第36話 ゼイトラム神の宣託

 渡たちが帰った後の教会。

 助祭であるラスティは、忙しく動いていた。


 日々の勤めはとても多く、経済的に豊かではないゼイトラム教会では、教会内ではかなり高い地位にいるラスティといえど、やらなければならないことは多々あった。


 助祭は司祭に次ぐ立場で、重要な仕事の一つに出納がある。

 後援者から寄付を募ったり、運営費から必要な物品を買い揃えたりするのも、この助祭の仕事だ。


 ラスティは渡からもらった寄付金を両替すると、世話になっている商店を一軒一軒回っていった。


「長らく支払いをお待ちいただいて、誠にありがとうございました」

「おう、たしかに。しかしまあ、まとまって支払っちまって、大丈夫なのかい?」


 衣服や布、糸を卸す店の店主が、心配そうにラスティを見た。

 五十歳半ばのこの男性は、いつも申し訳無さそうに頭を下げるラスティに、娘にも似た親愛を抱いていた。

 急に(教会にとっての)大金を支払いはじめ、不安になってしまったのだろう。


 そんな店主の気持ちをすぐに察したラスティは、異性なら思わず見惚れてしまうような、とても幸せそうな笑みを浮かべた。


「はい。この度、いい後援者の方ができまして」

「へえ、そいつぁ良かったね」


 これまではあまりにも入金が少なく、維持運営には個人商店にツケ払いをお願いせざるをえなかった。

 多神教であるこちらの世界では、日本人が正月に住吉大社をお参りし、商売繁盛に恵比寿様を拝み、学問成就にと太宰府天満宮を参拝するように、その時々によって参る神を変えることは一般的なことだ。


