第50話 巨額の報酬の行方

 国王ファイサルとの対談を終えた渡たちは、アミールとともに、別の一室に移動していた。

 案内された部屋もそれなりに広く、調度品もとても高級感に溢れている。


『この部屋も防諜対策がしっかりされているから、安心してくれて構わない』


 渡たちがソファに座ると、アミールがテーブルに書類を並べた。

 アラビア語と英語が併記されたパスポートと通帳、そしてアラビア語と日本語が書かれた契約書だ。


『先に礼を言わせてくれ。息子だけでなく父まで元気にしてくれて、非常に感謝している。ありがとう』

「こちらこそ、お役に立てて本当に良かったです」

『こちらが彼女たちの国籍の証明書とパスポート、それと勝手ながら我が国で銀行の口座も作っておいたので、よければ利用してくれ。今後必要となることもあるだろうからね』


 渡されたパスポートと国籍証明書、日本への就労ビザなどを、エアが大切に保管した。

 彼女から直接盗める人間が地上にいるとは思えないから、まずこれで一安心だ。


『治療費の支払いについては、相談してから行いたいと思っていたのだ』

「といいますと?」

『例えば、マリエル氏たちが我が国で事業を行って資産を得た場合、恒常的事業ではおよそ九パーセントが課税対象になる。君はまだ聞いたところ、日本で法人を立ち上げていないそうだね。もっと高いのではないかと思ってね』

「そうですね。……正直なところ、すっごく高いです」


 渡は個人事業者のため、日本の場合税負担はまず間違いなく最大の五〇%になるだろう。

 アミールとファイサルへの提供によって得た利益の半分を支払うことになる。


 渡も日本で生まれ育って、自覚しているかどうかは別として、その恩恵を受けてきた。

 ただ、実際に支払う段になると、大金をなぜそこまで支払わなければならないのか、という惜しさも感じる。


 なお、もし渡がすでに日本で法人を立ち上げていた場合でも、その実効税率は三〇%近くまでかかる。

 法人税だけならばもう少し低いのだが、地方法人税や法人住民税、法人事業税、特別法人事業税といった、なんだかんだと理由と名前をつけて課税されるためだ。

 アジア圏でよく節税を目的に設立されることの多いシンガポールでは、一七%。


 アミールたちの国では一桁台といわれれば、心が揺らぐのも当然の話だった。


 資産が九〇億になるか、五十億になるかの違いがあるのだ。


『マリエル氏らが正式に我が国の市民として認められたわけだから、彼女たちが法人を立ち上げたことになれば、日本での税制にも抵触せずに済むだろうと思う』

「な、なるほど」

『ただし、名義が彼女たちのものになるため、貴方はリスクを負うわけだ。もし貴方が自分の名義で運営したいなら、この話はなかったことにした方がいい』

「俺が法人を立ち上げることは難しいのでしょうか?」

『我が国の問題はない。ただ、この場合は日本で課税対象となる可能性があるね』

「そうなんですか?」

『課税については条約を結んでいるため、二重課税にはならないだろうが、貴方のこちらでの居住日数が足らないと思われる』


 日本人が節税、あるいは脱税目的で海外にペーパーカンパニーを作ることを防ぐため、経営実態がなければ日本で課税が行われる。

 この判断には法的根拠がない、都度都度の通達で決めているのではないか、といった批判もあるのだが、財務省は強引に徴税を行っているのが現状だ。


 渡はしばらく悩んだ末に、報酬をこちらの現地法人に支払ってもらうことに決めた。

 この資金はおそらく日本での工場の設立や、山の防諜態勢の確立に使われることになるだろう。


 新しく諸々の手続きをしてもらえることが決まった後、アミールが話題を変えた。


『君には大恩がある身で言うのはなんだが、我が娘レイラをどう思うかな』

「レ、レイラさんって、アミールさんの娘さんだったんですか?」

『うむ。気づかなかったのかね』


 アミールのとんでもない爆弾発言に、渡は噴き出した。

 娶るという言葉にも、娘という言葉にもとにかく驚かされた。


 娘? 顔を思い出しても、レイラはアミールとは似ていない。

 母親似の顔立ちなのだろう。


 そういえば、レイラはダーウードを呼び捨てにしていた。

 一使用人が、王族の嫡男に対して、そんな呼び方などできるわけがないのに、気づいていなかった。


「ただ、この話はお答えしづらいです。俺にはもう彼女たちがいますので。身に余るお話です」

『うちの娘に魅力がないと?』

「とんでもありません。お世辞抜きに美しい女性だと思いますよ」

『そうかね?』

「はい、もちろんです。ただ、彼女たちが新しい女性を快く迎えるとは思えないので……」

『なるほど……。そういうことなら仕方がないな。妾というのはどうだろう。日本にはたしかナイエンノツマなるものがあるというが……』

「すみません……」


 一瞬アミールの目が鋭くなって、渡は必死に首を横に振る。

 イスラム圏では、先の妻たちがノーと言えば重婚はできない。

 マリエルたちがノーと実際に言った訳ではないが、方便としては納得してもらえやすかった。

 アミールもそれ以上は強引に話を進めようとはせず、退いてくれたのが良かった。


『ふむ……分かった。話を変えるが、貴方が今後グローバルな活動をするというなら、防諜、盗難対策など、少々足元が疎かだと言わざるを得ない。非常に有望な投資先として忠告するが、もう少しその辺りの注意を払える人を側に置いた方がいい』

「それについては、今回恥ずかしい限りですが、ようやく気づくことができました」


 渡は渡なりに、自分の危惧する範囲においては対策を取ってきたつもりだった。

 毎回秘密保持契約書にサインしてもらっていたのがその一つだ。


 だが、影響を与える金額が、渡の予想から桁が五つから六つは違ったのだ。


 今後、強硬手段が取られることもあるかもしれない。

 アミールやファイサルが口を噤んでも、今後渡の影響力が増せば気付く人間がどんどんと増えていくのは避けられない。


 もっと強固な安全対策を取る必要があるだろう。

 特に国際問題になれば手も足も出ない。


『君たちになにかあれば、我が国にも多大な損失になる。そのあたりに詳しい、優秀な人材がいるのだが、良ければ紹介しようか?』

「良いんですか?」

『もちろんだとも。こちらも繋がりを深められて、願ってもない話だよ』

「ぜひともお願いしたいです」


 ありがたい話に頷いた。

 しかし、どんな人が来るのだろうか。


 あまり怖そうな人でなければいいな、と渡は思った。

 アミールが一瞬だけ顔を伏せてにやっと笑ったのだが、それは誰の目にも留まることはなかった。



――――――――――――――――――――

アミールの紹介する人物とは……?


日本で課税される可能性が高い問題について、作品外で一応説明しておきます。

外国子会社合算税制による経済活動基準というのがあります。


ほんまに活動してるの? 脱税じゃないの? という制度ですね。

有名なのはハリーポッターの翻訳者がスイスでの居住日数が半年以上を満たず、日本でかなり活動していたため、三五億円ほどの課税が認められたケースがあります。(追徴課税も取られました)

このあたりは国税庁の胸先三寸で決まるため、各界隈で評判は良くないです。


――――


さて、カクヨムコンの応募期限が締め切られました。

たくさんの応援ありがとうございました。


引き続き、感想や❤・★、あるいはギフトお待ちしております。


次の次でこの章も終われる予定です。

まだ章タイトルを決めていませんでしたが、どうしようかなあ。


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