第45話 エアたちの不安

 どうにかこうにか、治すことができたか。

 感動の抱擁をしている親子の姿は、第三者から見ていても美しい、胸を打つものだった。

 渡はじんわりと暖かくなる心のまま、親子の涙混じりの抱擁を見つめていた。


「アミールさんが嬉しそうで、息子さんが治って良かったですねー」

「まったくだ。よくやってくれたな、ステラ。お前の判断が頼りになった」

「いいえ、すべては貴方様の御心のままに従っただけですから」

「俺は別に大したことはしてないよ。今回は本当にステラの手柄さ」


 親が子を思う気持ちはこれほど強いのだろうか。

 素晴らしいものだと思う一方で、渡は自分の両親について思考が流れかけ、瞬時に打ち消した。


 お互いに愛情を示し合う素晴らしい親子がいる。

 今考えることはそれだけで良い。


 ただ、渡はポーションの効果については嬉しいというよりも、ホッとしたというのが正直な感想だった。

 相手は日本に対しても強い影響力を持つ資産家であり、石油問題を引き起こしかねない相手だ。


 何よりも思うような効果が得られなければ、マリエルたちの国籍取得に大きな障害となっていてもおかしくなかった。

 もちろん一度契約を結んだからには、それを守ろうとはしてくれるだろうが、息子ダーウードの様態次第では、どんな行動に出てもおかしくなかった。


 数十億にプライベートジェット機をすぐさま用意するだけの子を思う強い気持ちが、害意に変換されたかもしれないのだ。

 肩の荷が下りた、というところだった。


 やはり的確な判断を下し、処方を決めたステラの功績だろう。


 渡たちがポーション瓶や噴霧器などを回収し、しっかりと忘れ物がないか確認し終えた頃、アミールたちも感動が落ち着いたのか、渡達に顔を向けた。


『本当にありがとう。息子を治してくれた時には神の息吹を感じたよ。奇跡の瞬間に立ち会えたことを光栄に思う』

「そう言っていただけて光栄です」

『ワタルさん、オレを治してくれて、本当にありがとうございます! 心より感謝します』

「ダーウード氏については、一気に暴食したり動き回るのではなく、少しずつ飲食を馴らして、体も動かすようにしてください。治ったとは言っても、元通りとはまた別ですから」

『よく分かった。治してくれた聖者様・・・の言うことだ。ダーウード、無理はするなよ。もう父を泣かさないでくれ』


 アミールの微妙な言葉のニュアンスが、マリエルたちの通訳を通すことで渡にはその真意までが伝わらなかった。

 ただただ感謝して大げさに言っているのだろう、と苦笑とともに受け容れる。


 まさかアミールが本気の本気で、まだ一度会ったきりの渡に神聖性を認めている・・・・・・・・・とは予想だにしていなかったのだ。


「ステラ、なにか注意点はあるかな?」

『もし快復を祝う祝宴を開いたりするようでしたら、今日は穏やかに過ごして、消化に良いものに留めてください。明日以降、できれば数日後にした方が良いでしょう。おそらくは今は興奮して気づいていないでしょうが、急回復によって、体が相当に消耗しているはずです』

『それはいかんな。それに渡氏たちも長期間の移動をおして治療にあたってくれていましたね。一度部屋に案内するので、ゆっくりとしてください。その間に、私は国籍の手配を行っておきましょう』

「よろしくお願いします」


 なんだかアミールの目が穏やかというか、うやまっているような気配を感じて、渡は首をひねった。

 一国の王族が、ただの一市民を敬う理由などないのだから、気のせいか……?

 ただ感謝しているのを勘違いしたのかもしれない。


 部屋で待機していたレイラが、目を輝かせて近寄ってきた。

 その頬は紅潮していて、目がうっとりと潤んでいる。


「渡様、素晴らしい治療でした。まるで神の奇跡が、慈悲がダーウード・・・・・に降り注いだかのような光景で、感動いたしました」

「それは良かったです」

「渡様はどこであのような奇跡を行えるようになったのでしょうか! 神の恩寵を感じられたことは!?」

「いえ、別に……あー」

「やはりあるのですね?」


 まさか本当にゼイトラム神から加護を授かっているとも、イスラム教徒を前に言えない。

 渡はなんと説明するものかと頭を抱えた。

 ふと思いついた説明を、慌てて口にする。


「違います、違います! ただ、この治療薬を作れたこと自体が、まるで奇跡のようだなと思って」

「ふふふ、素敵でした」


 レイラが渡の手をとって、恭しく撫でた。

 まるでそこに奇跡を行った、恩寵そのものであるかのように。


 ゾワゾワっとした快感が走り、思わず渡がビクッと震えてしまう。

 その反応を見た瞬間、レイラの目が一瞬肉食獣のように鋭さを増し、ニヤリと笑ったのだが、渡には気づかなかった。


「あらっ、失礼いたしました。さあ、ご案内いたします」

「……主ってサイテー」

「すぐに鼻の下を伸ばすのですから……聖者が聞いて呆れますわ」

「英雄色を好むとは言いますが、もう少し自重していただけると、私も安心なんですが」

「貴方様は絶倫ですからねえ~」


 四人もの奴隷兼恋人からチクチクと言葉で突き刺され、渡は言葉に詰まった。

 別に自分から口説いたわけではないのだが……。


 ここまでは、渡も前にも言われたことがあったため、よくある冗談の類いだと考えていた。

 苦笑しながら、レイラの後をぞろぞろと続いていく。


 だが、エアが珍しく表情を厳しくして、渡の袖を引っ張った。

 そして、こっそりと話しかけてきたことで、話が変わった。


「主、本当に気をつけた方がいい・・・・・・・・・・・・

「ん、どういうことだ?」

「あのアミールって父親も、さっきのレイラも、本気で主を血族にしようと考えてる」

「本当に?」

「本当」


 エアがしっかりと頷いた。

 エアに読心能力があることは渡も知っている。


 猫科生物は、犬科ほどではないが、それでも人に比べれば抜群に嗅覚に優れる。

 またわずかな足音も聞き逃さない聴覚も、心音や呼吸の変化から相手の感情を的確に読み取るのだ。


「アタシは、主が誰と結婚しても構わない。……アタシは奴隷だし、武人として主人に忠誠を誓ったから。金虎族の生き方として、慰められる。でも、マリエルもクローシェも、ステラも、本気で主を愛してる。……みんなを悲しませないで。お願い」


 彼女たちからすれば、自分たちは奴隷の身分だ。

 渡が対等な立場の女性と交際を始めれば、その地位は自然と一歩下のものになるだろう。


 珍しく饒舌なエアの勢いに呑まれて、渡は言葉を失った。

 目を瞬いて、突然の事態の変化に驚いていると、エアが耳元に寄せていた顔を、さらに近づけた。


「アタシも主のことは本当に大好きだよ。愛してる」


 そう言って、エアは頬に優しく口付けてきた。

 頬に感じる柔らかな感触が、ふと離れていく。


 ニシシ、と笑うエアの目が潤んでいたのは、もしかしたら不安に泣きそうになっていたのだろうか?

 瞬きをしたエアの顔には、元の無邪気な子どものような表情に彩られている。


 コロコロと見る度に色合いを変える宝石のような瞳から、その真意を覗き込むことはできそうになかった。


 渡はしばらく悩みながら、案内された部屋へと歩いていった。


――――――――――――――――――――

はたして彼女たちの行く末はどうなるのか……?

次回『婚約』

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