第25話 大仏師、榊原千住 後
翌日の朝八時過ぎ、渡たちがお地蔵さんのもとへと着いたときには、すでに榊原は到着していた。
分厚い革ジャケットの薄手の白い革手袋。動きやすそうなボンタンを履いている。
気難しそうな表情で白い息を履き、ジロジロとお地蔵さんを観察する姿は、できれば声をかけたくないくらいには存在感があった。
っていうか、この人いつからここにいるんだろうか。
渡としては、余裕を持って待機する予定だったのだが、先を越されていて驚いた。
「おはようございます。早いですね」
「おう、おはようさん。嬢ちゃんらもおはよう。今日も別嬪だな」
ジロジロと隠しもしない露骨な視線には呆れてしまう。
これで実際に手を出してくれば、すぐに排除するのだが、どうやら今のところはそのつもりはないようだ。
榊原はお地蔵さんに近づくと、革手袋越しに、その像をペチペチナデナデと触って確かめた。
不敬では、という言葉は榊原に言うのは憚れる。
「こいつぁすげえ
「見えるんですか?」
「あん? 分かっててオレんところに依頼してきたんじゃねえのか」
訝しげな顔を向けられて、渡は言葉に詰まった。
榊原に頼んだのは、エアの直感だったのだ。
答えに詰まったことが、逆に雄弁な答えになっていた。
ある意味で、榊原に頼ったのは、縁や導きによるものだった。
「はっ、お前さんは不思議な縁があるくせに、ちぃぃいいいっとも見えてねえなあ。もうちょっと真理の目を開けよ」
「真理の目……?」
「第三の目だよ。観の目とも言って、仏像の額にあるだろうが。見たことねえか?」
「あれって目なんですか? おできか何かだと思ってました」
「はあああ、嘆かわしい。お地蔵様の修繕を頼むぐらいなんだ。もうちっと勉強しろい」
「返す言葉もないです……」
「まあ宗教やスピリチュアルな話は毛嫌いされるのはオレも分かってる。オレはお前さんに悟りを開いてほしいわけじゃないし、詳しい話は自分で調べろ。あれは覚者となって真理にたどり着いた証だ」
渡はこれまで寺社仏閣に入り込むことを避けていたが、これだけ世話になっていて、まったく無知にもいられなかった。
今後少しだけお地蔵さんや、時と空間の女神について調べよう、と考えを改める。
「それじゃあ早速直すか。まずは表からだな。用意してきた御影石の粉末だ。オレの目に狂いはない、素材は間違っちゃいなかったな。こいつを接着剤と混ぜ合わせる。んで、まずは欠けた部分を埋めちまおう」
「それで大丈夫なんでしょうか。あ、いや、失礼なことを言いました」
「お前さんが言いたいことは分かるさ。だがこっちが先だ」
榊原の手は驚くほど早い。
ガシャガシャとトレイに粉末と接着剤を混ぜ合わせて、コテで大胆にお地蔵さんに詰めていく。
コテの尖った先を使って、余った部分を綺麗にすくい取ってしまう。
思わず見惚れてしまうほどの正確性と早さだ。
この人、口で偉そうなことを言うだけある。
おそらくは弟子たちが聞けば憤慨するような評価を下しながら、渡たちはじっと作業風景を眺めた。
「んでだ。ここまではそこらの左官屋でもできる仕事よ。オレがわざわざ呼ばれたのは、コイツのためだろ?」
榊原が瞑目し、口元でわずかに何かを唱えたと思った途端、先日の不思議な文字が一瞬にして現れた!
「なっ……!?」
「オレが真言に気付いて開眼したのがざっくり二十年前か。世の中に仏像は山ほどあるけどよ、たまあにこういうホンモノの力を持つのがあるんだよなあ」
驚愕する渡と違い、マリエルたちにはなんら変化が分からないらしく、キョロキョロと視線を動かしていた。
その中で、ステラは変化に気づきながらも、それが何なのかまでは理解が及んでいない。
渡が変化に思考が追いついていない間に、榊原が梵語を唱え始めた。
「
お地蔵さんが榊原の言葉に応じるように、かすかに光を放ち始めた。
その光はどんどんと強くなって、渡は目が開けていられない。
榊原のゆったりとした声が続き、光がまぶた越しに溢れ――カッとひときわ強く輝いた後、元の静けさを取り戻した。
そこには元通り。
いや、これまで見たどの時よりも美しく力強いお地蔵さんの姿があった。
石と接着剤が完全に乾いたのを確認して、榊原が完了を告げた。
深刻な問題だったのに、実作業は半日も経っていない。
拍子抜けするほどの早業だった。
だが、頼む相手を間違えていれば……。
生半可な相手では、お地蔵さんの隠れた力と仕組みについて気付くこともなく、表面的な修繕に終わっていたことだろう。
「急な依頼に応えていただいてありがとうございました。どうやってお支払いすれば良いでしょうか」
「おう。要らねえよ。オレがわざわざ出向いたのは、こういうホンモノをちゃあんと直すためなんだ。銭には困ってねえから、取っとけ」
「いや、でも」
「衆生を救うのも仏の行いの一つだよ。
にやっと笑う榊原の態度は清々しく気持ちいい。
そして、実際に渡から一切の対価を受け取らなかった。
ただのエロ坊主だと思って申し訳ない気持ちだった。
「そうだなあ。気に病むってんなら嬢ちゃんら、今度絵を描くからよ、モデルになってもらえねえか?」
「像を掘るんじゃなくてですか?」
「おう。オレは彫る前に描くんだ。オレは直すだけじゃなくて、今の世を救う像を彫ってる。お前さんらの顔は、オレの閃きをビンビンって刺激しやがるんだ」
「私は構いません」
「アタシはいいけど……主?」
マリエルとエアがちらっと渡を見てきた。
まあ、本人がいいなら、断る理由はない。
クローシェとステラも、同意したことだし、何よりもお地蔵さんが明らかにちゃんと直っているのが渡にも確信できているのは大きかった。
恩人に頼まれては、断るのも心苦しい。
「なあに、別にエロいこと頼まねえよ。そういうのはこれからちょっくら飛田新地行ってくるからよ」
「……この人サイテーだ」
「がはは!」
飛田新地は天王寺から徒歩五分ぐらいでたどり着ける、大昔から続く風俗街だ。
榊原を見てると悟りってなんなのか、渡にはよく分からなかった。
なお、榊原がウッキウキで絵を描く場所に赴いた時、何故か奥さんが同席していたのだそうだ。
南無。
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後日修正、加筆するかもしれませんが。ざっくりと。
いやあ、榊原千住、癖が強くて書いてて面白いです。
どちらかと言えば、沢庵和尚みたいに欲を否定しないタイプの人ですね。
実は若かりし頃は徹底的な禁欲主義者でした。
レビューやギフト、いつもありがとうございます。
とても励みになっているので、お礼申し上げます。
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