第37話 外からの視線
――某国中央統一戦線工作部――
そこは都心部の明るいオフィスの一室だった。
窓からは道を歩く多くの人の黒い頭を見ることができるが、かなり小さい。
そして、そのガラスは防諜を意識された、特殊なものだ。
現代では人の話し声がかすかに窓ガラスを揺らすため、その揺らぎを探知することで盗聴が可能になる。
また室内には徹底して盗聴器やカメラの対策が行われ、重要なデータベースとなるパソコンは、ネット回線にも繋がっていない独立した仕様になっていた。
壁は分厚く、音は外部に漏れない。
そんな部屋で、一人のアジア人が、同僚に相談を持ちかけていた。
「連絡が途絶えた?」
「ああ。向こうから接触を取ってきてすぐだ」
「そんなのよくあることだろう。気が変わったか、元々マークされていて、接触したのを公安に悟られたか。何を気にしているんだ?」
「提供予定だった内容がな……」
言葉を濁した男に、同僚が興味を引き立てられたのか、身を乗り出した。
「一体何だったんだ?」
「特殊な治療薬についてだそうだ。あらゆる古傷を治し、ハゲすら治してしまうっていう話だ」
「本当か? AGAだって治療効果は確実じゃないだろう。それとも遺伝子治療の新薬の話か」
「どうもそれに近いらしい。開発した人間の情報を提供するために対価を求めてたようだが、そこからパッタリと連絡が途絶えた」
「は、そりゃ消されたんだろ」
「やはりそうか……」
日本はスパイ天国だなどと言われているが、公安警察も要注意人物は選定している。
安高はその対象の一人に選ばれていてもおかしくない存在だった。
「しかし、これが本当ならうちの党首は目の色を変えて欲しがるだろうなあ」
「ああ。偉大な指導者がカツラなのは最高機密だからな」
「ふふふ」
絶大な権力を持つ最高指導者にも突かれるとツラい弱みの一つや二つがあるのだ。
◯
大阪市内。
一軒のマンションが収まりそうなほどの大きな庭園を構える邸宅で、初老の男性が池に棲む魚に餌をやっていた。
節くれ立つ指は長年の使い込みによって苦労の年輪が刻まれている。
初老にもかかわらず、男の足腰はしっかりとしていて、池の淵に立つ姿には安定感があった。
パクパクと餌を求めて水面に上がる魚を見ながら、初老の男は興味深そうに頷いた。
「孫を治した人物に該当しそうな人がおる? ほんまか?」
「ええ。といっても眉唾ものの情報なのですが……」
「それでも構わんから、教えて欲しい。そもそも起きたことが夢物語かと思うような奇跡なんや。どんな情報でも助かる」
「はっ。実は近頃奇跡の復活を遂げたアスリートや芸能人が続出しているのは、ある一人の男が関わっているのではないか、と言われていまして」
「ふむ。そういえば確かに、思い当たる節があるなあ」
「その話が週刊誌にすっぱ抜かれていましたが、不思議なことにその直後、出版社に人事異動が起きました」
「そんなことが起きるのは不思議な話やなあ」
「はい」
もたらされた情報に、男は深く頷いた。
半年ほど前に、彼の孫娘が交通事故でまともに追突を受けた。
意識を失うほどの重体だったのだが、不思議なことに気がついた時には、まったく外傷がなくなっていたのだという。
肌や服についた血の痕や、あるいは衣服の傷といった痕跡から、事故に遭ったことも、その際に負傷したことも間違いない。
だというのにまったく傷の見当たらない不思議な現象に、現場検証を行った警察官は辻褄が合わないと首を傾げたという。
初老の男は、孫から詳しく話を聞いて、それが本当にあったことなのだと確信した。
事故を起こした車のドライブレコーダーには何も写っていなかったが、周囲に設置された防犯カメラには、孫の救助に駆けつけた人の姿がたしかに写っていた。
「そうやって情報が漏れるってことは、何かあるわけやな。しかもそれなりに大きなバックがついとる」
「そう考えられます」
残念なことに姿を捉えた防犯カメラはかなり古いものだった上に、画質が悪くて白黒でしか撮影できていなかった。
そのため特定には結びつかなかったが、若そうな男だということだけは分かったいたのだ。
「孫を救ってくれた恩人や。なんとしてもお礼を言いたいし、恩は返さなあかん。情報統制が必要そうな相手やったら、うちらに勝てる人間はそうおらんで。手間やが、探ってくれや」
「わかりました」
報告を行った男が、鋭い視線に晒されて姿勢を正した。
スーツ姿に身を包んだその肌には、色鮮やかな入れ墨が掘られていた。
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深夜の更新です。
最近ギフトいっぱいいただいているので、予定じゃなかったんですが、頑張りました。
渡たちは間違いなくその影響を大きくしていっていますが、次回はとんでもないことが起きます。
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