第39話 高額の依頼②
祖父江との対談は、彼が経営する会社の入ったビルで行われることになった。
大阪の梅田、駅から歩いて数分という好立地だ。
「さすが大企業、駅から一瞬だな。これなら通勤も楽そうだ」
「
「俺みたいに自宅でしてるやつも多いし、店舗が一階、住居が二階って形態も多い」
「うう……人が多すぎてうるさいよお」
「臭いがキツいですわ……」
沢山の人が出入りする梅田駅の改札を出て、スマホのマップを見ながらビルへと歩く。
相手が相手ということもあって、また今回は迎えるのではなく渡が出向いていることもあり、正装で行くことになった。
スーツの新調が間に合って良かった。
渡はほっと胸を撫で下ろした。
これまで渡はフリーランスライターとして働いていたから、一張羅と呼べるほどのスーツは用意してなかったのだ。
異世界で前に仕立てたスーツは、日本ではバブル期の者しか着ないであろう、豪華なものだった。
その後に、日本での活動用にも仕立ててもらっていたのが正月明けに完成した。
防弾・防刃性能は折り紙付き、現代風のクラシックスタイルにしっかりと寄せていて、素晴らしい裁断と縫製は、違和感なく着ることができる。
このあたりはマエストロの技術の本骨頂だ。
おそらくは走り回ることさえできるだろう。
マリエルたちは正装を用意していなかったのだが、スタイルが良いため様になっていて、渡は少し羨ましかった。
こういう時、美男美女は何でも似合うから良いよなあ。
「ここか。見上げると首が痛くなりそうだな」
「主、緊張してる?」
「ああ……。実はちょっとな」
「大丈夫だよ。アタシがいざとなったら誰だってぶっ倒してあげるから。怖くないよ?」
「いや、そういう相手じゃないんだけどな……。むしろ倒されたら困るんだよ」
「どんな交渉だって、最後は腕力が勝負を分けるんだよ?」
「そうか。……まあ、おかげでちょっと余計な力が抜けたよ、ありがとう」
「うん」
渡は立派な自社ビルに圧倒されそうになった。
忙しく出入りするスーツ姿のサラリーマンが、誰もが優秀そうに見えたのは、渡の劣等感からくる偏見だろうか。
少なくとも有名な大学を出た、優秀な学生だったに違いない。
渡はこれまで大企業との縁がなかった、無名のフリーランスライターだったのだ。
それがまさか、日本有数の起業家本人から招待を受けるようになるとは、人生いつ何が起こるか分からないものだ。
エアの発言のお陰で、渡の肩からは力みが消えた。
数奇な運命に渡は感謝の気持ちとおかしさを感じながら、受付に話しかけた。
受付でアポイントメントの確認を受けると、すぐに案内される。
ちなみに、この時点で案内されたのは、渡、マリエル、ステラの三人だ。
本来は渡だけで会ったほうが良いのかもしれない。
だが、話す内容を考えると、交渉役のマリエルと、ポーションの制作者であるステラはいてもらった方がいい。
何かが起きる可能性は限りなく低かったため、護衛であるエアとクローシェは、ビルの出入り口付近で待機していてもらうことになった。
応接室にはすでに祖父江が座って待っていた。
渡たちが到着すると、立ち上がって見事な笑顔で迎えてくれる。
人好きのしそうな笑みは、さすがに大企業の創業者というだけはあり、自然と好感が持てた。
「急に呼びつけて申し訳なかったね。来てくれて助かったよ」
「何やら非常に重要な話ということでしたので。先日は税理士先生の件でお世話になりました。すごく助かりました」
「力になれたなら良かった。君、外してもらえるかな?」
挨拶を終えると、すぐに祖父江がお茶を淹れて待機していた部下を応接室から退席させた。
それだけ外部に漏らせない話ということだと分かって、渡は唾を飲み込んだ。
色々な事情を知っているだろう秘書ですら排除する話とは、どれだけの内容なのだろうか。
出されたお茶はほんの少しだけ熱めで、寒いところから入ってきた渡の口を潤すのにはちょうど良かった。
「さっそく本題に入ろうか」
「お願いします」
「君が販売している治療薬を、ぜひ購入したいと希望している人がいるんだ」
「話したのですか?」
「具体的なことはなにも」
慢性治療ポーションについては、祖父江についても例外ではなく、秘密保持契約を結んでいる。
とはいえ、まったく何も言えないわけではない。
祖父江自身に起こった変化、治ったこと、あるいはそういう治療法があることについては、当然話して良い。
そうでないと、紹介すらままならないからだ。
祖父江はニヤッと笑って自分の頭を叩いた。
以前ならペチリとでも乾いた音を立てただろう。
だが、今はフサフサの髪の毛に守られて、ぽふりと柔らかく衝撃が吸収された。
「私の外見的な変化は、他人から
「すみませんが、俺のほうが数を提供できませんね」
「まあそう言うだろうと思っていた。ただ、今回は相手が相手でね。私も軽く流すわけにもいかなかった。それに症状を聞いて、ぜひとも改善してほしいと思ったということもある。それでまずは相談してみるということになったんだ」
