六章 交差する思惑

第01話 祖父江の焦り

 ほんの半年前まで芽の出ないフリーランスライターでしかなかった渡にとって、中東行きの商談はとても大きなストレスを覚えるものだった。

 近頃は有名人と接することも増えたが、国際問題に発展しかねない異国の大富豪、王族と交渉するというのは、渡の許容範囲を相当逸脱していた。


 これまでも異世界の貴族との交渉でも渡は消耗を強いられたが、ある意味ではすべてが異なる異世界という環境そのものが、渡に開き直る余地を残していた。

 だが、地球側ではそういった余地がない。


 なんで自分が一国の王と対等に話してるんだ、と何度思ったことか。


 自宅に帰ってきた渡は、しばらくはゆっくりしたいな、と心から思った。


 リビングのソファに体を横たえると、ぐったりと脱力する。

 住み慣れた我が家の安心感に、心が落ち着く。


「もう嫌だ。俺は普通の一般人なんだぞ。そうだ、これは夢なんだ。目が覚めたとき、俺はまだ十二歳。起きたらエアとクローシェとラジオ体操に行って、マリエルの朝ごはんを食べて、お昼にはステラと錬金術の自由研究をして、夜はエッチなことをして過ごすんだ……」

「子どもなのにふしだらすぎません?」

「主はその頃からエッチッチ!」

「まるでお猿さんですわね……!」

「エッチなのは、良くないと思いますぅ」

「ぐっ……」


 渡の現実逃避にマリエルたちが容赦なくツッコんだ。

 その手には保温マグカップを持っていて、コーヒーのいい香りが漂っている。

 久々に自宅に置いてある特製コーヒーを淹れてくれていた。


 好意に甘えて、渡は上半身を起き上がらせると、ゆっくりと味を楽しむ。

 うめえ……。

 アミールたちが提供してくれた食事はものすごく豪華かつ繊細で、とても美味しかったが、非日常の美味しさだった。

 今ようやく家に帰ってきたんだな、と実感できた。




 帰国してから二日。

 渡は久々にゆっくりとした時間を過ごしていた。


 本当は山の管理を進めたり、教会に出向いたりと、やるべきことは多いのだが、休暇も必要だった。

 渡と同時に日本に来たレイラは、市内のホテルを借りているようだった。

 今は渡の家から近くの物件を探して、すでに購入したと報告があった。


 超特急で住環境を整えるつもりらしい。

 また、来日しているのはレイラだけでなく、彼女の護衛たちも複数来ているそうだ。

 まあ、万が一誘拐でもされたら大変なことになるから、言われてみれば当然のことだった。


 渡は中東行きの発端となった、祖父江に連絡を取った。

 無茶苦茶な仕事を寄越してくれたな、と思う一方、役に立てて、かつ大金が手に入った。


 情実両面から、しっかりと報告と御礼を言っておかなければならない。

 今頃になったのは、祖父江もまた多忙を極めるため、じっくり連絡が取れる状況になかったためだ。


「今回は素敵な紹介を頂いてありがとうございました。おかげさまで、なんとかアミール氏には満足いただけたようです」

「うまく行ったようで何よりだ。これで君も資産家の仲間入りだね。累進課税の理不尽さをよく噛み締めてくれ」

「あはは……。少なくとも色んな人が必死に節税をしたくなる気持ちは分かりますね」


 渡たちが来日した日に会社を設立し、契約と振込はその後に行った、という形になっている。

 実際に今回、入金される前に渡はポーションを使用しているので、時系列としても矛盾は少ない。


 ただ、わざわざその辺りを説明するのは避けた。

 結果としてマリエルたちの事情にもことが及ぶのは避けたい。


「なに? ファイサル陛下のお孫さんが来日してるのかい?」

「ええ。難波の億ションを購入したみたいで驚きました。金銭感覚が庶民とはまったく違いますねえ」

「ということは、長期滞在を予定しているわけだ。どういう用件だろう。場合によっては挨拶しておいたほうが良さそうだね」

「いやあ、それが新薬の開発での、スパイ対策とかについて、基本的な考えを教えてもらうことになったんです。王族ともなるとその辺りの教育が凄いんですね」

「なるほど…………?」

「祖父江さん? もしもし……?」

「――いいかね、堺くん、私も税理士の紹介だけではなく、今後の会社運営や設備についての相談役を用意したい。日本で活動するなら、私のほうが実際に働いている企業の紹介は的確な自信があるよ!?」

「はあ……」


 なんだか、ずいぶんと強引に割り込んでくるな。

 もっと投資先を自由にさせて、幾ばくかの利益を得るホワイト投資家だと思っていたのだが。

 渡が疑問を覚えていると、めずらしく会話の最中にエアが肩を叩いてきた。


 美しい金の虎目が、しっかりと渡の目を見つめている。


 基本的に、エアが交渉中に口出しすることは滅多にない。

 だからこそ、耳を澄ます必要があった。


「申し訳ないです。ちょっと急に呼ばれまして、用件だけ聞いてすぐに戻るので、お待ちいただいてよろしいでしょうか?」

「ああ。構わないよ」

「スミマセン」


 渡はエアに顔を向けた。

 保留中になっているスマートフォンを指さして、エアが言う。


「主、祖父江っちかなり焦ってるっぽいよ」

「焦ってる?」

「うん。声のトーンとか息遣いから、かなり焦ってるみたい」

「おそらくファイサル国王との関係性を深めて取り込まれる可能性を危惧しているのでしょう」

「そういうことか。杞憂なんだけどな」


 マリエルの補足を聞いて理解が及んだ。

 紹介はしたものの、ここまで親密な関係になるとまでは予想していなかったのかもしれない。

 渡個人としては、誰か一個人に依存したり、口出しされるような関係性は望ましくない。

 特に異世界や神仏が絡む以上、表に出せない話が多すぎる。


 渡はエアの頭を撫でた。

 耳の付け根を撫でると、エアは心地いいのかグルグルと喉を鳴らす。

 この辺りは虎というよりも猫みたいな女の子だ。


「この機会に協力だけ取り付けても良いかもしれませんね」

「だが、紐付きの会社だから、情報が引っ張られる可能性がないかな?」

「アドバイザーとして紹介してもらって、実際の運用情報については渡さないようにするのがベストでは? 守秘義務契約をしっかり結んだ上で対策するのが良いと思います」

「そうか。もしもし、祖父江さん? お待たせしました。それでは非常にお手数をおかけしますが、ぜひご紹介いただけますか?」

「うん、もちろんだよ。どういう企業が必要かな? グループ会社でも良いし、気になるようなら、付き合いのある会社でも、投資先でも構わない」

「そうですね……。まずは――――ですかね?」

「ええ……? 最初の要望が――――かい?」


 渡は焦りを見せる祖父江に、上手く協力を引き出すことができた。

 エアとマリエルが笑みを浮かべながら、ハイタッチしていた。


――――――――――――――――――――

 というわけで、本日から六章を開始していきます。

 レイラさんについては、モイー卿の次に少し深掘っていく形になりそうですね。


 さて、今回もたくさんの★やギフトをいただきまして、ありがとうございました。

 今晩にでも、ギフトいただいた方に、エアのイラストを限定公開で載せたいと思います。


 後はカクヨムコンの読者選考の結果が明日、でしたかね?

 突破できていると良いのですが。

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