第46話 婚約
流石に中東の王族の用意した一室というべきだろうか。
非常に広い空間に高い天井、白と白木を基調とした美しい調度品の数々は、本来ならば来客者を楽しませ、寛がせただろう。
「あー、さすがに疲れたな……。広々としたジェット機だったけど、ずっと視線があるのは疲れる」
「ふふ、ご主人様に貴族は難しいかもしれませんね」
「ええ、貴族ってずっと見られてるの?」
「使用人が控えていますから。でも、ある意味で私たちも似たようなものですよ」
「ええ? それは違う気がするけどな。マリエルたちは使用人っていうより、もう家族っていうか、恋人っていうか……」
だが、エアからもたらされた情報は、瞬く間にマリエルたちにも共有された。
一仕事を終えて、本来ならばゆったりとくつろげる時間のはずだというのに、なんとなく落ち着かない空気が部屋に流れている。
不安そうな表情で渡を見つめるマリエルたちの態度。
このままにしておくのは、良くないよなあ。
かと言って、一体何を言えというのか。
レイラは夕食時にまた呼ぶと言って退室している。
今夜はゆっくりさせてくれるかもしれないが、明日には向こうからアプローチされるだろうか。
求婚される? 俺が? 本当に?
疑問と違和感しか覚えない。
たしかに一人の人生を大きく変えただろう。
報酬として普通の人間では一生拝めない大金も稼いだ。
だが、渡自身は大きな苦労をしていたわけではない。
非常に大きな苦労をして稼いだわけではないからこそ、渡は自分の評価を上手く消化することができないでいた。
主観的な評価と客観的な評価に、大きな乖離が生じていたのだ。
だが、エアの言う言葉が嘘とも思えない。
冗談で言うには内容が内容だし、それにエアはたちの悪い嘘や冗談はつかない。
そういった線引ができる人物だと信頼していた。
となると、アミールが渡に誰かを嫁がせようとするのは、まず間違いないということになる。
中東諸国では、血縁関係が非常に重要視されている。
血は水よりも濃しと言うが、様々な人種が入り交じるからこそ、血という結束を強めようとするのは分からなくもない。
王族ともなれば複数の妻、愛妾を持つこともあるし、そもそもアミール自身もそういった家庭環境で生まれ育っている。
血による紐帯を求めてもおかしくはないだろう。
喫緊の問題を解決するには、今しかない。
「マリエル、エア、クローシェ、ステラ。よく聴いてくれ。大切な話があるんだ」
「はい、なんでしょうか」
「主の真剣な顔、久しぶりに見たかも」
「いつもそうされていればヨロシイのですわ」
「少し聞くのが怖いですねえ」
それぞれの瞳に映る、不安の色合いを、払拭してあげたい。
まずは結論から伝えるべきだろう。
ただ、それには自分の奥深くを見せる必要がある。
本当の、本音を包まずにさらけ出し、もし否定されたなら。
そう考えると、底しれない不安に襲われた。
「もしアミールさんから何かしらの結婚へのアクションがあっても、断るつもりだ。俺は君たちを手放す気もないし、誰かよりも下に置く気はない。たしかに俺は主人で、君たちは奴隷の身分だけど、それぞれと一人の女性として、とても愛しく思ってる。だから、他の女性を選んで、自分が遠ざけられたらどうしよう、なんて悩まなくて良い。まずはそれを信じて欲しい」
「ご主人様、そう言っていただけて嬉しいです。安心しました」
「まあアタシは心配してなかったけどね」
「そうですわ! 主様にわたくしたちを遠ざけるつもりがないのは、態度も匂いも筒抜けでしたもの! むしろ執着してるのはわたくしよりも主様、みたいなところまでありますわよ?」
「ふふふ、クローシェさん、そう言いながら尻尾がブンブン動いてますよお?」
「こ、これは違いますの。とまれ、止まりなさい! この駄尻尾っ!」
ただただ安心をほっと息を吐いて態度に表すマリエル。
頭の後ろで手を組んで、ニッコリと笑みを浮かべるエア。
