第40話 高額の依頼③

 祖父江の表情に困惑が浮かんだ。

 なんといっても五十億もの大金だ。

 当然了承されて然るべき、と思っていたのではないだろうか。


 渡の額に汗が噴きでた。

 国の政治を左右する問題を、断るのだ。

 条件から考えても、渡としてもぜひとも受けたかった。

 だが、大切なマリエルたちを犯罪者として扱わせるわけにもいかなかった。


 苦渋の決断である。


「どういった問題があるのか、教えてもらえないだろうか。私も頼んでみたけれどダメでした、ではただのメッセンジャーになってしまう。条件が擦り合わせられるように、尽力するつもりだ」

「……端的に言うと、彼女たちが渡航できないんです」

「パスポートの問題なら、最優先ですぐに発行してもらえるように掛け合っても構わないが……反応を見る限り、そういうわけじゃなさそうだね」

「言ってみれば、彼女たちは9と3/4番線の住人なんですよ」

「ふふふ、特急列車に乗ってやってきたのか」

「そうです……」

「まあ、あれほど不思議な効果を持つ薬だ。ダイアゴン横丁あたりで売ってるのかな。ぜひ案内してもらいたいところだ」


 具体的なことは言わなかったが、祖父江は一瞬でマリエルたちの実情を察したようだった。

 頭の回転が速い。

 あまりの察しの良さに、渡は一切の情報を与えるべきではなかったか、と危惧した。


 祖父江はたしかに投資を持ちかけてきているが、渡の弱みを握って経営権の一部なりともを確保しようとしてもおかしくないのだ。

 この時の渡の緊張は最高峰に達し、思いを共有したマリエルとステラの目が厳しくなった。


 渡のピンチはそのまま彼女たち奴隷のピンチだ。

 特にステラは崇拝の対象としている渡のためなら、手段を選ばなかっただろう。


 だが、祖父江は表情を和らげた。


「まあ、それなら心配ないだろう」

「……どういうことですか?」

「プライベートジェット機を手配してもらえば良い。そっちの搭乗口はほとんどフリーパスなんだ。問題にはならないだろう」

「そうなんですか?」

「ああ。私も何度も海外に移動しているが、大体はチェックを受けないね。とはいえ、以前に自動車会社のCEOが海外逃亡したことから、大型荷物の検査の厳格化が要請されたみたいだけれど」