 そして神社によって参拝客に恐ろしく差が生まれるのも同様だ。


 ラスティたちが世話になっている個人商店も、主神は別にありながらも、ゼイトラム教にも応援してくれている優しい心の持ち主だった。


「チビたちも喜んでるだろ」

「はい。うちの子たちをお腹いっぱい食べさせてあげられますからね」


 ゼイトラム教では規模こそ非常に小さいが、孤児の受け入れもしていた。

 お金の心配が一時的とは言え解決したことの意味は大きい。


 特に収支に苦労していたラスティは、肩の荷が下りる気持ちだった。


「よっぽどその後援者の人が良かったんだな。ラスティちゃん、いい顔をしてるよ」

「そ、そうですか?」

「はん、照れちゃって。もしかして惚れたのかい」

「なななな、ち、違います! そういうんじゃありません!」

「悪い悪い。でもいいよ。すごく幸せそうだ」

「もうっ!」


 ラスティは分かりやすく口をとがらせた。

 それでも、その表情はすぐに笑顔に変わってしまう。


 そして、店主はそんなラスティの笑みに見惚れて、つい余計なおまけを一つ増やしてしまうのだった。


 ◯


 色々な世話になっている商店を回り、頭を下げたラスティは、教会に戻ると帳簿をつけていた。

 ツケ払いの支払いを終えると、悲しいことに寄付金の半分以上が一日にして失われてしまう。


 ひとまずは人並みの生活を送るためにも、必需品を買い揃えなければならない。

 教会の修繕や祭具の新調はまだ先の話になるだろう。


「それもこれも、自分が有力な支援を得られていない未熟から来るものですね……」


 いかにゼイトラム教の教えが浸透していないとは言え、それでも教義を広めて後援者を増やすのがラスティの務めの一つだ。

 たった一人でも、有力な後援者が得られれば、状況は大きく変わる。


 我が身の未熟さを痛感していると、来客があった。


「ごめんください」

「はーい!」

「わたくし、ウェルカム商会のタンレフと申します。ゼイトラム教会の助祭、ラスティ様で間違いないでしょうか」

「は、はい。たしかにラスティはわたくしめですが……どういったご用件でしょうか?」


 背の高い牛人が、丁寧な所作で訪ねてきて、ラスティは驚いた。

 近頃名を挙げているウェルカム商会は、王都の貴族たちがこぞって白砂糖を買い求めていると、ラスティでも名前を知っていた。


 そのウェルカム商会から、身なりの立派な使用人が、なぜ。

 財布を逆さにしたって、買えるわけがないのだ。


 ラスティが不審に思っていると、教会の前に次々に馬車が止まっていくのが見えた。

 タンレフが軽く頷き、渋い耳障りの良い声で用件を話す。


「当商会のお客様であるワタル様より注文を受けており、商品の受け渡しをお願いします」

「は、ワタル様ですか?」

「どうぞご確認ください」


 納品書を手渡されて、ラスティが上から流し見た。

 大量の食品をはじめ、石鹸、タオル、歯ブラシといった衛生商品、細々こまごまとした掃除用具やベッドシーツ、状態の良い子供向け衣服など多量に書かれている。

 馬車が並び、山のように積まれた荷物は、すべてこれら商品なのだ。


「受領のサインをお願いします」

「は、はい……」


 一体どれほどの金額になったのか分からず、ラスティの手が震えた。

 珍しい商人の来訪に、教会付属の孤児院に住む子どもたちが恐る恐る、遠巻きに見つめている。


 ラスティの困惑と不安を見抜いたタンレフは、威圧的な外見に見合わぬ柔らかな声を出した。


「今後、定期的に当商会から商品をお届けに参ります。もし不足しそうなものがあれば、事前に当商会に使いを出してください」

「非常に恥ずかしい話なのですが、当教会ではお支払いできそうにありません」

「ご安心ください。すでにワタル様より前払いで料金を頂いておりますので、こちらから請求することはございません」

「ま、前払いですか」

「はい。本当に良き後援者を得られたものです。会長は目の回るような多忙な中、わたくしを直接手配されるほど、この契約を重要視されています。ワタル様の判断が変わらなければ、この支援は続くと考えていただいて大丈夫です」


 渡がウェルカム商会からの多額の儲けの一部を還元するつもりで、教会の支援を申し出たことは、ラスティには分からない。

 突如行われた手厚い支援に、ラスティは感動した。


 なんてありがたいことなんだろうか。


「ねえねえ、ラスティ姉ちゃん、これなに!?」

「あなた達の新しい服よ」

「すっげー!! 俺、これ欲しい!」

「アタイはこれほしー!」

「コラ、後でちゃんと皆で決めるんですよ。早いもの勝ちじゃありません」

「えー!?」

「それよりも、お客様の前で失礼なことをしちゃいけません。ちゃんと教えたでしょ」

「はーい! ごめんなさい!」

「ごめんなさーい!」


 好奇心を抑えられずに飛び出してきた子どもたちを叱ると、ペコッと頭を下げて、キャーキャーと笑いながらまた走り去っていく。

 またちゃんと教育しないと、と嘆息していると、牛人のタンレフが微笑ましそうに笑いながら、ラスティに袋を差し出した。


「こちらはワタル様より、特にラスティ様にと」

「わたくしめに……?」

「はい。お連れの方と相談されて、悩まれた後、贈られるのを決めておられました」


 小さな包袋に入っていたのは、非常に高級そうな櫛だった。

 貴重な古木を熟練の手技によって削り出した逸品だ。

 素晴らしい物だけが持つ、匂い立つような気品に溢れた商品には、手入れ用の油が同封されていた。


「こ、こんな立派なもの受け取れません」

「返却されるのでしたら、直接当人にお願い致します。ただ、女性への贈り物を突っ返されたら、わたくしならショックですが」

「う、うう……わかりました。こ、こんな高価な贈り物をいただくのは初めてです」

「ふふふ。良かったですね。それではわたくしはこれにて失礼します。納入を終えるまでうちの従業員が倉庫に出入りしますが、ご容赦願います」

「あ、ありがとうございました」


 タンレフが去った後、ウェルカム商会の従業員は素早く大量の荷物を搬入すると、慌ただしくその場を去っていった。


 これまで見たことがないほどに荷物に溢れた倉庫を見ながら、渡に、そして渡を遣わしたゼイトラムに感謝の気持ちを捧げた。


「ゼイトラム様、わたくしめにあの方を遣わせてくださったことを感謝いたします」


 深い没入とともに祈りの言葉を吐くラスティは、しばらくすると不意に声が聴こえる。



――なさい――


――私に仕えるように、ワタルをたすけなさい――


 だ。


 神威に満ちた声が脳裏に響き、ラスティは歓喜の涙を流した。

 ラスティが生まれ、ゼイトラムに仕えて二十年余、初めて神の声を聴いた。


「は、はい。必ずやかのお方の力になります」




――――――――――――――――――――

神の声を聴けた人は、基本的に栄達するとかなんとか。

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