第35話 教会の貧困の理由

 金貨一枚は、日本円にしてざっくりと一〇〇万円相当だ。

 有名な宗教団体への寄進としては、より大金を払うところもあるだろう。

 ありとあらゆる家財を売却して寄付させる献金問題も実際として起きている。


 だが、燭台に灯す蝋燭代や、修道服代まで切り詰めていたラスティにとっては、渡の払った金貨二枚はあまりにも大金だった。


 これがあるいは以前からの熱心な信者であれば、ラスティも心構えができていたかもしれない。

 だが渡は今日初めて訪れたばかりであり、熱心な信者というわけでもない。


 おまけに普段から参拝者も滅多にいない王都のゼイトラム教会にとっては、その分寄進も少額であり、珍しいものだった。

 渡の寄付に何らかの目的があるのではないか、と勘ぐってもおかしくはない。


 自分の体が求められているのではないか、と思うと、恥ずかしさにのぼせたようになり、ラスティの頭は激しく回転からまわりした。


 この人はわたくしめに最初からすごく好意的だった。

 なにやらじっとりとした目でおっぱいを見ていた気もする。

 もしやわたくしめの体目的だったのでは!?


 ありえる。すごくありえる。

 それに、あんなにも美人を大勢引き連れて、とても好色な人なのではないでしょうか。


 ああ、でもゼイトラム様の祝福を授かり、聖者プロガノケリス様の紹介できた方の要求を拒めば、この教会にどれだけの迷惑がかかるか……。


 それに一夜の対価に金貨二枚は間違いなく破格。

 これで幼いあの子達の食事を豪勢にしてあげられるなら……。

 ああ、でもこの身をお金に換えるなんて……。


「いけません、いけませんわ……」

「ラスティさん? ちょっと話を聞いてください」

「こんな、こんな大金をいただいてしまったら……わたくしめには断れません……」

「い、いいんですか? 本当に……?」

「は……はい……」


 地球の歴史を紐解けば、宗教はどの国でも裕福であることが多い。

 これにはいくつか『構造的な理由』がある。


 一つ目は、貴族などと同じく領地を持っていることが多かったということ。

 徴税権や裁判権を持ち、その地の領主としての一面を持っていた。

 おまけに寄付や奉仕活動といった、金銭的、労力的な収入も得られた。


 また、現代でも続く特権として、税金の支払いが免除されていることも多い。

 さらには酒や油などの専売特権を持っているケースも見られ、非常に種々様々な収入の柱が存在していた。


 地球でも今日こんにちまで残る有名なリキュール、シャルトリューズやベネディクトをはじめ、日本でも春日大社や僧坊酒と呼ばれる酒蔵の歴史が数多く存在している。


 とはいえ、これは力のある教会などの話だ。

 地方の場合や女性修道院などでは、売れるものがないために春を売る場所もあったという。


 王都に存在するゼイトラム教は、総本山とは違い領地を持たない。

 本来王都のような人口の多い土地では、裕福な支援者や多くの信者で徴税分を補うことができるはずだった。


 だがゼイトラム教は、他でもないゼイトラム神がゲートの利用者を激しく制限したことで、少しずつ時をかけて信者が減ってしまっていたために、収入の柱を失ってしまっていた。

 後は内職をするか、托鉢修道士として寄付を募って練り歩くか、という状況だった。


 なにやら悲痛な覚悟を決めて体を掻き抱くラスティには、薄幸の美女とでも呼ぶべき、うらぶれた女の放つ独特な色香に満ちていた。

 渡がついつばを飲み込んだのも、仕方がなかったことだろう。


「ラスティさん、どうか落ち着いてください」

「ひゃ、ひゃい!? にゃ、にゃんでしょうか!?」

「ン゛!? シシ……めちゃくちゃ噛んでる」

「はうっ」

「こらエア、失礼だろう」

「ア、アタシだって我慢しようと思ったもん」

「ラスティさん、こちらは俺からの篤志のつもりです。対価は求めておりません。少しでも協会の運営に充ててください。俺はゼイトラム神のおかげで、とても幸運に恵まれました。今の自分の成功があるのも、そのきっかけもゲートを使わせてもらえたおかげです。本当に感謝しているんです」

「なんとありがたい申し出でしょうか……。神もきっとその気持ちを歓ばれることでしょう。それなのにわたくしめは、なんとはしたない態度を。失礼いたしました」


 ラスティが恥ずかしそうに顔を伏せた。

 感情を持て余しているのか、手をイジイジとさせている。

 可愛い人だな。


 あるいは強引に話を持ち込めば、ラスティが受け入れる可能性はあったのかもしれない。 

 が、渡にはそのつもりはなかった。


 今更自分の欲に対して潔癖になったわけではないが、最初から権利のうちに入っていた奴隷に手を出すのと、またわけが違うように感じる。

 それに何よりも、万が一でもゼイトラム神の機嫌を損ねる可能性は排除したかった。


 せっかく声こそ聞こえないが、特別な空間に出入りを許され、おまけに特別な鍵を貰ったのだ。

 残念でなかったというと嘘になるが、良心と打算の両方で、渡にはそのつもりが無かった。


「できれば、さきほど伺っていた鍵の使い方について、詳しく教えてもらえませんか?」

「分かりました、司教様にも報告し、秘文書を用意しておきます。ただし、こちらはゼイトラム神様の教えの中でも、秘中の秘です。ワタル様お一人での閲覧をお願いします。また写本なども許されません」

「……分かりました」


 渡は異世界の文字は読めるが、書けない。

 これはマリエルたちが日本語を前にしたときも同じだ。

 秘文書の内容をどうやって記憶しておけば良いか、渡は考える必要ができた。



――――――――――――――――――――

前話で思った以上に金貨の貨幣価値が伝わってなかったようなので、あらためて設定の提示は定期的に行うように表現を改めることにしました。

まあ六十万字以上前の細かい話、作者じゃなきゃ覚えてないですよね。

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