第16話 神の言葉
奥の間は薄暗かった。
燭台には蝋燭の火がいくつも灯されていて、風もなくまっすぐに火が立っている。
相当に気を使って清掃がされているのか、埃一つない。
やはり大切な場所だけあって、環境も一番整えられているようだ。
ラスティが渡に目を向け、椅子に案内した。
「中は少し暗くなっているので、足元にお気をつけくださいね」
「はい。ありがとうございます。……ここは窓がないんですね」
「どこに目があるか分かりませんからね。神の秘蹟を掠め取ろうとする
そんな貴重な場所に案内していただいている。
その事実に背筋が伸びる思いだった。
椅子に座ると、ラスティが神像の置かれた場所をなにやら探り、しばらくして、そこから経典を取り出した。
おそらくは隠してあるのだろう。
経典は一見、さほど厚みのない本だった。
表紙は非常に簡素ながら、長持ちするように革で装丁されている。
無駄な装飾が一切省かれているのも、むしろ
ラスティが渡の正面に座ると、頭を下げた。
「それでは、経典についてお伝えします」
「よろしくお願いします」
「あらためまして、渡様、先日はご支援を賜り、本当にありがとうございました。おかげで、わたくしめだけでなく、教会に住む
「お役に立てたなら良かったです。ゼイトラム神様には、俺の人生を大きく好転させてくれたので、その感謝の気持の一部です」
「素晴らしい篤信だと思います。どうかそのまま、善行をお進めください」
ラスティの瞳が熱を帯びている。
やっぱり、普通の反応と少し違う。
そこまで感謝されたのだろうか。
「先に注意をしておきます。こちらに書かれた言葉は、
「はい」
「わたくしめたちが使う言葉は、力を持たない翻語と呼ばれる言葉です。非常に強い力を持った神々の力は、それを用いたとき、非常に大きな影響を及ぼします」
その昔、言葉とは力そのものであった。
ゼイトラムをはじめとした神々の言葉は、そのまま世界に影響を与え、天を割り、地を揺らし、猛風を招き、海に大波を起こすこともできる。
だからこそ、人々は言葉を使えるようにするため、
地球においても、仏教の真言をはじめ、ルーン文字など、言葉には力があると考えられている。
渡が先日向かった中東では、アラビア語が政治的、宗教的に大きな影響を持っていた。
コーランはアラーの言葉を記した物だが、アラビア語以外では聖典とは認められていない。
翻訳した時点で、神の言葉を正しく伝えられないから、と言われている。
「この経典には力ある言葉が書かれているわけですね」
「そうです。ただしく使えば、時の流れを操作したり、あるいは空間を改変したり、別の場所につなげることができます」
「すごい力ですね」
「神々の言葉はどれも非常に強力ではありますが……ゼイトラム神様のお力は、とくに強力なものだと言われています」
「他の神々でも、それぞれの神言が遺されているのでしょうか?」
「ええ。わたくしめには、その実際のところは目にしたことはありませんが、各神殿で大切に、厳重に保管されていることでしょう」
時の流れを操れるなら、あるいは空間を操作できるなら、色々なことができそうだ。
時間の流れを遅らせれば、物の保存で劣化を防げる。
あるいは時間の流れを加速させて、発酵や腐敗を進めることが可能になる。
マジックバッグやアイテムボックスなんてファンタジーの定番も実現できるのだろうか。
時間遡行が可能なら、タイムマシンだって作れるのではないだろうか。
それがもし自由自在に扱うことができれば、それこそ世界を大きく変えることのできる力だ。
「ただし、扱いを間違えるのは危険です。ただしい形、ただしい並びを遵守する必要があります。文字の並び……文法を間違えれば、逆に作用することもありますので」
「間違えるとどうなるんですか?」
「最悪の場合は、時の狭間や空間の裂け目に入り込み、二度と出てこれないかも知れません。実際に過去に不届き者が、それによって自らを罰したそうです。自業自得ですが……哀れにも思えますね。おそらくは永劫のときを、罪を償い続けるのでしょうから」
「こわっ!」
「怖がらせてしまいましたね。申し訳ありません。まあゼイトラム神様の恩寵篤き渡様なら、よほどのことがない限り、助かると思われますよ」
「いや、全然安心できないんですけど」
「大丈夫です。最悪の場合でも、わたくしめ、不肖ながらラスティが必ずお助けします」
キュッと手を握られて、力強く断言された。
目と目があう。
赤い情熱的な瞳が、熱く渡を見ていた。
思わず上ずった声で、渡がたずねた。
「どうしてそこまで?」
「先日、わたくしめにゼイトラム神様より神託が下りました」
「神託って……神の言葉を聞くことですよね」
「はい。そうです。その内容は、渡様のすることを神意と思い、渡様をあらゆる条件で支援するべし、というものです」
「俺のすることを……? 本当ですか?」
「本当です! 間違いありません」
ラスティが断言する。
よほど信じてほしいのか、非常に力強い断定だった。
「でも、俺は別にそんなに優れた人間じゃありませんよ。欲深いのも自覚してますし」
「それでも神の命です。わたくしめはそれに殉じます」
神にそんな使命を授けられるような立派な人間ではない。
すでに四人もの奴隷を持ち、肉体的な関係を持っているのだ。
金銭欲はさほど強い方ではないと思っているが、性欲は強いほうだろう。
今後も活躍すれば名誉欲などにも駆られる可能性は十分にある。
自分で言っていても、ゼイトラム神がそこまで自分を贔屓する理由が分からなかった。
「じゃあ、俺が体を差し出せとか、エッチな要求とかしたらどうするんです。黙って受け容れるんですか?」
「そ、それは…………はい……。わたくしめで良ければ」
「いや、そこは頷かれても、俺も困るんですけど……。スミマセン。変なことを言いました」
「い、いえ……」
恥ずかしくなったのか、ラスティが触れていた手をパッと引っ込めた。
惜しいと思ってしまう自分を自覚して、やはり碌でもない人間だと、思いなおす。
少し気まずい空気が流れたが、さりとて貴重なこの機会を不意にすることはできない。
必ずゲートの新設を叶えるためにも、しっかりと学ぶ必要があった。
エアとクローシェも、渡の目的のために今も必死に、真剣に努力してくれているに違いないのだ。
彼女たちの信頼を裏切る訳にはいかない、とあらためて、自分を戒めた。
「さ、さあ。じゃあ気を取り直して、勉強します。ご教授よろしくお願いします!」
「はい」
ラスティも真剣な顔つきになって、経典を開いた。
そこには文字通り、神の言葉が記されていた。
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動きの遅い本作ですが、少しずつ動き出せてきました。
ラスティについては、あらためてこういう娘です。
山羊種の獣人で、くるっと捻れた角が特徴的ですね。
(全体公開)
https://kakuyomu.jp/users/hizen_humitoshi/news/16818023211723097025
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