「音響機材の入る大型ボックスに隠れなくてもいいんですか?」

「大丈夫だよ」


 実際はお手盛りだよ、と祖父江は笑った。

 特に海外の要人を厳格にチェックするのは、外交問題としてわずかでも刺激したくない、という意識も働くのだろう。


「交友のある政治家せんせいがたに相談してみても良いが、どうするかね?」

「少し保留させてください。あまりすぐに頼りたくもなくて」

「それも良いと思う。彼らとの付き合いは慎重すぎるぐらいでちょうど良いからね」

「でも祖父江さんは深く付き合ってるんでしょう?」

「私ぐらいになると、避けては通れないよ。それに君も今後創薬研究で広めていくんなら、いやでも付き合うことになるよ」

「勘弁してほしいですね」


 にやっと祖父江が笑った。


 高度情報化社会の現代日本においても、実は戸籍がない日本人というのは多く存在している。

 法務省が令和二年九月末日に把握していた無戸籍者の総数は三二三五人に上る。


 把握できていない数を含めると、推定で一万人を超えるのではないか、とも言われる。


 その原因は大きく分けると、届け出自体が出されていなかった場合と、手続き上のミスだ。

 届け出がされないのでもっとも多いのが、離婚調停中の子どものケース。

 どちらの子なのかハッキリしないために、あるいは認知してもらえないならと届け出を止めてしまうのだという。


 あるいはネグレクト、片親が日本人かつ、もう片親が不法滞在している外国人、貧困を原因とした風俗での結果で生まれた、などの場合も考えられる。

 また、二〇二三年に十三万件ものマイナンバーカードの口座情報のミスが発覚したように、人為的なミスは必ずどこかで起きていた。


 さらに無戸籍でも住民票自体は存在している、などという不自然な状態でも、気づかずにそのままにされていることも存在していた。


「まあ就籍が必要なら、いつでも相談してくれて構わないよ」

「お力を借りる時があれば、よろしくお願いします」


 渡は素直に頭を下げた。

 いざという時に頼れる相手というのは、存在しているだけで助かる。

 特にそれが祖父江のように、政治や経済に大きな影響力を持つ人なら、なおさらだ。


 戸籍がない人が、あらたな戸籍を得ることを就籍という。

 就籍は純日本人と思われる場合はかなり役所も協力的になってくれるが、これがマリエルたちのように外国人に見える場合、一気に難しくなる。


 さらに戸籍についての問題を深刻にしているのが、四人という数だ。

 一人だけであれば、結婚する、養子にするといった手も使えた。

 あるいは未就学という手も使えなくもないし、記憶喪失を装うこともできる。


 だが、四人となるとこれは相当に怪しく、また注目も集めやすい。

 難民の違法な国籍取得を疑われかねないからだ。


 渡が今後有名になればなるほど、周辺についても調べられる可能性が高くなる。

 その時、戸籍に明らかにおかしな矛盾が生じれば、気づく人間は必ず出てきてしまう。


 日本は難民の国籍取得や永住にはかなり厳しい目が向けられている。

 渡が四人もの外国人に国籍を取得させたとなれば、一部の界隈から色々な憶測を生みかねなかった。


 祖父江がそれとなく提案したように、政治家の先生の力を借りて、事務手続きにミスがあったことにする・・・・・といった便宜を図ってもらうことも可能だろう。


 だが、便宜を図ってもらった政治家から、多くの見返りを求められるのも厄介だ。

 政治家の高齢化が問題になって長いが、彼らにとって健康を得られるポーションは垂涎の的であるに違いない。


 老獪な政治家は時に妖怪などとも言われるが、深い関わり合いを持ちたくない。

 一回だけで十分だというのが、一介の一市民である渡の正直な感覚だった。


 なお、戸籍を購入するという手段は、下も下の策だ。

 元の戸籍の持ち主が名乗り出れば一瞬ですべてがバレてしまう上、戸籍を販売するような人間が、有名になった時に大人しく静観してくれる保証はどこにもない。

 あの手この手を使ってお金を引き出そうと、強請ってくる恐れは非常に高かった。


 ただでさえ渡はすでにポーションの販売という危ない橋を渡っている。

 脛に傷持つ者たちに隙を晒すのは避けなければならなかった。


「では、この問題については向こうにプライベートジェット機を手配してもらうように伝えておこう。現地に到着してしまえば、それこそ問題にならないだろう。あるいは、向こうに国籍を置けるようにしてもらうのを条件にしても良いかもしれないね」

「そんなことができるんですか?」

「無事に治ればね。では手配をしても大丈夫かな?」

「はい。お願いします」


 祖父江が深く頷いた。

 いざ、中東。


――――――――――――――――――――

【9と3/4番線】

世界で一番売れた小説『ハリー・ポッター』から。ロンドンのキングズ・クロス駅にあるとされている、魔法界への入り口。ホグワーツ魔法魔術学校にはホグワーツ特急に乗って向かう。なおなぜかイギリス北部に住む人も、一度ロンドンに南下する必要がある模様。


【音響機材】

国外逃亡者カルロス・ゴーン元会長が自身の案で隠れたとされる。

当初はコントラバスに隠れたのでは、と推測されていたが、これは後に誤りだったことが分かった。


【無戸籍者の数】

無戸籍者に関する調査結果 民法(親子法制)部会 参考資料14-2より


 今回はストーリと言うよりも、戸籍についての情報がメインになってしまいましたが、地球編では現実寄りの話を重視してるので、避けては通れない記述になります。

 安易に買えば良い、というわけにも、政治家の先生に頼れば良いわけにもいかない、というのが少しでも伝わると良いのですが。


 なお、作者はあらびあーんな褐色美女を出すかどうかで深刻に悩んでます。

(メインキャラにはならないとしても)


 そうだ、中東 行こう。

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