微笑ましそうにしているステラと、必死に尻尾を抱えて、なお振り回しているクローシェ。
共通しているのは、安心した表情を浮かべていることだ。
ふわりと空気が解けたのを感じる。
声にも喜色が混じっていて、明らかに落ち着いたのが分かった。
「いや、信じて欲しいっていうのが俺の甘えなんだよな。もっと普段から愛情を示して、そんな不安にさせないことが必要だったのに」
彼女たちが普段から愛情を示してくれていたのに、渡の方から愛の言葉を伝えることは少なかった。
照れくさいとか、男はそういう言葉を軽々しく使わないとか、色々な理由を挙げることはできるが、結局は臆病だったからだ。
「知ってるとは思うけれど、日本では、一人しか奥さんを持つことはできないんだ。そして、俺は日本人をやめるつもりはない。生まれ育った故郷を、国を俺は大切にしたい」
頷きが返る。
「俺は今後、君たちさえ良ければ、奴隷の地位を開放するつもりだ」
「私とエアを購入した後も、言っていましたね」
「ああ。あの時はこんなにも上手く稼げると思っていなかったし、もっとずっとずっと先の話になると思ってたけどな」
一般的な奴隷は報酬から自分の権利を買う、奴隷という身分から解放することができる。
その金額は非常に高く、報酬は基本的に少ないから、解放できる時にはもう労働力としては使えなくなっていることも少なくない。
奴隷の衣食住は主人が提供する。
つまり、半分は養っているようなものだ。
マリエルとエアは金貨五枚で購入したわけだが、月々の奴隷の報酬として渡すのはそれこそ銅貨数枚。年間にしても銀貨一枚強。
元金を完済する頃には、四十年はかかってしまう。
能力が高度になれば報酬も高いが、購入時の費用も同じく高騰するため、この辺りの返済年数は大きく変化しないのが一般的だ。
そんな年になってしまえば、住環境さえ良ければ、奴隷のままのほうが働き口にも困らないというケースもある。
それでも独立し、平民の身分を求める者も多い。
ただ、渡は思った以上に稼げた。
マリエルたちの尽力がなければ、今の立場はありえない。
それも主人の能力ゆえだと、奴隷の身分のままに置くことはできるだろうが、渡としてはもっと報いたいという気持ちも強かった。
「あの、良いですか?」
「なんだ、マリエル」
「そもそも私は一生、ご主人様にお仕えするつもりでしたよ? たぶんエアたちも一緒だと思います」
「そ、そうなのか?」
「うん。奴隷ってそれぐらい重いからねえ」
「ううう、分かっていたからわたくしはなりたくありませんでしたのに」
「あれは一方的に勝負を仕掛けておいて、負けたクローシェが悪い」
「わたしは戦争奴隷ですから、ちょっと事情が異なりますが、同じく一生涯、あるいは数代にわたってお仕えするものだと思っていましたよぉ」
それぞれに理由があって奴隷になっている。
だが、言葉で愛を囁きながら、奴隷のままいさせ続けるのも、また歪な関係のように思えた。
渡は以前からぼんやりと考えていたことを、口にした。
「五年だ。五年もあれば、地球でのポーションの販売にも道筋が立てられると思う。どれだけ稼げても、君たちが貢献しても、その間は俺は奴隷の身分から解放することは難しいが、五年後に君たちを解放する。その後は、自由にしてくれ」
マリエルたちが一市民に戻る。
嬉しいような気もするし、怖いような気もする。
自由になった彼女たちは、自分を見捨ててしまわないだろうか?
その恐怖があるから、これまで触れてこなかった。
だが、それが余計に不安を招くというのならば――。
渡も覚悟を決めなければならない。
「マリエルたちの国では、重婚は可能だったよな。その後、まだ君たちが俺を慕って、愛してくれているなら…………」
渡は一度言葉を切った。
ごくり、とつばを飲み込む。
ここまで言ったのだ。最後まで言わないと格好がつかない。
「そのときは、結婚してほしい」
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