第43話 ポーションの奇跡 アミール 前
*以下、外国語の発言では『』を用います
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巨大な建造物は高い壁に囲われていて、内側と外側をその環境も含めて大きく隔てていた。
乾いた大地が続くアラブ諸国の中で、壁の内側はまるでオアシスのように多くの水と植物で溢れている。
手入れされた庭園は規則的で美しく、蓄えられた水は、豊かさの象徴だ。
なによりも荒野に水を蓄えられるのは、科学技術の進歩のおかげだった。
年間降水量の少ない中東では、その限られた降雨をどれだけ活かせるかにかかっている。
その保水材の技術には近年日本の商品が大いに利用されていた。
アラブ諸国の王族の一人、アミール・ファイサル・ビン・サリームは、邸宅で渡たちの到着を首を長くして待っていた。
これほど人の出会いを待ち遠しく感じたのはいつ以来だろうか。
結婚式当日か、第一子の誕生を前にした時ぐらいだと彼は思った。
アミールは身長一八七センチ、体重が七八キロの男だ。
体は鍛えられていて実年齢よりも若々しく、四十歳ぐらいに見えた。
濃い顎髭を丁寧にカットし、ハンサムな顔をしている。
アラブ系に見られる濃い小麦色の肌をしていて、碧い目は長い悲しみに彩られていた。
アミールは有数の資産家だ。
先を見通す目を持つと言われ、王族として元々所有していた莫大な資産を、長期投資で成功させ、確実に富を膨らませてきた。
その総資産は個人で十数兆円にも及ぶ。
アラブ諸国においては公的な地位には就いていないが、隠然たる発言力を持つ男だった。
……ようやく来たか。
アミールは意図して笑顔を浮かべながら渡たちを迎えに行くが、その内心は複雑だった。
片方は強い期待。
息子の様態がこれで少しでも良くなればいい、という祈りにも似た切実な願いだ。
すでに四方八方の治療法を試してきたが、ことごとく裏切られてきた。
後はゆっくりとしか進まない最先端医療が治せる日を待つか、怪しげな祈祷でもするしかないかという諦めがあった。
それでも、今度こそ良くなるかもしれない、という希望が捨てられない。
そしてもう片方は、疑惑だった。
美人を四人も引き連れて、国籍を取得したいとはどういう目的なのか。
普通に考えれば、怪しいことこの上なかった。
息子ダーウードの境遇につけ込んで、大金を欲しさにアミールの資産を狙う不逞の輩は数えられないほどに多い。
世界でも有数の実業家である祖父江の紹介でなければ。
あるいは様子を探らせていたレイラから、プライベートジェット機での渡の急回復の報告がなければ、アミールはもっと渡を警戒していただろう。
彼は大腿内転筋群の重度断裂を起こして、ひどい内出血をしていたが、すぐさま歩けるようになったという。
普通であれば考えられない話だ。
そして、だからこそアミールに商談を持ちかけてきたのも理解できた。
渡たちは敷地内を車に乗って移動し、邸宅の玄関までたどり着くと、降りてきた。
キョロキョロ興味津々に周りを見る様子は、こういった環境に慣れていないのが分かる。
意外だったのは、渡に付き添う女性たちの態度がそれぞれ堂に入っていたことだ。
マリエルは微笑を浮かべながら渡をサポートし、エアとクローシェ、ステラは周囲をそれとなく観察と警戒をしている。
ただの愛人ではないな、と判断した。
「アッサラーむ あラいクム」
「「「
日本人の感覚ではこんにちは、あるいははじめまして、とも取れる挨拶だ。
渡のそれは辿々しく練習してきただろうと感じさせる発音だった。
だが、付き従うように立つ女性たちから順繰りに語られる挨拶を聞いて、アミールは少し警戒を解いた。
自然と顔に微笑が浮かぶ。
周りで控えていた使用人たちも、わずかに警戒を解いて、歓迎の意を強くした。
『
「渡です。こちら、俺の信頼できる部下たちです。マリエル、悪いけど話が通じるなら、代わりに丁寧にお礼を言ってくれ」
『代わりに失礼します。私マリエルと申します。この度はプライベートジェット機を手配していただいて、誠にありがとうございます。非常に快適でしたと渡様が申しております』
少しの淀みも違和感もない発音は、明らかにネイティブだけが出せるものだった。
彼女たちはもしかしたら、元々は中東の生まれなのかもしれないな、と考えた。
何らかの事情があって難民化し、日本に密入国した上で拾われたか。
