第49話 ファイサルの誘致

『落ち着きなさい。そして仕事に立ち返るのです』


 ファイサルが光り輝いたことに、神秘性を感じた者たちが、平伏を続けている。

 おそらく、ポーションの光は治療を要する場所が多いほど、光量が増すようだった。


 統制を失った室内で、アミールの言葉は力強かった。

 元々王族の一人であり、従者の人々も従うべき相手をよく理解している。


 一人、また一人と頭を上げると、我を忘れていたことを恥じるでもなく、感動した様子で、元の仕事に戻った。


 ファイサルはしばらく自分の手足を見ていたが、やがて咳払いをすると、にこやかに笑みを浮かべた。


『素晴らしい効果だった。国のトップともなると健康不安は見せられないんだが、おかげであと三〇年は元気に生きられそうだ』

「何よりです。ご家族も国民のみなさんも安心できるでしょう」

『まあ、後進に道を譲る必要はあるが、政情不安を招く心配はなくなった。アミール、このご縁を大切にしなさい。最重要の国賓待遇に指定しておきなさい』

『もとより進言するつもりでしたが、分かりました。父上』


 国賓などと言われても、渡には実感がない。

 祖父江が外交上の重要な相手だと言っていたから、対日本を考えても成功したのは間違いないが、これは後で日本政府から目をつけられないかなと、少し不安になった。


 まず間違いなく政府中枢から注目されてしまうだろう。

 余計な政治家や官僚からの干渉は避けたくて、これまでひっそりと活動してきたのだが。


 とはいえ、相手は一国の王であり、余計な口をはさむことも難しい。


『この治療薬はまだ大量生産できないのだね?』

「そうです。今は量産化に向けて研究中です。何分原材料を十分に揃えるのも難しい状況ですので」

『我が国でその治療薬を製造するつもりはないかね。私個人の資産でも良いし、国の予算から融資しても構わないと考えている。最大限の協力は惜しまないつもりだ。あらゆる便宜を図ろう』

「すごく魅力的な提案です。量産化が可能になれば、世界中に販売したいと思っていましたから」

『ふむ、前向きな回答が返ってきて嬉しいよ』


 渡としては願ってもない条件だった。

 日本は封建社会ではなく、民主的な制度を採用しているために、薬を開発しても、それが認可されるまでの手続きは非常に煩雑かつ厳密だ。


 新薬の開発で遅れを取りやすいのは、その制度がしっかりとしている反面、手続きが多く速さに欠けるところも大きい。


 一国の王であるファイサルがバックアップしてくれるなら、相当スピーディーに動くことだろう。

 それに日本では極端なまでの都会集中型の人口分布になっているため、郊外の過疎化した龍脈の地を抑えることができたが、今後世界を相手に、大量の量産化を考えるなら、有望な地を得ておきたい。


 ポーションの原材料は、種と土地さえあればどこでも栽培できるわけではないのだ。


 これも国策となれば、立ち退きや土地開発などが有利に運ぶ可能性はあった。

 それにこの国ならば、国の権力で関係者以外立ち入り禁止も、徹底できるかもしれない。


 一体どの辺りまでの支援を考えているのか、渡にも興味があった。


「具体的には、どのような支援をいただけそうでしょうか」

『君が提示した治療効果が本当に望める、という前提での話だが、まずは一〇〇億ドル』

「一〇〇億ドル……!?」


 一〇〇億ドルっていくらだっけ? 一ドルが一〇〇円ぐらいだから1億円ぐらい……?

 千億円!?

 いや、違う。一兆円!?