「どういう症状なんですか?」
「ある事故の後遺症で、頸髄損傷と重度熱傷がある。四肢麻痺があって、手足はまず動かせないような状態だ。父親が手配できる限りの医療団を結成して数年が経っているそうだけれど、回復の目処がまったく立っていないらしい」
「それは酷いですね……」
「今は最先端の音声認識デバイスを使ってある程度活動できているようだが、それでも治る手があるなら、ぜひとも治したいだろうね」
手足を動かせないつらさは、渡には想像も及ばない。
だが、ふんわりとした想像ですら、ゾッとするほどの困難に塗れるだろうことは分かった。
自分の足で移動することもままならない。
それどころか自分で食事を取るのも難しければ、トイレでお尻を拭くことすら難しいのだ。
それまで自分のことを自分でやっていれば、相当な恥辱を感じたはずだ。
「ステラ、慢性治療ポーションで治りそうか?」
「薬師ギルドのものでも対応可能だと思いますぅ」
「それならいい。万が一の時には、高性能なやつをお願いする」
「分かりました」
提供したはいいが治らなかったでは徒労になる。
渡は一応ステラに判断を仰いだが、脊髄損傷でも治癒するようだった。
恐るべき薬効と言えるだろう。
「大丈夫だと思います」
「そうかね! それは朗報だ。報酬も非常に高額を用意されている」
「うちの額をお伝えしたんじゃないんですか?」
「いいや。相手は本当に治るなら、報酬はいくらでも支払うと言っている。あえて低い額を伝えることはないと思ったし、相手の財力を考えれば、本当に青天井で用意してくるだろう。私には五十億円を提示してきたが、それ以上でも支払う意欲はあるようだよ」
「ご、ごじゅうおくっ!? ……冗談ですよね?」
「いや、本気だろうね」
真面目な表情で祖父江が答えた。
五十億だぞ、本気かよ?
正気を疑う提示額だが、それを支払える能力があり、かつ治るなら、それだけ払っても惜しくないということなのだろう。
それでも渡にはにわかには信じがたい金額だった。
「非常に心苦しいが、この件は是が非でも受けて欲しい。相手がただの一個人なら私もここまで言うことはないのだが、国益を左右する相手なんだ」
「……一体誰なんですか、それは」
聞いておきながら、渡は知りたくなかった。
とんでもない相手だというのは、この時点ですでに予想がついたからだ。
聞いてしまえば後には引けなくなる。
とはいえ、話も聞かずに無茶な要望を受けたくはない。
危ない橋を渡る可能性もあって、お金では替えられない大切なものもあるのだ。
「アラブ諸国の王族アミール・ファイサル・ビン・サリーム氏の息子だ。我が国は知っての通り、原油を輸入に頼っているだろう?」
「そうらしいですね」
日本で産出できている原油は年間五〇万キロリットルほど。
新潟や秋田、山形、北海道から採ることができている。
九九.七パーセントは、海外からの輸入に頼った状況だ。
「日本は主にサウジアラビア、アラブ首長国連邦、クウェート、カタール等の中東地域から原油を輸入していて、その比率は九五パーセントを占めると言われている。万が一機嫌を損ねると、国の運営に大きな支障をきたしてしまうわけだ」
「あらゆる産業が大打撃を受けるわけですね」
火力発電をはじめ、ガソリンや灯油など、原油の影響する分野は計り知れない。
政治まで絡むとなると、話の規模が大きすぎて、渡としても断れない。
一個人の判断で国と国の外交問題にまで発展するとか、勘弁して欲しい。
これでは提案というよりは、なかば強制的ではないか。
渡はこの瞬間まで、依頼をほとんど受けるつもりでいた。
「ただ、その患者の子が様態から病室から出られないそうだ。そのため、アラブ諸国まで赴いてほしいと希望している」
「なる……ほど……。お話は分かりました」
「おおっ、では受けてもらえるかい?」
「いえ。非常に、本当に心苦しいのですが、抜き差しならない問題があって、お受けできません。すみません」
「なぜ? 協力が必要なら惜しまない。差し支えなければ、その問題について教えて欲しいな」
まさか断られるとは思っていなかったのだろう。
祖父江が目を瞬いた。
渡としても話を聞けば聞くほど断れる相手ではないと思った。
だが、ダメなのだ。
渡たちが一緒になって行動するには、一つ大きな、非常に大きな問題が立ちふさがる。
マリエルたちには戸籍がない。
つまり、パスポートの発行もできなければ、海外に渡航もできないのだ。
そして、安易に相談もできないでいた。
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長らく温めつつ、表面化していなかった問題がついに出てきました。
以前から調べてたけど、どうやって解決したらええんや。
作者に秘策はあるのか!?
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