がするから。
大学受験を目的なくすることに悩んでいるけど、拓海に思いを打ち明けずに高校を終えてしまうことにも、私は悩んでいた。
このことを知っているのはじいちゃんだけだ。
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