 途方もない数字だけに、脳が現実を理解するのを拒絶していた。

 そんな大金をさらっと口にしないで欲しい。


 桁の違う投資額に足が震えてきたが、抑えられない。

 マリエルも目を見開いて驚いているし、予想外だったのだろう。


 こういう時、自分の役割じゃないから、と考えないですむエアたちが恨めしかった。

 狼狽するワタルと違い、ファイサルは落ち着いたものだ。

 さすが世界有数の金満国家。


「け、桁を間違っていませんか?」

『ふむ、まだ少ないかね? ある程度計画が進んでから、追加融資をするのも構わないと思っているんだがね。最初から大きな箱を作っても、癒着の原因を生むよ?』

「ち、違います。多いんです、多すぎます! 一体どこからそんなお金が出てくるんです」

『……ワタル殿、君はこの薬の価値を十分に理解できていないと思える』

「そ、そうでしょうか?」


 たしかに優れた薬効だと思う。

 奇跡的だと驚き、喜ぶ人の気持ちもわかる。

 だが、原価を考えればボッタクリも良いところだ。

 一体どれだけの量を作るつもりだろうか。


 ファイサルは幼子に諭すように、豊かな声を柔らかく使い、説明した。


『たとえば君の国の医療費は年間に四十兆円以上の予算がかかっているね。わかるかね、年間で四十兆円だよ。このポーションが国民に広く渡ったら、一体どれだけの医療費の削減に繋がり、病人が生産者になるか、少し考えれば分かることだ』

「……なるほど」

『我が国は国民の医療費を全額負担している。医療費削減を考えれば、あり得ないほどに良い投資になるのだ。おまけに理論だけではなく、現物があるというのが大きい。夢とロマンにこの金額は出せないが、これは近い未来に実現できることだろう?』


 まさか異世界では量産できていても、地球では作れることは分かっていても、まだ量産化できるかどうかすら未定ですとは言えない。

 だが、ありとあらゆる工夫をして、量産化は実現するつもりだった。

 苦しくとも頷くしかなかった。


『私からすれば君の国のトップがいまだに強権を発動していないのが不思議なほどだよ。私が日本の首相なら、君たちを渡航禁止処分にして、自国に閉じ込めていたかもしれない』

「日本は民主国家ですよ。王制とは違います……」

『だが国益は大切だ』


 言わんとすることは分かった。

 分かったが、それほどの規模の話になると、予想も覚悟もしていなかった。


 渡がこれまで個人にバラ売りしていたポーションは、一本で五〇〇万円だ。

 一番最初の遠藤亮太には、治療実績がなかったこともあって、三五〇万円で販売している。


 桁違いの金額を前に、どう返事すれば良いのか分からなかった。

 絶句する渡の横で、マリエルがそっと助け舟を出してくれた。


『何分急なお話でしたので、即決しかねます。一度持ち帰って、あらためて判断させていただけませんか? 書面にて条件を詰めれば、前向きに判断できると思います。ご主人様わたるさんの母国である日本の対応も確認しておく必要がありますので』

『そうか……。できればこの場でいい返事を聞きたかったのだが、それでも構わないよ。当然の判断だと思う』

『ありがとうございます。とても好意的に捉えていただいていて、こちらでも締結に向けて動きたいと思います。ご主人様わたるさん、急いで契約内容について詰めましょう』

「あ、ああ……。一兆円……? 嘘だろ……?」


 部屋から退室する時には、護衛も側仕えも、恭しく渡たちに敬意を払いながら対応してくれていたが、渡に気付く余裕はまったくなかった。

 それどころか、ファイサルですら眩しいものを見る表情で渡を眺めていた。


 いまだに信じられない。

 夢の話のようだと思った。


 雲の上を歩くように、フラフラと足元が浮き上がって不確かだったが、そっと握らせてくれたマリエルの手の確かさが、これが現実だと告げていた。



――――――――――――――――――――

【医療費】

厚生労働省の二〇二三年一〇月の発表によると、令和三(二〇二一)年度の国民医療費は四五兆三五九億円。


あと数話書いたら、この章も終わる予定です。

とうとう渡たちも、ひっそりと活動し続けるには、影響から考えて無理が出始めました。

富と名声を持つ人ほど、健康を求めるでしょう。


そして、渡たちは世界中の著名人、権力者や大富豪(そして表には本来出てこない人たち)を巻き込んで、どうなっていくのでしょうか。

お楽しみに。

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