中東では政情が安定せず、難民化せざるをえない人もいる。
それほどまでに、まったく違和感を覚えない発音だった。
アラブ語圏は様々な人種が入り混じる。
それだけに大切にするのが、共通の言語と宗教だ。
アミールは王族としてアラビア語以外に英語とイタリア語、中国語を話せるが、それらすべてをネイティブレベルで話せるかと問われれば、そうとは言えない。
母国語と第二言語習得とは大きな壁がある。
少なくとも言語的に問題がないのならば、心情的にも制度的にも受け入れやすかった。
とにかく、最優先すべきなのは、息子のダーウードが健康になることだ。
それ以外は全くの些事に過ぎない。
アミールは可能な限り有効な姿勢を示そうと、両手を広げた。
『長旅で疲れただろう。歓迎の用意をしているので、今日はゆっくりとすると良い』
「お心遣いありがとうございます。ですが、早速商品の方をお渡ししましょう」
『良いのかね?』
「もちろんです。俺にとっては普通の一日でも、回復を待つ家族にとっては、長い一日でしょうから……。それに俺も大金を稼ぐのは早いほうが良いですからね」
『ありがとう……』
あまり様になっていないウインクに、青年の心遣いがよく分かった。
アラビア語と日本語を併記した契約書を渡し、サインを書く。
契約内容については少しだけ修正を求められた。
「治療効果の可否に限らず、彼女たちの国籍だけは用意してあげてください。金銭的な報酬は、成功報酬で結構です」
『なぜかね? 自信がないと?』
「治ることは期待していただいて結構です。ただ、今回は持てる限りを持ち込みましたが、生産量がまだ非常に限られている治療薬なのです。治療内容によってはもう一度持ち込む必要があるのですが……」
『それにはまたここに来る必要があり、彼女たちの国籍が問題になるわけか。……分かった。すぐに手配しよう』
すぐに結果は分かる。
謀ってくれたと分かれば、相応の報いを受けさせるつもりだったが、少しでも良い効果が望めるなら、この程度の要求は何ともない。
そう、ダーウードさえ元気になってくれるなら、富も名声も地位も、すべて擲ってしまっても構わない。
あらゆる貴重な物は、大切な家族あってのものだ。
それに自分の能力なら、資産はいくらでも稼ぎ直せる、という自負があった。
『息子の所に案内する。来てくれ』
アミールは邸宅の中を歩いて案内した。
奥深くの一室は、普段は家族か選ばれた使用人しか立ち入りを許されていない。
ダーウードは事故以来、他人に会うことを極端に嫌がるようになってしまった。
元々が利発で聡明な子だったからこそ、今の自分との落差に耐えられなかったのだろう。
部屋に入ると、すでに用意をしていたダーウードが待っていた。
電動車椅子に座り、手足を一切動かせず、首と目の操作だけで生活するダーウードの姿は、何時何度見ても慣れない。
強いショックを受けてしまう。
麻痺のせいで傾いた首、神経質そうに動く表情筋は、事故の時に負った火傷のせいで引き攣れてしまっていた。
会う人会う人が、あまりの痛ましさに言葉を失ってしまう。
『息子のダーウードだ』
『はじめ、まして、ダーウードです。オレは、治るんですか?』
「渡です。こちら、俺の信頼できる部下です。どうだ、行けそうか?」
「ご主人様、お任せください。ステラ、行けますよね?」
「はい。とても酷いですが……足りると思います」
渡るたちが早速治療の準備に取り掛かり始めた。
アタッシュケースを開くと、その中から薬瓶を取り始める。
色の違うラベルが貼られた
どれだけの富があっても、どれだけの権力があっても、私には息子一人を助けてやることができないでいた。
王族だなんだと言われても、私は自分の力の至らなさに嘆いた。
しかし、これでようやく私も少しは胸が張れそうだ。
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どうやら異世界翻訳は国を選ばないようですが、異世界⇔地球間のみで働き、「ゲートを通れば同惑星内でも適用されるわけではない」ことが分かりました。
次回は後編になります。
限定近況ノートに、エアのイラストについて掲載しました。
もうエッッッッ!! って感じの内容なので、サポーターの方はぜひ見てください。
(運営の怒られ対策はしてます)
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